lunch57_千春さん

人生に目的はない、けど、いきたい方向はある。 Lunch#57 千春さん

生まれも育ちも、生粋の沖縄っこの千春さん。
今は、沖縄と東京を行ったり来たりの生活をしています。

実は、千春さんを紹介してもらったのが、去年の12月ころで、やっとの事でインタビューができました。

そんな千春さんのポイントはこちらです。

・いじめられっ子、いじめっ子と親友になる
・島から出てやる
・事業計画は、固まらない・固めない


1つ目は、いじめられっ子、いじめっ子と親友になる、です。

タイトルの通りではあるのですが、よくわからないですね。

千春さんは小学生の頃は、とにかくセミをとっていたとか。
一本の木に密集しているセミの大群に対して、虫取り網でこそぎ落とすようにして、20匹も30匹ものセミを捕まえていたらしいです。

そのセミをどうすると言うわけでもなく、何匹捕まえたかを友達と競っていた。

そんな感じに、ずっと外で遊んでいたから、日焼けで全身真っ黒。
なんてアクティブでアウトドアな小学生だったのです。

アクティブな千春さんは、勉強が苦手で、とにかく遊んでばかり。
そして、おそらく目立つ存在だったのかもしれません。

千春さんがいじめられ始めたのが小学3年生の時でした。

最初は、仲間外れから始まり、陰湿ないじめは少しずつエスカレートし、
いじめっ子グループから無視をされるようになり、しまいには、叩くなどの暴力にまで。

その頃から、両親が千春さんの異変に気付き始めて、問いただすといじめられていると言うことを伝えたそうです。

それに対して、もちろん、両親は怒ります。

怒るのですが、いじめへの対応については意見が真っ二つに分かれます。
父親と母親の間で。

先生・学校に伝えて、対応してもらったほうがいいと言う母親と
いじめられたらやり返せばいいと言う父親。

千春さんを差し置いてご両親が、どっちの対応がいいか、議論を重ねます。
そして両親の言い争いの結果、採用された対策は、父親のものでした。

「やられたら、やり返す」


このような決定がされたことも知らず、いじめっ子たちは翌日も相変わらず。その日は、習字セットを振り回しながら、千春さんにちょっかいを出していました。

習字セットはかなりの重さなので、もしかしたら、おどかすくらいのつもりだったのかもしれませんが、その振り回す勢いそのままに、習字セットが千春さんの頭に当たってしまいます。

その衝撃で、床に倒れこんだ千春さん。
いじめっ子グループは、床に倒れた千春さんを見て、笑い声をあげながら教室を出て行こうとします。

その後ろ姿を、もうろうとする意識の中で、見つめているときに、脳裏に響いたのは、父親との約束でした。

「やられたら、やり返せ。」

最後の気力を振り絞って、千春さんは去っていくいじめっ子グループを追いかけて、思いっきり殴りつけます。

千春さんの突然の反撃をもろに受けたいじめっ子グループのリーダーも、その場で倒れてしまいました。


この事件の翌日、いじめっ子グループが、千春さんの机のところまで、やってきます。

何事かと思って、見ると、リーダーが机の前で、膝をついて、
「ごめんなさい。」と。

そこで初めてちゃんと会話をするのですが、いじめっ子は、塾や勉強でとてもストレスが溜まっていて、そのくせ、勉強を全然せずに楽しそうにしている千春さんにイラついていた、と。

そして、さらに、
「あんた、バカだから勉強教えてあげるよ。」とも。

千春さんは、その言葉を素直に受け入れて、それ以来勉強を教えてもらうこととなりました。そして、千春さんの成績は急上昇。

この二人は、親友となったそうです。
ちなみに、千春さんは中学くらいから、この親友が、自分をいじめていたことを忘れていて、母親に、仲良くしている子にいじめられていたよね、と言われて思い出したとか。

器が広いのか、なんなのか。ものすごい人です。


2つ目は、島から出てやる。

沖縄という土地柄もあって、アメリカ文化に触れる機会も多く、
また、英語好きな父親の影響もあって、

小学校3年生くらいから、英語のラジオを聴いていたとか。

もちろん、全然わからないながらも、聞き取れた単語を辞書で調べては、また聞いてを繰り返していたのだとか。

この影響もあって、とにかく海外への憧れが強く、中学生の時には、青色のカラコンをつけていた千春さん。

中学の近くの高台に登っては、沖縄の向こうの世界へ思いを馳せながら、
「こんな島、早く出てやる。」と強く念じていました。


そんな千春さんの人生を決定付けたのは、中学2年生の時にもらった一通の手紙でした。

1つ年上の女子バスケ部のキャプテンと文通をしていた千春さん。
大好きで、憧れの存在だったその先輩が卒業する時に、最後の手紙をもらいます。

そこには、先輩がアメリカの高校に行くことが書いてありました。

その一言を見た瞬間に、千春さんはこれだ、と決めます。思い込みます。
私も高校になったら、留学をする。

そこから、留学の奨学金制度がある高校を見つけて、その高校に進学。
さらに、その奨学金制度に、高校1年生の時に、応募。

猪突猛進、とはまさにこのことかと言うほどの勢いで、千春さんは、留学へと全力で突き進んでいきます。

その奨学金制度の試験を受けた後に、友達と夏祭りで遊んでいた時でした。
母親から電話を受けて、試験の結果を伝えられます。

結果は、落選。

その瞬間に千春さんは、気づきます。
遊んでいる場合じゃない、と。

と言うのも、この奨学金制度は、1年間の海外留学の費用を全てまかなってもらうものでした。そして、そのハードルが、所属する高校で1位になること。

さらに、自分の高校の試験を突破した1位たちが集まって、試験をして、
沖縄全土で2人か3人だけに、この奨学金が支払われるのです。

まさに狭き門。

自分が落ちたと知った瞬間から、完全にスイッチを切り替えた千春さんは、服装も髪型も一切気にせず、とにかく、受験のことだけに意識を集中させます。

遊びも友達付き合いも、一切を断って。

もちろん、周りの友達からは、つまんないと言われ、馬鹿にされ、
格好がダサいと馬鹿にされました。

しかし、千春さんにとってそんなことは関係ありません。

海外に行くと決めた。それだけを目指して1年間、努力を続け、
念願通り、高校2年生で、海外留学への奨学金を手にしたのでした。

そして、小さい頃からの念願通り、島を離れるのでした。

3つ目は、事業計画は固まらない、固めない。


10年の会社員生活を経て、2年前に千春さんは、フリーターとなりました。
そこから、沖縄のIT会社を手伝ったり、不動産の仲介をしたり、営業代行をしたり。

いろんな仕事をされている千春さん。

この「いろんな」ということが千春さんにとってポイントなのですが、フリーになって以来、経営者の人と話すたびに、小言を言われるそうです。

「自分が何を価値として提供するのか考えなさい」
「そんなふわふわしていたらダメだ」
「10年後に誰からも相手にされなくなる」

こんな風に。
というのも、多くのフリーランス・企業は、何をしているのかすぐに説明がつきます。

ハンバーガーを売っている。スーツを仕立てている。車の部品を作っている。
「何を」がはっきりしている。

だから、頼む人も頼みやすいんですよね。ハンバーガーを食べたい、じゃあ、あそこに行こう、みたいな。

でも、千春さんにはそんなものがありません。そして、そんなことを頭で考えてもどうせ固まらないし、固めない方がいい、と。


というのも、ずっと海外に憧れたり、海外で働きたいと思っていた時に、友人から言われた言葉が千春さんの心に強く残っていました。

「仕事や、何をするか、っていうのは、幸せになるためのツールでしかない。
幸せ、つまり、自分の進みたい方向を見定めてそこに向かっているのであれば、どうやってそこにたどり着くのかは重要じゃない。」

千春さんがこの言葉をかけてもらったのが、もう10年近く前で、それ以来、漠然と考え続けた結果、千春さんの導き出した答えが、こちら。

自分が何をするか、肩書きは何、みたいな自我はさっさと脱ぎ捨てて、
流れに身を任せて、自然体で進んでいけばいい。

その流れの方向だけわかっていれば、到達地点や目的なんてものは、関係ない。
もっと言えば、その方向性に進んでいって、たどり着いた先が到達地点だと。

だからこそ、千春さんの人生には、目的はなく、ただ、進みたい方向だけがある。


自然体で、穏やかに、朗らかに、人生を楽しんでいる素敵な人でした。

2019.6.5 千春さん
田町にて



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