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「諦め」で得られる幸せとは

この間、「日本人は働きすぎでは?」と考えさせられる動画を見つけました。

動画で紹介されていたのは、タンザニアのブンジュという村。この村の思想に「諦められる時間が来ることの幸せ」があるらしいのです。

ブンジュ村には電気が通っておらず、日没には真っ暗になってしまう。だから15:30には帰宅しないと家族の顔が見れないとのこと。
たとえ仕事が残っていたとしても、定刻になれば家族の顔を見るために必ず帰宅する。

「あと30分だけ頑張ろう」などの向上心は持たず、大切なもののために割り切っているからこそ、幸福を感じられるのだそう。そんな「諦め」を習慣化し、当たり前としている。

ただ、おそらくブンジュ村の人たちは15:30での退勤が決まっているからこそ、生産性が高いのではないかと思います。

また、これは私の憶測ですが、早朝から仕事を始め「今日はここまでやりきろう」と毎日のノルマを達成することで、仕事に対する充実感も得られる。
そのため、ブンジュ村の人たちは「諦めている」という感覚すらないのではないか。ただメリハリをつけて仕事をしているだけなのではないか、という印象を持ちました。

動画を詳しく見たい方は、下記からどうぞ!

日本人は「諦め」という言葉に対し、よくない印象を持つ人も多いはず。しかし、努力しすぎるあまり、大切なものを見失ったり、体調を崩したりする人もいるかもしれません。

やるべきことや目標に対して一生懸命になりすぎて、視野が狭くなるのはよくないなあと感じます。

それと同時に、「それでもやっぱり私は日本人だなあ」と思ってしまいました。

目の前で頑張っている人がいたら私も一緒に頑張りたいと思うし、時間をかけてでもみんなで一つのものを作り上げたいなら、夜遅くまで仕事できちゃう。

「少しでも良いものを作りたい」
「どうしてもこの日に間に合わせたい」
「絶対に成功させたい」

この思いでがむしゃらに仕事に取り組み、達成できたときの喜びって、他には変えられないくらいの幸せなはのでは?と思います。

「今月の目標達成できないやばい!」と言いながら必死にアプローチしまくって、目標達成した後に飲む同期とのお酒はなんと美味しいことか。

移動時間に往復14時間もかけた営業先での商談が上手くいき、その帰りの飛行機から見た景色はなんと綺麗なことか。

諦めることで手に入る幸せがあるのだとしたら、諦めないことでしか手に入らない幸せもあると思います

そして、諦めることでしか得られない幸せもないはずです

目標達成に向けて突っ走ることで幸せを感じられるならば、大切な人をとことん大切にする時間もとればいいじゃないですか。
どちらかを選ばなければいけないということではなく、私はどちらも両立できると考えています

もちろん、仕事にのめり込みすぎて視野が狭まるのはよくないですが、全てをほどほどに、いい感じに大切にできたらいいですよね。

私は大切にしたい人の思いは全員分大切にしたいし、頑張りたいし、そして家族も大切にしたい。
というか「何も諦めたくない」です。笑

という結論に至ったところで、やっぱり私は日本人だなあ〜と思うし、何かを突き詰めることは悪いことではないとも思います。

人それぞれ、大切にしたいものの優先順位は異なるので。自分にとって優先順位が高いものに、時間を使えばいいと思うのです。

最近は内省したことをちゃんとアットプットできていて、体が軽くなっているような気がします。(実際は疲れが取れないので、ど平日の昼間にベッドに横たわっていますが)

それではまた〜!

疲れ果てた営業の帰り。いい景色すぎた。
歩き疲れた合間に食べたクロックムッシュ。幸せすぎた。

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