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急逝した兄が与えてくれた心の強さと弱さLunch#64 江頭美希さん

ミスユニバースの神奈川大会のファイナリストにも選ばれた江頭さん。現在は、慶應のSFCの現役大学生で、この先の可能性に満ち溢れた素敵な人でした。

そんな江頭さんのポイントはこちら

・泣き虫の帰国子女
・楽しいから跳んでいる
・兄がくれた強さと弱さ

まずは、泣き虫の帰国子女、です。

生まれは福岡の江頭さんですが、物心がついたのはアメリカでした。
母親が福岡出身の日本人で、父親がアメリカ人。その両親を持つ江頭さんは、1歳から8歳までをアメリカで過ごしました。

月曜日から金曜日までは、現地の学校に通い、土曜日には日本語学校に通っていた江頭さん。特に現地の学校は晴れの日は外で遊ぶというルールがあったので、とにかく活発で運動好きな女の子でした。

新体操選手に憧れながら、外で逆立ちをしたり、ダブルダッチ(日本の縄でやる縄跳び)で遊ぶのが大好きな子でした。

しかし、8歳の頃、両親の離婚により、日本へ帰国することとなりました。
帰国後に通うようになったのは、アメリカに住んでいた時から帰省していた福岡の小学校だったので、知り合いもいるし、そんなに抵抗はなかったのでしたが。

受け入れる側の小学生たちは大騒ぎだったそうです。
アメリカから帰ってきた、帰国子女だ、すごい!なんて騒ぎになって、休み時間になるたびに、他のクラスから教室へと江頭さんを見にくる。そんなことが起こるほどだったそうです。

そんな状況に、江頭さんは、ただただ怖いと感じるばかりでした。アメリカでは活発だったのですが、日本に帰ってきた時は、人見知りで泣き虫な女の子になっていました。

例えば、小学校の先生が授業の最後に、口頭で宿題を発表するのですが、それが全く聞き取れず、泣きながら家に帰ったこともあったそうです。

そんな状況だったために、江頭さんはできれば目立たずに過ごしたいと思っていました。それでも、小学校高学年になっていくに従って、少しずつ慣れてはいったそうです。


次は、楽しいから跳んでいる、です。


中学に入った江頭さんは、体を動かしたくて、陸上部に入ります。選んだ種目は、高跳びでした。

飛び抜けて目立った成績を残すことはなかったのですが、それでも注目選手の一人にまで成長した江頭さんは、高校をスポーツ推薦で入学します。

そして、江頭さんの快進撃は入学して早々にやってくるのでした。

高校1年生の時には、県大会で優勝、さらには、そのまま九州大会でも優勝。
その年の最優秀選手賞まで受賞します。

突然やってきた新星の登場に、周りの目が一気に変わります。そして、このままいけば、日本一になれるという期待をかけられるようになります。

部活のメンバーも顧問も、日本一候補として江頭さんを見るようになりますが、一方の江頭さんはその目線に戸惑いを隠せませんでした。

そして、あまりにも期待を受けすぎた江頭さんは、スランプに陥ります。端的に跳べなくなります。

高校2年生の1年間は、とにかく結果も出ずに、跳び方もわからなくなってしまい、踏み切ることもできないような状況が続いていきます。そして、気づいたら、高跳びが楽しくなくなってしまいました。

その間も、顧問や先輩が応援してくれて、寄り添ってくれていました。そして、全く結果が出ない1年を過ごした結果、江頭さんは吹っ切れます。

周りの期待の目がなくなり、気楽に跳べるようになったのです。そして、跳べなくなった時よりも少しでも良い記録が出ると、喜べるようになりました。たとえ、それが自己ベストや大会記録には程遠い結果だったとしても。

周りの目も、順位や記録ではなく、前回より跳び方が良くなっていることに気づいてくれるなど、改めて支え続けてくれる人の存在にも気づくことができたのでした。

そして、3年生の夏までの短い時間ではありましたが、楽しいから跳んでいると思えるようになれたのでした。


最後は、兄がくれた強さと弱さ、です。


陸上を引退した翌日から全力で勉強を始めた江頭さんでしたが、進路についてはまだ迷っている最中でした。

そんな江頭さんが最終的に、進路に確信を抱くのは、受験も迫る11月になってからでした。建築系の大学に進もうと勉強をしていたのですが、その方針を突然、変更します。それも偶然見たパンフレットによって。

江頭さんが見たのは、友人のカバンからはみ出していた慶応のパンフレットでした。それを見た瞬間に、思い出したのです。そういえば、慶応に行きたかったと。

少し前に流行っていたビリギャルに憧れて慶応に行きたいと思ったこと、なんでもできそうなSFCというキャンパスに惹かれていたこと、そして、母親が一人で育ててくれてきたから、学費の問題で諦めたこと。

いろんなことを思い出します。それと同時にどうしても行きたいと思い、奨学金に急いで応募し、無事に勝ち取り、慶応に進路を定めます。

無事に慶応に進学できた江頭さんは、1年目キャンパスライフを満喫します。とにかく、ザ大学生という生活を1年過ごした結果、なんとなく飽きて次にやることを探し始めます。

そして、学外でいろんな人に出会ったり、モデルとしての仕事を始めてみたり、いろいろなことをしようとしていきます。

少しずつ、自分ができることをゆっくりと広げていった時に、楽しいことが増えていった時でした。

突然、お兄さんが亡くなったと連絡が。
水難事故でした。

あまりにも寝耳に水のその報せは、江頭さんにとって訳のわからないものでした。

そして、江頭さんは、人が死ぬことを改めて思い知ります。思い知り、そして、生き急ぎます。

人はいつ死ぬかわからないんだから、やりたいことをやらなくちゃ、というよく言われるアドバイスがあまりにも現実味を持ったアドバイスとして、江頭さんを駆り立てます。

それ以来の江頭さんは自分が少しでもやりたいことはやる、と決めて動き、果てには、ミスユニバースにエントリーします。その時には怖さなんてなかったそうです。

どれくらい怖くなかったかというと、ミスユニバースの出場者は伝統的に黒髪でロングという暗黙の了解があったのだけれど、そんなこと御構い無しの自分が一番素敵だと思える、金髪のショートヘアでの出場でした。

結果は、神奈川大会のファイナリスト止まりではありましたが、それでも、アフターパーティーではいろんな関係者からも声をかけてもらい、それが自信にもなったそうです。

そして、お兄さんが亡くなってから先日で1年が経ち、江頭さんが感じたことは、とても矛盾した感情でした。

お兄さんの死の直後は、とにかく生き急ぐようになんでもやらなければいけない、そう考えて動き続けていた。その一方で、動けば動くほど、自分が弱さを抱えていることにも気付き始めたとか。

それは、小学校の時に父を離婚によって失い、兄を事故で失った経験から、大切な人が少しずついなくなっていく感覚で。

その失うということに対しての怖さは感じながらも、その一方で、人生は一回きりなんだから怖がっていちゃだめだ、そんな思い。

その感情の深いところには、人が死ぬ、という事実が明確にインストールされてしまった江頭さんがいて、そのせいで、おかげで、自分はなんでもできる、と同時に、なんにもできないと思ってしまう、とても矛盾した感情。

これは、生と死の両方をリアルに感じた江頭さんだから感じれたものなのかもしれません。

その上で、江頭さんの座右の銘が、
Just living the life I love(自分の愛する人生を生きる)
というのだから、また素敵です。

この先の進路も、やりたいこともいろいろな方向にまだまだ広がっていく江頭さんが、どんな人生を愛していくのか、とても楽しみで仕方ないです。


2019.8.8 江頭美希さん
上野にて


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