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PAIN & GLORY #11 当たり前

今日は日曜日、早朝に起きて自転車に跨り会社の上司とサイクリングへ。合計45キロの道のりを2時間かけて走破した。走っている道中は本当に辛くて、正直やめてここからタクシーで帰ろうかなってよぎる事も多々ある。

サイクリング中に見つけた襲撃されたであろう交番

でもそれは終わった後の多幸感を感じるために必要な負荷なのだ。家に戻りシャワーを浴びて、部屋でリラックスタイムを迎えると今朝の運動のおかげで、とにかく他では感じることのできない得も言われぬ感覚が迫ってくる。あの途中放棄しようという感情は杞憂におわるのだ。

さて、今日は昨日の続きでカンボジア人について書いていこうと思う。ポルポトによる、世界的にみても類を見ないほどの大虐殺(ググってね)という、悲しい歴史を持つ彼らにとって"働くということ"は、その時代の強制労働の記憶を呼び起こさせられるという話を聞いたことがある。

大袈裟に思うかもしれないが、彼らに大半の日本人が共通して持っている"これぐらいできて当たり前"という考え方はまるで通用しない。日本教育の遺産として『"当たり前"を当たり前にできる人間』はたくさん出来上がったが、残念ながらカンボジアは教育レベルもまだまだ発展途上と言うほかなく、母国語のクメール語でさえ書けない、読めないという人が沢山いるのだ。

そんな人たちに、極東の一大経済力を誇る大国の"当たり前"を押し付けても、できなくて当然なのだ。しかし理屈では分かっていても、やはり目の前で"当たり前"をこなせないくせに、ヘラヘラしてるカンボジア人を見ると、今すぐここでぶち殺してやろうかという気になる。実際手は上げていないが、この3ヶ月で自分も幾度となく怒鳴りつけ暴言を浴びせてしまった。

反省しても仕方ないが、少し冷静になればわかることなのに、人間という生き物はなんと残酷なんだろうと、自分のことなのに思ってしまう始末だ。

そんなカンボジアで今日は週末を迎えゆったりとした時間を過ごせるのかと思いきや、この後アドバイザーとして入っている日本食レストランのMTGだ。この店の今後を決める重要な局面、キチンとビジネス的観点で判断していきたい。

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