lunch55_-大西健太郎さん

出会うたびに変化していく自分を丁寧に生きる Lunch#55 大西健太郎さん

根津の駅まで迎えにきてくださり、とても素敵なカフェに案内してくれた大西さん。落ち着いた佇まいながら、とても丁寧にお話ししてくださるその姿は、誠実さが溢れ出ていました。

そんな大西さんのポイントはこちら。

・かっこよさに出会う
・悩み迷い考え続ける
・障がい福祉施設と子ども創作教室が開いてくれた心


まずは、かっこよさに出会う、です。

大西さんのお母さんは、ファッション関係のライターをされていました。

そのお母さんの影響を強く受けていた大西さんは、ハイファッションに興味を持って、いろんな服を着るだけでは飽き足らず、しまいには、自分でデザインをして服を作るほどになっていました。

ファッションにどっぷりはまっていた大西さんの意識を大きく揺さぶる出会いがありました。

あるダンサーのパフォーマンスを見たのです。

そのダンサーは、ステージに作業服で出てきました。ハイファッションとは真逆の格好です。ファッション的には格好いいとは言えない出で立ち。

その姿を見た時に、大西さんは心を打たれます。
その動き、身体、その人が放つ雰囲気。その全てに圧倒されます。

自分が格好いいと思っていたファッションの世界とは真逆の表現、真逆のかっこよさ。その姿に、大西さんの価値観は180度ひっくりかえされます。

出会ってしまったというのかもしれません。

そんな風にして、偶然にも出会ってしまった大西さんは、ファッションの世界への興味を一気に失います。

そして、自分が目撃したあのかっこよさへ向かおう、向かいたい。と強く思うようになるのでした。

ただ、どうしたらいいのかがさっぱりわからなかったのです。

今のままじゃいけない、こんなんじゃなダメだ。
そんな焦燥感ばかりが募り、イライラしながら、どうやればいいのかをグルグルと考え続けるようになるのでした。

そして、そのイライラを解消しようと、東京藝術大学へと進学します。

次は、悩み迷い考え続ける、です。

東京藝術大学に入学した大西さんを待っていたものは、挫折と劣等感でした。

周りには、小さい頃から表現を専門的に学んできた人たちばかり。その一方で、大西さんは何をやりたいのかもはっきりとわかっていない。藝術大学という環境に入っても、悩みは解決されませんでした。

そこで、大西さんはとにかくあらゆる表現の授業を受けまくりました。身体表現はもちろん、写真も、演劇も、藝術のシステムについても学びました。

とにかく前のめりで闇雲に。

そして、授業を受けて、学べば学ぶほど、考えすぎて答えが出ずに、悶々としていくのでした。そんな時に、山梨の高地での生活をしながら、ステージを作り、ダンスを作り、農作業もするという機会に恵まれます。

そこで体を動かしていくうちに、大西さんの心のモヤモヤが少しずつ落ち着いてくのでした。そこではっきりとした方向性が見えたり、決まったりしたわけではないのですが、身体を動かすということに一つの活路を見出したのかもしれません。

そこから戻ってくると、振り付けや用意した動きをするのではなく、その場所で自分の体をどう動かすのか、どう動くのか、を実験的に表現に落とし込んでいく活動を始めました。

それは、谷中という町の民家の一角や、道路の一角など、本来ステージになるはずもない空間に大西さんが立ち、その空間だからこそ生まれるおどりを探す。そんな活動でした。

この活動を通して、町の人たちなど、大学の外側の人たちとも多く出会うようになり、その出会いから、大西さんはまた新しい出会いへと導かれていきます。


最後は、障がい福祉施設と子ども創作教室が開いてくれた心、です。

大学院を卒業した後、いろいろ紆余曲折はありながら、大西さんは、ぐるぐるミックスというプロジェクトの立ち上げに誘われます。

このプロジェクトは、教室や地域の公園などに、子どもたちと一緒に訪ねて、そこで、子どもが大人たちと出会い、遊びと出会う、そんな環境を子どもに提供するというものです。

詳しくは、サイトをぜひご覧ください。

現在でも、大西さんは、統括ディレクターとしてこのプロジェクトに携わっていますが、このプロジェクトで、大西さんは、子どもに関心の幅を広げてもらった、と言います。

というのも、もともと自分の体をどうすれば?自分の表現は?自分が存在しているこの空間は?と言ったふうに、自分の表現について突き詰めて考えるタイプなのでした。

そんな大西さんからしたら、自分も他人もなくて、馴れ馴れしくて、「けんたろう!!」って呼び捨てにしてくる子どもという存在が、不思議で仕方なかったそうです。

そんな子どもたちと触れ合い続けているからこそ、自分だけに意識を向けるのではなく、それ以上に、目の前にいる人たちと一緒にどうやって遊ぶか、という考えに変わっていったそうです。


さらに、障がい福祉施設でのプロジェクトも、大西さんに強い影響を与えてくれました。

知的に障がいのある方たちと初めて会った時の印象を、自分が「常識」や「あたりまえ」としている意識の範囲ではコミュニケーションが追いつかない、緊張感と怖さがあったと率直に教えてくれた大西さん。

自分にとっての「いつも通り」で自己紹介をしても、それが通じない。でなければ、何を手がかりに「出会う」ことができるのか、相手の言葉に耳を傾けて、相槌を打ち、そして糸口を探りました。

それは大西さんが今まで行ってきたコミュニケーションの概念自体が崩れ、同時に、新たな回路を模索することでした。

そして、いつしか自分の会話の方法を変えてみようと思い、大西さんは、一緒にいるようにするのでした。ただいるだけ。

そうして、大西さんがその場にいるだけで安心できるようになると、肩の力が抜けてコミュニケーションができるようになっていきました。

それは、大西さんがしたかった自己紹介が通じるようになったわけではなく、大西さんと施設で出会った人たちの間に、お互いにとって新しいコミュニケーションが生まれるようになったからかもしれません。

このような経験を踏まえて、自分とは異なる他者との差異と出会い、そこに起こる摩擦や反動のエネルギーがモチベーションになったというのです。

そのやりとりは、聞いているだけで羨ましいと思えるほどの、相手と自分への愛がとても溢れている美しい関係でした。

2019.5.21 大西健太郎さん
根津にて


大西健太郎さんプロフィール
ダンサー。1985年生まれ。東京藝術大学大学院先端芸術表現科修了後、東京・谷中界隈を活動拠点とする。その場所・ひと・習慣の魅力と出会い「こころがおどる」ことを求めつづけるパフォーマー。「風」をテーマにダンス・パフォーマンス作品の公演をおこなう。2011年に東京都、アーツカウンシル東京(公益財団法人東京都歴史文化財団)と一般社団法人谷中のおかっての共催によるこども創作教室〈ぐるぐるミックス〉の立ち上げより、ファシリテーター、統括ディレクターを務める。2014年より〈風と遊びの研究所〉を開設。板橋区立小茂根福祉園にて他者との共同創作によってつくり出す参加型パフォーマンス〈「お」ダンス プロジェクト〉を展開。2018年南米エクアドルにて「TURN-LA TOLA」の参加アーティストとして、地域住民と共同パフォーマンス〈El Azabiro de La Tola〉の公演をおこなう。
http://kentaronishi.wordpress.com

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