lunch59_正田さん

何度も悔しい思いをしてきたけれど、自分自身の期待にもっと応えたい Lunch#59 正田さん

法政大学4年生の正田さんは、とても冷静な自己分析と丁寧なしゃべり口で、自身の過去について話をしてくれました。

そこには、圧倒的なコンプレックスと失敗と、その先の希望が見えて、聞いているだけでワクワクするものでした。

そんな正田さんのポイントはこちら。

・小学生で諦めた
・人生とは、うまくいかないもので
・何度でも立ち上がるという才能


まずは、小学生で諦めた、です。

正田さんは、小学6年生まで水泳をやっていました。しかし、6年生の時にスッパリと辞めてしまいます。

この水泳というのは、スイミングスクールで、ちょっと泳げるようになりましょうなんてものではなくて、全国大会があるような水泳選手になるためのクラブでした。

その中で、正田さんは、自分を追い込むのが得意な性格もハマったのか、ぐんぐんと成績を上げていき、頭角を現していきます。

学校が終わったらすぐにクラブに行って、何百メートルも泳ぎ続ける、とにかくストイックに自分を追い込んでいきます。とにかく小学校時代を水泳に捧げるくらいの勢いです。

そして、その追い込みの甲斐もあって、クラブの関東大会では、金メダルを獲得するほどの実力となります。

さらに、実力を伸ばし続けた正田さんは、6年生の時にジュニアオリンピックに出場を果たします。

意気揚々と出場したジュニアオリンピックで、正田さんの結果は15位。
惨敗でした。

その時に正田さんが感じたのは、この負けをバネにもっと練習を頑張ろう、なんてポジティブなものではありませんでした。

言うなれば、挫折であり、自分自身の限界を感じたのでした。

正田さん曰く、中途半端な練習をして、この結果ならまだしも、本気でできる限りの時間と体力を費やした結果が、この惨敗。
これだけのことをやっても負けるのであれば、それはもう、勝てないってことだと、考えたのです。

小学生にしてはあまりにも達観した考え方かもしれませんが、それ以上にこの負けが正田さんにとって、衝撃的だったのでしょう。そこにある「才能」としか言いようのないものの壁に、自分の願いが阻まれた瞬間でした。

この瞬間に、正田さんは水泳を諦めます。未練も悔しさもあったのかもしれません。しれませんが、それ以上に現実が、正田さんを水泳から離れさせたのでした。


次は、人生とは、うまくいかないもので、です。


水泳を諦めた正田さんが、中学で選んだのは、陸上でした。
自分を徹底的に追い込むのが得意なタイプだとわかっていたために、個人競技に的を絞り、陸上を選んだのでした。

そこから3年間陸上に没頭した正田さんは、順調に結果を残し、高校では陸上が有名な高校に進学します。その高校は、当時、タータントラックのある競技場ができたばかりでした。陸上に没頭するための環境は整っていました。

入学してすぐに、全国大会で入賞という実績を残すのですが、その後は、怪我もあって、モチベーションが低下していきます。

さらに、スポーツ推薦組と一般入試組とのヒエラルキーのようなものが部活内には存在して、そう行った人間関係にも正田さんは苦しめられるようになります。

部活がうまくいかず、怪我のせいで体も思うように動かすことができないまま、高校3年生の進路を考える時期に。

その時に正田さんは、付属高校に通っていたので、そのまま大学進学をすることも可能でしたが、この環境の外側に出たくて、早稲田のAO入試を受験します。

自分を追い込む性格は、勉強にも向いていたので、陸上だけではなく、勉強のできも良かったのです。そこで受験した早稲田のAO入試でしたが、結果は不合格でした。

高校3年間で、陸上で思うような結果を残すこともできず、目指した大学にも行けず、失意のまま、付属先の大学へと進学します。

大学先では、水泳の経験と陸上の経験を活かそうと、トライアスロンのサークルに入ります。このサークルもまた本格的なもので、学生の全国大会で、3位の実績を持っているほどのサークルでした。

そこで、今度こそ結果を出そうと努力するのですが、またしても、ふくらはぎなど、高校時代からの慢性的なけがに悩まされます。

小学校時代の水泳、中高時代の陸上、大学受験、大学時代のトライアスロン。
正田さんはことごとく壁にぶち当たり続けます。

そして、トライアスロンを途中でやめてしまうことを決意したのです。


最後は、何度でも立ち上がるという才能、です。


トライアスロンをやめることを決意した正田さんは、そのことをご両親に伝えます。

すると、中途半端でやめてはいけない、もっとしっかりやりなさい、と発破をかけられます。しかし、正田さん自身は、足の痛みに耐えながら、競技に参加するのが辛くて、もう限界でした。

競技を続けて欲しいと思っている両親から、「学費を止める」という言葉まで飛び出しますが、それでも、やめるという意思は変わりませんでした。


考えてみれば、小学生の時から、水泳・陸上・トライアスロンと続けてきたことは、それも才能の限界や怪我での不調も抱えながら、続けてきたのは、親や周りの期待に応えようとしていただけじゃないのか、と。

正田さん自身は、そこで自分の意思で決めようと、心に誓います。
そして、本当に学費を止められてもいいように、お金を稼ぐ方法を考え始めます。

初めは飲食のアルバイトを始めるのですが、仕事を覚えるに連れて、もっといろんな仕事がしたくなり、店長と話しながら、色々とアイデアを出すのですが、アルバイトの発言など聞いてくれません。

もっと貢献したい、お店の役に立ちたい、そう思ってもなかなか踏み込めない領域が、正田さんには歯がゆく感じられます。

そこからビジネスについてもっと知らなければと考えて、ビジネススクールに通い始めて、そのスクールで出会った仲間と起業をします。と行っても、初めての起業がそこまで上手くいくわけはなく。。。。

大学にはほとんどいかずに、仕事のことを全力で取り組むにも関わらず、メンバーで集めた資金がじりじりと目減りしていく毎日。そしてどうしようもなくなった時に、大学に行っていないことが親にバレてしまいます。

そこで、何をしているのかの話もした正田さんは、両親にこっぴどく叱られます。それはもうこっぴどく。

そして、ビジネススクールもその時の会社も全部無しにしてしまい、また0からのスタートとなります。

そこから正田さんは、ベンチャーの長期インターンを経験したり、新しく起業をしたりと、へこたれずに精力的に活動をされています。


考えてみれば、「性懲りも無く」という言葉を当てはめれば、物分かりの悪い若者とカテゴライズすることも簡単なのかもしれません。

しれませんが、それ以上に、いろいろな失敗や理不尽や不運に巡り合いながらも、そのあとにまた立ち上がるその姿は、かっこいいと言うしかありません。

そんな正田さんに、こんな質問をしてみました。
安定していない状態や、失敗が怖くないんですか?、と。

すると、同じところに居続けるのは、安定でも安心でもなくて、その方がよっぽど怖いです、と。
それよりも自分の意思決定が自由にできる環境の方がよっぽで安心できる、と。

つまり、どれだけ間違えても、何度でも、自分自身で決定できる、そんな人生に安心を感じているのだそうです。

新しい、若い感性の素敵な輝きに、出会いました。


2019.6.19 正田さん
自由が丘にて

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