lunch63_篠塚康介さん

無駄なことをするのが、幸せな生き方 Lunch#63 篠塚康介さん

早稲田大学に在学中に、ブロガーとしても活躍中の篠塚さん。
特に、風俗ブロガーとして、特異な存在感を放っている彼。

そんな、篠塚さんのポイントはこちらです。

明るいデブから優等生へ
不純な動機で始めたブログ
意味のないことにのめり込むのは、意味のないこと?


まずは、明るいデブから優等生へ

現在、風俗体験について実名で書かれている篠塚さんですが、
別に小さい頃から、風俗ブロガーを目指していたわけではありません。

幼稚園で一番最初に持った夢は、「弁護士」でした。

当時見ていたテレビ番組「行列のできる法律相談所」を見て、弁護士という仕事の内容もわかっていないまま、そう自分で言いだしたそうです。

それから、小学校に入ると、絵を描くのが楽しくなり、自分の書いた絵が2年連続入選。そうすると、今度はイラストレーターになろう、なんて思ってみたり。

そのあとは、友達に誘われるまま野球をやるようになったので、周りの友達に合わせて、プロ野球選手になる、と言うようになりました。

が、しかし、めちゃくちゃ下手だったそうです。運動が得意なほうでもなく、足も遅く、どちらかというと太っていたからだとか。

そのため、野球よりも、遊戯王のカードゲームや、友達と遊びでやるサッカーなどの方が楽しかったとか。

篠塚さん自身曰く、明るいデブだったそうです。

それでも、野球は中学に入るまで続けたのですが、それからパッタリと辞めてしまいました。

そして、中学に入って、一番最初の中間試験。
篠塚さんは、自分のことを頭のいいほうだと思っていたのですが、
その結果は、110人中55位。

別に悪くもなく、良くもなく、とても普通な結果でした。

しかし、自分のことを頭がいいと思っていた篠塚さんからしたら、この結果は愕然・衝撃以外の何物でもありません。

そこで、篠塚さんは、親に泣きながら頼みます。塾に行かせてほしい、と。
自分の頭の良くないのがどうしても許せなかったのだそうです。

そこから、塾に通って、しっかりと勉強をしていくことで、少しずつ成績が上がり、学内の試験では、一桁の順位も取れるようになったのです。

そして高校受験のときには、偏差値70を超える名門を受験するのです。

コツコツとしっかり努力をして、合格可能性も十分だったにも関わらず、篠塚さんは、受験に失敗してしまいます。第2志望の私立の高校へ進学します。

その高校に入ってからは、さらに負けず嫌いに火がつきます。
とにかく勉強、勉強。高校1年生からいい大学に入ろうと躍起になります。

その甲斐あって、高校2年生時点で、TOEIC700点以上を取ることもでき、着実に自信をつけていくのです。

ですが、大学受験の第一志望、東京大学にはあと10点という僅差で及ばず。
早稲田大学に進学することとなります。
またしても、第二志望へと。

そして、大学に入って気づいたのは、自分のアイデンティティの無さでした。

高校時代までは、勉強ができることだけで、自分の存在価値を確認していましたが、大学には、そんなわかりやすい順位表も偏差値もありません。

もう誰も成績の良さでは、認めてくれない。そして、気づいたのは、勉強が好きなのではなく、原因と結果のはっきりしているゲーム感覚のものが好きなだけだと。

勉強すると成績が伸びる、暗記するとテストができる、その結果、順位が上がり、みんなから褒められる。この因果関係のわかりやすいゲームの攻略が楽しかった。それだけだったのだと。

しかし、大学ではそんなわかりやすいゲームは用意されておらず、原因と結果にこだわっても、自分のアイデンティティは満たされはしないことに気づいてしまったのです。

そんなアイデンティティの危機に直面した篠塚さんが出会ったのが、登山でした。


つぎは、不純な動機で始めたブログです。

登山と同様に、アイデンティティに悩んでいた篠塚さんを救ったのが、ブログでした。どちらも勉強と違って、はっきりとした結果もなく、わかりやすい意味付けも存在しないものです。

篠塚さんが、ブログを始めたのは、小学校3年生の時でした。

当時、大好きだった女の子が、学校で1人だけブログを始めていたことを知った篠塚さん。

ブログを始めれば、好きな子と話すきっかけになるかもしれない!と、考えて、ブログを始めます。

当時、流行っていたアメーバのブログを開設。ピグと言われるアバターを使った空間で、その大好きな女の子と会話するようになります。

ちなみに、その時に書いていたブログは、ピグでの出来事を書いていたそうです。

そこから、中学では、些細な日常について書くようになり、勉強まっしぐらの高校時代は、受験について書いていきます。

そこから、大学に入ってからもブログを書き続け、いまでは風俗ブロガーとして有名に。

実は、小学3年生から、10年以上のキャリアがあるのです。

そんな10年以上ブログを書き続けていた篠塚さんにとって、転換期になったのが1本のブログでした。

篠塚さんは、この一本のブログをきっかけに自分をさらけ出すということ、その恐怖を乗り越えました。

このブログ内でも書かれている通り、篠塚さんがこの詐欺にあったのは、6月でした。そしてエントリーを見てみると9月。

この記事を執筆するのに、3カ月かかったのです。

その時の心境について、篠塚さんは、こんなことを書いたらダメだ、嫌われる、死にたい、書いたら本当にダメになる。そんなことを思いながら、書けずにいたそうです。

それでも、書いた。とにかく全てをさらけ出して書いた。
篠塚さんのこの文章は、とにかく誠実で、感情を吐き出す文章になっています。

そして、これを公開した後に、気づいたのは、人のことを誰もそんなに気にしていないってことでした。あれだけ怖くって仕方なかった、自分の恥をさらけ出したけれど、誰も自分のことなんて気にしていない。

この時からが、篠塚さんの本領発揮です。自分のことを丁寧に惜しげも無くさらけ出します。風俗に行ったことも、家族との確執も、彼女のことも。

さらけ出すことによって、自分を自由にしていったのです。


最後は、意味のないことにのめり込むことは、意味のないこと?


前にも書いた通り、大学に入った時に篠塚さんは、アイデンティティの危機に直面します。それは、自分が真面目に勉強を続けて成績を上げて、いい大学に行き、いい会社に入ることが、自分にとって最高の人生だと信じてしまっていたからでした。

母親の影響によって、このいい大学、いい企業というレールを走り続けることが最適解だと、信じて疑わなかったのが篠塚さんの高校卒業までだとすると、

その神話に疑いが生まれたのが大学入学直後でした。そこから大学の友達と好きなことを、できる限り意味のないことをし続けていったのです。

その一つのきっかけが登山でした。

大学入学少し前に、篠塚さんは友人とママチャリで筑波山へ行きました。
およそ片道60キロの小旅行。

大学入学まで春休み中、なんの気もない思いつきで行われた小旅行。帰ってきたときは、あまりものしんどさに、疲れ切ったものの。

そこからさらに数日が経った時に、なんとなくあれ楽しかったな、と筋肉痛の両足の痛みとともに思い出したりしていたそうです。

そんな経験もあって、大学に入ってからはなんとなく気が向いた時に山を登るようになったそうです。ただひとりで登って、携帯電話もつながらない場所で、自分のことを考え直したり、友達と馬鹿話しながらとにかく歩き続けたり、山頂でぼーっとするだけの時間を過ごしたり。

そんな時間を楽しむようになっていたそうです。

その理由は、高校時代までに散々とやってきた勉強ゲームとかけ離れているものだったから、だそうです。

登山は、歩いて、山登って、疲れ果てて、降りて帰ってくる。
勉強のように、テストもなければ、達成度を評価する指標もない。ただ、登るだけ。その意味のなさに惹かれていきます。

この無駄なことをしていることが幸せ、そう教えてくれました。

そして、この無駄なことをしようという感覚は、あのブログの公開から加速していきます。人の目を本当の意味で気にしなくなった篠塚さんは、自分がやりたいことを、純粋にまっすぐにやっていきます。そしてその丸裸の姿を、恥ずかしげもなくさらしています。

それは世の中や社会としては意味のないことの積み重ねかもしれません。

そんな生活を続けることに怖さはないですか?と聞いたら、
今生きていて楽しいから、なんとかなると思っています。
そうまっすぐに答えてくれました。

自分に正直であり、さらに社会に対しても正直にさらし続ける。そんな篠塚さんの素敵な生き様を教えてもらえました。

2019.7.24 篠塚康介さん
早稲田にて

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