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公文の教材を小学校1年生で終わらせた習慣の力 Lunch#82 中村真奈さん

慶應大学の学生の中村さんは、いまは、教育系ベンチャーの創業メンバーとして、
YouTuber × 教育という、新しいクリエイティブな習い事を作り、小学生に届けているそうです。

私自身が、もともと塾講師ということもあって教育や塾業界についての話にも熱が入ったランチでした。

そんな中村さんのポイントはこちら。

・てあらい、うがい、くもん
・自分がワクワクする方に
・好きだから勉強してただけ


まずは、てあらい、うがい、くもん、です。


お母さんが公文の先生をしていた中村さんは、2歳の時から、公文を習っていました。

特に、公文の英語を真剣にやり続けていたそうです。
あまりにも毎日規則正しくやり続けていたがために、寝る前の歯ブラシや、家に帰ってきた時の手洗いのように、それをやるのが当たり前になっていったとか。

家に帰ったら、てあらい、うがい、そしてくもん。

そんなキャッチコピーでも誕生しそうなほどの、中村さんの公文生活。

といっても、真面目だからとか、「ガリ勉」だからとか、そういう話ではなく、ただただ楽しいことを続けていった結果、そんな習慣が身についたんだとか。

そんな中村さんが、公文を何歳まで続けたかというと、初めて4年後の小学校1年生の時にはやめてしまいました。

正確には、続けることができなくなったのです。というのも、公文の英語教材の全てをやり尽くしてしまったのです。

公文の英語の教材は、小学校就学前から高校3年生までの教材が用意されていました。それを毎日コツコツと2歳から4年間続けた結果、小学校1年生の時には、高校3年生のレベルの英語教材を終わらせてしまったのだそうです。

楽しくてやっていったら、高3レベルまでできてしまった小学1年生。
この話は公文の中でも噂になったのでしょうか。公文のPR動画にも抜擢されたそうです。

個人的には、公文の教材に終わりがあることを初めて知りました。


次は、自分がワクワクする方に、です。


おそらく、もともと勉強やコツコツすることが好きだった中村さんは、いつしか将来、お医者さんになりたいと思うようになります。

「窓ぎわのトットちゃん」を読んで、黒柳徹子さんに影響を受けたり、「国境なき医師団」という存在をなんとなく知ったりしていくうちに、人を助ける仕事、特に医者という仕事に強く惹かれるようになっていきます。

小学5年生の時には、その想いははっきりと持っていて、中学進学の時には、地元の京都の名門学校に進学します。

学問だけでなく、文武両道を大切にするその学校で、中村さんは中学時代はテニス部に、高校時代はバスケ部で、運動にものめり込んでいきます。

高校のバスケ部時代は、週6でバスケ部の練習をみっちりしすぎた結果、学年トップレベルだった成績は、ほとんど最下位レベルにまで落ちてしまいます。


さすがに焦りを感じた中村さんは、高校2年生から塾通いをはじめ、医者になる夢を改めて掲げます。

掲げようとしたのですが、なんとなく違和感が残ります。自分の中でなんで医者になりたかったのか、小さい頃の憧れがうまくはまらなくなってしまいます。

本の影響や友人、家族からのプレッシャーなどもあったのかもしれません。確かにお医者さんに憧れてはいたんだけれど、本当にその道を進むのか、考え直した時に、はっきりと言い切れない自分がいたのでした。

そんな時に、通っていた塾で、偶然、慶應のSFCのパンフレットを手に取ります。そこに描かれていた勉強内容やキャンパスの様子に、一瞬で心奪われてしまったのでした。


そうは言っても、中村さんのなかには、居心地の悪さもあったようです。ずっと医者になると周りにも言い続けていた手前、いまさら、進路を変える気まずさのようなものが。

一人で悩んでいても答えが見つからなかった中村さんは、担任の先生に相談を持ちかけたのでした。

小さい時からずっと思っていた医者という目標を維持するべきか、SFCという新しいスタイルの学校に挑戦するべきか。

その時の担任の先生の答えは、とてもシンプルでした。
自分がワクワクする方に、行けばいい。


その言葉を聞いて、中村さんの中で覚悟が決まりました。
答えはもちろん、SFCへの進学でした。


最後は、好きだから勉強していただけ、です。


SFCに入学した時に、最初に驚いたのは、同級生のエピソードのすごさでした。

大学までにどんな活動をしてきたのか、どんなビジネスをやってきたのか、そんな会話が当たり前のように交わされる環境を目の当たりにして、中村さんは自分は勉強とバスケしかしてこなかった。

まるで、起業家ばっかりみたいと感じて、コンプレックスを感じるようになります。

そこでとにかく何かを始めようと、プログラミングの会社のインターンに飛び込んで、簡単なゲームを作るまではできるようになったのですが、数ヶ月で合わない、と感じて辞めてしまいます。


そのあとに、出会ったのが、今インターンをしている教育ベンチャーでした。

小さい時から勉強が大好きで、やりたいことが周りにあふれていることが当たり前でした。しかも、それが勉強なので、親からも先生からも、嫌な顔をされることもありませんでした。

そんな中村さんにとって、自分の好きが、親の期待や先生の期待がずれることがあまりなかったのです。

でも、実はこれがとても珍しくて、幸運なことだったと気づいたのです。


たとえば、勉強がしたくない子はもちろんたくさんいるし、それ以外のやりたいことを発言しても親から否定されるような子もたくさんいる。

もっと言えば、そもそもやりたいことが無い子もたくさんいる。


そんなことに気づき始めた時に、中村さんは、自分の好きを捨ててしまうような環境は良くない。どうにかしたい、と考えるようになったのでした。

そこで、現在インターンされている教育ベンチャーでは、
「子どもたちのやりたいをカタチに」というビジョンを掲げて、

子どもたちの無邪気で無垢な「やりたい」を支えてあげているそうです。

自分のワクワクに正直に大学進学を決めて、そのあとには、次の世代のやりたいを支えたくて頑張っている、そんな素敵な大学生の中村さんでした。


2020.1.28 中村真奈さん
恵比寿にて

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