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とにかくめちゃくちゃ稼いで、目立ちたいんだLunch74 笹本さん

最近では、ビジョン経営というものが注目されていて、多くの会社がビジョンを掲げています。SUGOIももちろんあります。

その一方で、この年収にはっきりとこだわるという発言をする人は少なくなったなぁと思い出させてくれたのが、笹本さんでした。

そんな笹本さんのポイントはこちら。
・「おぼっちゃま」から「バーバリー」
・価値観をぶっ壊された留学
・目立ちたいという病


まずは、「おぼっちゃま」から「バーバリー」です。


笹本さんの小学校時代のあだ名は、「おぼっちゃま」でした。その理由は、来ている服が、周りと少し違っていたから。

というのも、そこまで高いものではなくても、いいものを着せていたい、という親の方針のもと、おしゃれな服を着るようになって、いつの間にか、おぼっちゃまというあだ名がついていったのでした。

そんな笹本さんですが、実は生まれたての頃、腎臓の病気があり、物心つく前に病院通いをしていたそうです。そのために、塩分の制限や激しいスポーツを禁止されていたのです。

運動は小学校卒業まで満足にできなかった笹本さん。この頃に運動できないというのは、なかなか酷なものもあったのかもしれません。小学校といえば、足の速い子、運動のできる子が一番もてる、そんな場所でしたから。

そんな中でも、服装はいいものをしっかりとさせてあげたい、そんな親心おもあったのかもしれません。

その一方で、この目立つ、一目置かれる、というポジションに笹本さんは、魅了されるようになります。そして、服装と、あとは年2回の家族で行くハワイ旅行、だけでは満足できず、中学受験の塾に通うことにするのです。(目立ちたくて)

小学校4年から6年生まで、3年間塾に通った笹本さんですが、通いはじめてすぐに気づいたことは、自分は勉強が嫌いってことでした。

嫌いだって思いながらも、やるって言い出してしまった手前、引っ込みがつかずに3年間通い続けたのです。そんな状態だから、本気になったのは6年生の夏休みが終わった頃でした。

このままではやばいとやっとの事で本気になって、嫌いながらもとにかく全力を出して勉強に集中したのです。半年間頑張りに頑張った中学受験でした。
その結果は、まさかの全オチ。どこにも受かりませんでした。

受からなかったからといって、今更みんなと同じ中学には進学できない、と、別地区の公立中学にバスで通うこととしたのでした。

その中学には、制服と学校指定のカバンがあったのですが、小学校の時におしゃれに目覚めてしまっている笹本さん。このカバンがダサい、と思ってしまいます。

そして、それと同時に目立てるとも。

その時、たまたま親が持っていたバーバリーのカバンを譲ってもらい、バーバリーのカバンで登校するようになるのです。もちろん、先生には散々怒られますが、そんなことは一切気にしません。ダサいカバンを持つくらいなら、怒られた方がマシだと、バーバリーのカバンを持ち続けます。

そこでついたあだ名が「バーバリー」(もちろん、いじられてます。。。)

バーバリーとなった笹本さんでしたが、中学受験の悔しさは忘れておらず、1年生の時から塾に通ってみっちり勉強するのでした。でしたが、根っからの勉強嫌いは全く治らずのまま。

3年間塾に通ったにも関わらず、塾の先生から推薦での進学を勧められます。(テストではなく書類を出せば進学できる方法ですね。)


価値観をぶっ壊された留学


バーバリーとなって、さらに、中学3年生になって、狙いを推薦入試に絞った笹本さんでしたが、思わぬ壁にぶつかります。

それは、学校側の意向でした。指定のカバンを持てないような生徒に、推薦は出せない。という、よくよく考えてみたらとても当たり前な主張でした。

そこで、笹本さんは、こう返します。
「じゃあ、カバンを持てば推薦をくれますね?」と。

その翌日から、「バーバリー」は、バーバリーをやめたのです。3年生とは思えないほどのピカピカの指定カバンで登校するようになりました。その結果、無事に推薦にて、法政大学の付属高校に進学することができたのでした。

笹本さんの親は、いい大学に行って大企業に勤める、こう行った人生を子供に歩んで欲しいと願っていました。そして、笹本さんもそれが当たり前だと思っていました。

そのために、法政大学の付属に進学し、そのまま、法政大学の国際文化学部に進学したのです。笹本さんにとってその親の価値観以外の生き方を知らないし、それが当たり前だと強く信じていたから。

ところで、この法政大学の国際文化学部では、学部生には留学が義務付けられていました。そこで笹本さんも例に漏れず、留学を2年生の時にしたのです。

大学2年生の秋から冬にかけての4ヶ月を、カナダのトロントで過ごしました。
このカナダで笹本さんの価値観がぶっ壊されたのです。

海外ではごく自然なことなのですが、学生の年齢がかなり幅広いです。10代もいれば、20代から30代でも学校に入り直している人もいる。もう一度学ぶということが、当たり前の世界がそこにあります。

もちろん、いい大人なのにまだ学校に行っているなんて偏見もありません。

この海外では当たり前の光景が、笹本さんには衝撃でした。根っこから揺さぶられるほどの衝撃。

笹本さんのお父さんは、特に、4年で大学を卒業して、いい企業に就職しなさい、という考え方でした。しかし、海外ではそんなことが全く当たり前でなかったのです。大人になっても学んでいいんだ、と気づいたのです。

自分の価値観の狭さに危機感を覚えた笹本さんは、大学を1年間休学することに決めました。そこで、しっかりと目的を持って自分の人生の可能性を膨らまさなければ、そう考えたのです。

この話を、お父さんにしたところ、もちろん大激怒。壮絶な親子ゲンカにまで発展してしまいました。そして、しまいには、縁を切るかどうかの話にまで。

それでも、自分の人生は自分で選ばなければ、そう強い思いで、笹本さんは休学を決意。お父さんとはそれ以来会ってないそうです。


最後は、目立ちたいという病、です。


父親の反対を押し切って、4年生の1年間を休学した笹本さん。人材系のベンチャーにインターンでフルコミットすることにしたのです。

何をしようというよりも、自分の人生を選んでみたくて、選択肢を増やそうとまずはたまたま園のあった会社でのインターンにフルコミットすることと決めたのでした。

合計で13ヶ月のインターンを終えて、そのあとは、さらに2社のインターンを受けて、マーケティングについて学んでいったのでした。

その後、内定先でのインターンを経て、就職。就職先は、広告やマーケティングを専門に扱う会社でした。

その会社で、笹本さんは、ブランドコミュニケーションを扱う部署への配属を強く希望するのでした。その部署は、あまりにも厳しいために新卒を取らない部署で、かつて1人も新卒がいなかったのです。

その部署に入りたいと行った過去の新卒内定者たちは、その上司にことごとく断られ続けてきたのです。ですが、笹本さんは、内定インターンを全力でこなしていた実績を買ってもらい、なんと史上初での配属が決定したのでした。

そこでの仕事は、笹本さん曰く、やばいくらい厳しい現場だったそうです。ブランディングやコミュニケーション設計など、まったく知見のない笹本さんからしたらわからないことだらけで、しかもその部署のメンバー全員がハードワーカーすぎて、それについていくのに必死の毎日だったそうです。

朝7時には出社して、終電まで働く毎日。土日は疲れ切って動けないか、もしくは、休日返上の出社。

想像以上の厳しさに苦しみきっていた笹本さんでしたが、辞めたいとは思わなかったそうです。というのも、3年くらいは自分をとにかく磨き続けるしかない、と覚悟していたから。

しかし、磨くと行ってもその磨き方には色々あるんじゃないかと気づき始めたのが入社2年目でした。このままでは、自分の人生を楽しんでいると言えないのではないか、と考え始めたのでした。

それは、会社だけの世界で生きている自分に気づいたからでした。そこで、自分の世界を広げようと社外のいろんな人に出会いを求めに行きます。

その中で、笹本さんの目指すべきロールモデルとなる男性に出会ったのでした。ちょうど一回り上くらいのその人は、独立して、家族の時間も大切にしながら、経済的にも成功している。

まさに、笹本さんがおぼろげに描いていた理想像を体現するような存在でした。

その人に、笹本さんが言われ続けたのが、早いうちから、何をするかではなく、どうなりたいかを考えなさい、ということでした。

その時までは、何をしたいかばかり考えていた笹本さんでしたが、この頃から、自分がどうなりたいのかを考えるようになったのです。

そして、考えた目標が、30歳で年収3000万を超える、でした。
経済的な収入を得ることで、人生に余裕が生まれるそう考えたのです。

そして、それは決して自分が豪遊をしたいからという理由ではなく、それ以上に、周りの人との色々な体験を手にしたいからです。

こうやって大きなお金を目標にして、自分の仕事に頑張り、さらに目立とうとする人はあまりいません。特に日本人には。そんな中で、笹本さんは自分が目立つことで、誰かに良い影響を与えられると信じているのです。

すごい人、立派な人はたくさんいる、いるけれど、目立とうとする人はあまりいない。だから、笹本さんは経済的に成功した上で、しっかりと自分の存在を目立たせていこうと考えています。たくさんの人に影響を与えるために。

それともう一つ、笹本さんが収入にこだわるのは、お母さんの背中が理由です。先に書いた通り、お父さんと喧嘩して絶縁した後、お母さんは笹本さんのことを支えて応援してくれていたのでした。経済的にもお母さんがかなり苦労してくれていたところもあったそうです。

そんなお母さんに旅行をプレゼントしたり、自分を育ててくれた母親の苦労している背中に恩返しをしたくて。


お金の話をすると、なぜか汚いと思われがちですが、そんな中で、はっきりと年収を目標と掲げてくれた笹本さん。そしてその背景にある家族への想いはとても暖かいものでした。

私自身も、話しを聞きながら、親孝行してないな、って思いながら聞いていました。そして、あ、なんかやらなきゃな、とも。


2019.10.18 笹本さん
渋谷にて

笹本さんのノートはこちらから!!


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