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いつもより星が綺麗に見えた日

営業時代、頑張る意味を見失った時期があった。

声をかければかける程、無視される。
新規開拓するほど、不機嫌にドアを閉められる。
提案するほど、断られる。
営業すればするほど、心が痛む。

別に、この商品を売りたいわけじゃない。
自分の成績になったって、たいしたインセンティブにならない。

「だったら最初から、営業なんてしなければいいのではないか」

名案だった。

それからというものの、仕事をさぼりまくった。
営業に出かけるふりをしては、カフェに行ってぼーっとする。
転職サイトを眺めながら、別にやりたい仕事なんてないしなあ。と思いながら。

私には特別スキルもないし、やりたいこともない。
はあ、社会不適合者だ。ため息をつく。

サボっているから当たり前に成績も上がらなくて。
サボっていることも、やる気がないことも、上司にはバレバレだった。

だから、一応申し訳ない気持ちになり、上司に「辞めたいです」と言った。

そしたら、課長が出てきた。

課長は、みんなから慕われる唯一の上司だ。
当然、私も尊敬していた。
これまで何度も救ってもらったことがある。
でも、もう頑張れなかった。

だから、どんなことがあっても「辞めたいです」と言い続けた。

すると課長は、「1ヶ月だけ私にちょうだい。辞めるかどうかは、その後決めて」と言う。
「1ヶ月経ったら辞めてもいいんですか?」と聞く。
「それはそのときに決めればいいから!」と譲らない課長。
だから私は、「まあ・・・そんなに言うなら」と答えるしかなかった。


それから、課長との1ヶ月が始まった。
私は、1ヶ月後に辞めることしか考えていなかった。

でも、課長は、「営業の楽しさを教えてあげるから」と、私を連れまわした。魂が抜かれた、まるでマネキンみたいな私に、楽しそうに話しかけながら。

私、辞めるんだから。
そんなに頑張らないでよ。
変に辞めにくくさせないでよ。

そんな気持ちでいっぱいの私にはお構いなしに、課長は毎日私の面倒を見た。通常の業務で一日があっという間に終わるはずなのに、毎日私の営業についてきた。

ある日、課長と大嫌いな新規開拓をした。
「やりたくないです」と私が言うと、「じゃあ私がやるから見てて」と課長は言う。

課長の営業は、すごかった。
一瞬、相手が嫌な顔をしても、課長はひるまなかった。
開拓先の方は、いつの間にか笑顔で話してくれるようになった。

「相手が嫌な思いをしないよう気を遣いながら、でも言いたいことは言う」

そんなことができるのか。
衝撃が走った。

相手を楽しい気持ちにさせながら、こちらの要望を伝える。
営業って、こういうことなんだ。

ちょっとだけ、本当の営業を知れた気がした。
だからと言って、辞めたい気持ちは変わらない。

私は金曜日になると、電車で1時間の距離にある、恋人の家に行くのが当たり前だった。
やる気がないときは、営業に行くふりをして、早い時間から電車に揺られていたのだ。

だから、彼の家の最寄り駅につくのは、だいたい18時や19時だった。

でも、その日は金曜日なのに、いつも通り課長がついてきた。

はあ。はやく解放してくれないかなあ。
と思いながら、仕方なく営業先に向かう。

すると課長が、今日の目標を課してきた。
「アポ3つ取ったら、どんなにはやい時間でも帰っていいよ」
と言うので、適当にアポ取ってさっさと帰ろ・・・と思った。

でも、なぜか今日は思ったよりもアポが取れない。
いつもはもう少し調子いいんだけど。

営業は、調子がいいときと悪いときの差が激しい。
自分の話し方や態度のせいなのかもしれないけど、目に見えない波がある。

思いのほか、遅い時間になっていた。
いつもならもっと早くアポをもらえるのに、今日はどうしても無理だった。

あと少し。あと少し。
あと、もう一人だけ声をかけたらアポをもらえるかもしれない。

とにかく目標を達成するために、声をかけ続けた。

そして。
念願のアポ3つを達成。

課長がすごく喜んでくれた。

「私は別にそこまで嬉しくないけどね」とひねくれた気持ちになり、早く電車に乗らなきゃ。と考えていた。

課長は「今週もお疲れ様!週末ゆっくり休んでね!」と言った。
「こちらこそ、ありがとうございました」と、その場を去った。

はあ。
いつもより遅くなった。最悪。
時計を見ると、もう19時半。
恋人の家につくのは、21時くらいか。
とにかく疲れた。
久しぶりの疲労感を感じながら、電車に揺られた。

電車を降りると、辺りはすっかり暗くなっていた。

彼はまだ仕事中。
だからいつも自転車で彼の家まで向かっていた。

はあ。
さむい。
疲れた。
自転車こぎたくないなあ。

どこかいじけた気持ちを駅に置いてこれないまま、彼の家まで向かう。

自転車をこぎながら、なんとなく空を見上げた。

すると、先週はなかった星空が広がっている。

そのとき、私の体中を、何かが大きく動き出すような感覚があった。

そう思っていたのも束の間で、次の瞬間には涙が流れていた。

「ああ、なんて綺麗なんだろう。」


もっと情緒的な表現ができたかもしれないけど、綺麗以外の語彙力がない私には、それが精一杯だった。
だけどやっぱり、それは「綺麗」そのものだったのだ。

今まで見たことがないくらいの満点の星空だったから、こんなにも感動したんだろうか。
それとも。
達成感を感じた後だったから、なのだろうか。

どちらにせよ、素晴らしい景色を見られたことに満足した。

私はその日、心の中に生まれた充足感に浸っていた。
ずっと何かで満たされている、そんな感覚。


それから課長は遠い地域に異動になった。

1ヶ月私を連れまわして、そんな無責任なことがあるのか。
納得がいかなかった。
課長がいなくなって、残された人たちはどうすればいいのだ。
私だけではなく、みんながそう思った。

課長がいなくなったら、私と同じように頑張れない人を、誰も守ってくれないじゃないか。

だけど私は、営業を続けた。

別に、課長が1ヶ月面倒を見てくれたからではない。
そこに恩を感じたから、でもない。

ただ、営業が楽しかったからだ。

「営業は楽しい」と、誰かに伝わればいいなと思ったからだ。

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