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頭がおかしいと思われても、歴史に名を残したい Lunch#73 セイナさん

「歴史に名を残したい」そんなことを言ったら、バカみたいって思われるかもしれませんが。。。

そんな前振りをしながら、セイナさんは、自分のやりたいことを語ってくれた。それはもう大きすぎる話で、たしかに、バカみたいと一言で終わらせようと思えば、終わらせられる話かも知れない。

でも、ふと思ったのは、こんな前振りをしなければ夢を語れなくしてしまったのは誰だろうって。


そんなことを考えさせてくれたセイナさんのポイントは、こちら。
・鬼シャイと負けず嫌いと
・カナダで逮捕されかけて
・モデルとは仕事ではなく、生き様


まずは、鬼シャイと負けず嫌いと、です。


現在、モデルとして様々な活動をしているセイナさんですが、小さい頃から人前に出るのが大好きで、目立ちたがり屋で、というわけではなかったのです。

セイナさん曰く、「鬼シャイ」。とてつもない恥ずかしがり屋で、みんなで写真を撮る時も、隅っこの方で照れ笑いをしているような女の子。

カメラ目線でいえーいなんて間違ってもできないような子でした。

そのため、幼稚園の学芸会でも、ヘンゼルとグレーテルを演じたのですが、役はお菓子の家のチョコレート役。将来、モデルになるような子とはとても思えない性格だったのです。

そんなセイナさんの転機は、小学5年生の時。林間学校でグループになった4人が、可愛いし、モテるし、勉強もできる。そんなスーパーな4人と友達になったのでした。

その中で、1人だけシャイのままだと、逆に目立ってしまう。しかも悪い意味で。そんな状態は絶対にイヤ!とシャイの鬼に、負けず嫌いが打ち勝ちます。

1人だけできないんだと思われたくない。自分だってできる。その思いで4人についていくうちに、前に出ることができるようになっていったのでした。


そのあと、中学2年生くらいから、モデルという仕事を意識し始めます。この時、中高一貫の私立の女子校に通っていたセイナさんは、毎週末に友達と2人で竹下通りに遊びに言っていました。

この時に仲よかった子が、セイナさん曰くとてつもなく可愛い子で、この子に勝ちたいとライバル視していたそうです。

勝負は、名刺集め。事務所の人たちからスカウトをしてもらうのが楽しくて、竹下通りを歩いていたそうです。ちなみに、友達と2人で歩いていても、片方だけが名刺をもらうこともあるそうで、セイナさんは密かにそこを競っていたのだとか。

もちろん、影では雑誌を読んで、ファッション、メイク、マッサージ、ダイエットと色々な研究を重ねながら。

名刺を集めながら、特にその時に具体的なアクションをするわけでもなく、高校に入学。その高校で仲良くなった子が、また特別な子でした。

その子は、運動部のマネージャーをやっていて、可愛いと評判の子で、事務所にも所属していました。そこまでなら中学の時の友達と変わらないのですが、それ以上に、成績がめちゃくちゃよかったのです。

セイナさんが300人中ギリギリ二桁くらいの順位のところを、その子は一桁の常連でした。

そこで、セイナさんは、その友達に突然宣言をします。
「私、あなたを超えるから。」

少年漫画の主人公のようなこの発言ですが、そこからセイナさんは本当に勉強のスイッチが入り、高2の終わりには、学年で6位を記録。友達の子に勝ったのでした。


次は、カナダで逮捕されかけて、です。

大学に入って2年目の秋、セイナさんはカナダに留学をします。モントリオールに8ヶ月間の交換留学でした。

留学期間は1人で考える時間を作れたり、そのほかにはドイツ人の彼氏ができたり、住む場所ではなかなか苦労したり、と海外ならではの経験をたくさんしてきたセイナさんですが。

そもそもカナダに入る前に一悶着あったのです。


成田空港から出発したセイナさん、家族とお別れをして、よし行こうと飛行機に乗り込みます。

セイナさんの乗った飛行機は、直接カナダに行くのではなく、シカゴ経由の乗り継ぎ便でした。まず、シカゴについたセイナさんは、そのままモントリオール行きの飛行機へと乗り継ぎます。

2本の飛行機を乗り継いでやっとの事で到着したモントリオールは、もう深夜の1時でした。

クタクタになって早く予約していた宿にたどり着きたいと思いながら、入国管理局を通過しようとした時に、セイナさんは足止めをされてしまいます。

このビザでは入国できない、と。

クタクタのセイナさんは、パニックになります。いや、この書類を見て、私はこの大学に行くんです、と。就学許可証を見せます。

それを見ても、管理局の職員の答えは、ノーでした。入国できるのは、明日の日付になっている、と。

だから、カナダには入国させられない、一度シカゴに帰り、入国できるまで待ちなさい。最悪の場合は、ビザの取得手続きを1からやり直してもらうから。

そう言われてしまったのです。

セイナさんは、もう泣きたくて泣きたくて、(いや、泣いていたかもしれません)目の前が真っ暗になってしまいます。

そんな状態の中、職員が言ったのは、今日はもう遅いからシカゴ行きの飛行機がない。だから、今日は1度特別にカナダに入っていいから、明日の朝9時にここの電話を鳴らしなさい。そして、そのままシカゴに戻ってもらいます、と。

もし、朝9時に電話を鳴らさなかったら、不法入国者として逮捕します、と。

セイナさんは泣く泣くカナダに入国して、予約していた宿に荷物を置けるだけ置いて、気が気でないなか仮眠をとって、翌朝の9時には、無事にシカゴ行きの飛行機に乗れたのでした。

この事件があって以来、セイナさんはちょっとやそっとでは怖いことがないと思えるようになったそうです。

ちなみに、散々脅された挙句、シカゴについた翌日には、カナダにすんなりと入れたとか。


最後は、モデルとは仕事ではなく、生き様、です。



セイナさんに最初お会いした時に、今何をされているんですか?と聞くと、モデルとか、まあ、そういう感じの。

と少し話しにくそうな感じをされていました。

なんでだろう?とそう思いながら話を聞いて行った時に、腑に落ちたのは、「モデル」という名前がセイナさんにあっていないということだったのです。


そもそも、人材系のベンチャーから内定をもらい、そこで内定者バイトもしていたセイナさんは、卒業してもそのまま会社員をやる予定でした。

その会社は成果主義の会社だったので、どんどん結果を出せば面白いこともできるようになるだろう、そう考えてバイトを頑張っていました。

6月からバイトを始めておよそ3ヶ月が経った頃、演歌歌手のおばさんのコンサートに久しぶりに遊びに行く機会がありました。

子どもの頃からよく知っているおばさんのコンサートだったのですが、その時は見え方が全く違っていました。ステージの上で堂々と歌うおばさんを見て、かっこいいと心が震えたのです。

表現する人、かっこいい、って。いつも見ていたものなのに、今回ばかりは揺さぶられてしまったのでした。

そして、その1ヶ月後、10月1日に就職先の内定式に出席したセイナさん。違和感を覚えます。ここでずっとやっていけないかも。

おばさんのコンサートでの感動、内定式での違和感、この二つを抱えながらモヤモヤしていたところに、トドメの一撃がやってきます。

セイナさんの写真を書籍の表紙に使いたい、というものでした。その瞬間に心が決まります。この道に進んでみよう!って。


この9月に半年遅れで大学を卒業して、フリーでモデル業をスタートさせたのです。(今は事務所に所属されています。)

ただ、モデル業と行っても、やりたいことをどんどんとやってみる。といったほうが正しいかもしれません。ミスコンに出場するというモデルっぽいものから、日本をヒッチハイクで縦断するなんて無茶なものまで。

そしてそんな中でセイナさんが感じたことは、夢に生きたほうがいいってことでした。

自分自身がずっとモデルというキラキラした世界に憧れていて、それをなんとなく押し殺していたけれど、あるきっかけに勇気をもらって、そこからはやりたいことをやる。

そのためにも、歴史に名を残す女性が何をしたのか、どうやって世の中を前進させてきたのかを学び、現代の当たり前を見直す視点を持ち、その中で、夢で生きる姿を見せていきたい。

そんな思いで、今活動をしているそうです。そんなセイナさんが今何をしているんですか?と聞かれて、モデルというのを躊躇するのもよくわかる話です。

セイナさんがイメージしている自分の活動とは、雑誌のモデルのように従来の肩書きではなく、生き方のモデルを提示したいという考え方なのです。


こんな新しい発想をする子が、もっと自由に遠慮することなく発言する機会を作っていけたらいいのに。そう思わされもしたランチでした。


2019.11.1 セイナさん
大崎にて


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