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離婚して自分の人生を生きていく①


初めまして!

やっと離婚が成立した。
ここまで来るのに、想像以上の時間とお金がかかってしまった。
今思うことは、よく自分はここまで頑張ったなってこと。
精神的にも、経済的にもキツかったけど、私にはこの選択肢しかなかった。
自分の人生を生きるためには、、、

長く苦しかった戦いも、時間が経てば忘れてしまう。
こんな経験はあまりする人はいないかもしれないから、自分にできることとして
記録として残しておきたくなった。
私が裁判する前に、周りに離婚裁判した人なんていなくて必死に情報集めてた時、離婚裁判の経験をしたブロガーさんの記事にかなり助けてもらった。
自分の先をいく人たちが同じ経験してると思うと心強い。
私も少しでも知らない誰かの助けになればと思って書き始めている。

主な登場人物について

私(徳井ユイ)のこと

元々は自由人。結婚後から、〇〇すべき、〇〇らしさ、に囚われ始め苦しむ。
離婚決意の中で、色んなものを手放し、再び自由人マインドが戻ってきた。
結婚生活の影響で、買い物とギャンブルが苦手。ミニマリスト。
ワーキングマザー。仕事は嫌いなのに手は抜けないタイプ。人見知り。

元配偶者(徳井ソウ)のこと

営業職で口が上手い。息を吐くように嘘をつく。お金と子どものことにすごく執着する。実家暮らしの時から貯金ができない体質。ロマンチスト。気分の波が激しい。物が捨てられない。こだわりが強い。名言は俺の金が欲しいなら土下座しろ。

娘(徳井アイ)のこと

小さい頃から頑張り屋さん。両親にも気を使い、学校でも頑張りすぎた結果、学校に行けなくなり、父親にも会えなくなる。家の中で自分の好きなことだけをして過ごしながら、少しづつ回復中。思春期反抗期に突入し、度々母を驚かせる。

第一章 別居は突然に

子どもが産まれて3年経った頃には、家でお金の話ができなくなっていた。私の元配偶者・徳井ソウとは、まともにお金の話ができない。彼の趣味は競馬。そのせいで家にはいつもお金がなかった。そうは言っても、生活はできていたからマシだったのかもしれないけど、娘も産まれて親として子どものためにしっかりしなくては、と当時の私は責任感に燃えていたのかもしれない。そして、周りに幸せになるんだと約束したからには、幸せそうに見えるよう取り繕って日々を過ごすことに必死。仕事をしている時、子どもと遊んでる時、常にお金のことばかり考えての生活。すごく疲れていた。

ソウの仕事は営業職。私は医療職で一般企業での就職経験がない。営業職の仕組みとして、自腹で持ち出しの支払いがあったり、会社から経費精算してもらうまでに時間がかかったり、立て替え支払いなど理解できない仕組みについて、ソウから説明されそのまま納得せざるを得なかった。「お客さんの支払いを立て替えたから、返ってくるまでお金がない」「接待費を立て替えていて、経費精算してもらうまでお金がない」具体的にはこんな感じで話をしてきて、最終的に「ちょっとお金貸して」となるわけだ。

初めは仕方ないなという感じでちゃんと返してねと言いながら貸していたが、返ってこなかったり、同じようなことが続いてくると、だんだん不信感が強くなってきた。そして、お金がなくなる本当の理由を知ることになる。ソウの預金通帳を見たからだった。

          『ーーーJRAソクPADーーー』

記帳される上記の文字、皆さんは知っているだろうか。私はギャンブルに疎いので全く知らなかったが、競馬をスマホのオンライン投票で楽しめるサービスだそうだ。記帳ページを埋め尽くすこの文字を見て、ソウが初めて競馬でお金を使っているということがわかったし、その異常な使い方に嫌悪感が込み上げ、吐きそうになった。

その後、お金の使い方について話し合おうとしたり、ソウの両親に頼んで説得してもらったり、ソウが「もう絶対競馬はやめる」と言ったこともあったけど、2〜3ヶ月後にはお金が足りなくなるということが続いた。そんな中で、ソウの偏った金銭感覚が発覚。自分の稼いだお金をすべて自分が使えないのはおかしい、という価値観。そんな中で出た名言は「俺の金が欲しいなら土下座しろ」。生活費が足りないから、ちゃんと入れて欲しいと頼んだ時の彼のセリフだった。

もっと早い段階で逃げればよかったのに、と今なら思うけど、その時はそんな精神状態じゃなかったんだと思う。自分は我慢強い性格だった、昔からよく褒められたし、我慢て良いことだと思ってた。でも、自分の気持ちを抑えることを常習化させるのは危険なことだと思う。

我慢しているうちに、ゆっくりゆっくりその環境に慣れてしまう。慣れてしまったら、さらに強い我慢にも耐えていく。我慢しなくていいことまで我慢できてしまい、それが続くと諦めになる。自分も気づかないうちに、私の思考はおかしくなっていった。ソウにお金を使い果たされて、一緒に死んでいくのかな、いっそ死んだほうが楽なのかな、とか完全に鬱病一歩手前だった。

我慢してしまった理由に子どものことがある。ソウは子どもの面倒をよく見ていたし、子どももパパが好きだったと思う。お金のことは子どもには関係ないし、そのことだけで、子どもとパパの日常を変えてしまうのは、私の我儘なんじゃないかと思っていた。そんなことはないと、今だったらわかるんだけど。

しかし、ずっと赤字が続いていた我が家でお金が足りなくて積立貯金をどんどん崩していた。最終的に積立貯金20万になった時に、これはヤバい、と思った。次にもしソウの「お金貸して」が出ても、もう出せない、絶対に断ろうと心に決めていた。断ったらどうなるか、怒り出しそうだなとは思っていたけど。

そしてついに、その日がやってきた。お金が足りなくてクレジットカードの支払いができない、明日までに銀行預金に入金しないと引き落とせなくてブラックリストに載ってしまう。確かそんな理由だったと思う。金額も忘れてしまった。
「本当にお金がないので、もうこれ以上渡せません」このように伝えたと思う。

するとソウは、顔を真っ赤にして騒ぎ出した。どうすんだよ、もう終わりだ、お前も困ることになるぞ、などなど。どんなに言っても、私がお金を出す気配がないので、金額がどんどん下がって、最終的には1万円になっていた。

そこから数日間、1万円を要求し続けてくるソウと、無理です渡せません、と伝える私。何回目かのやりとりの時、互いにヒートアップしてきて、ソウが大声で怒鳴ったことから、子どもが怖がり泣き出す。

私は、その時は子どものためにもここにこれ以上居ることはできない、と思って、あらかじめまとめていた荷物を持って家を出ようとしていた。しかし、腕や肩を引っ張って連れ戻される。引っ張って、床に転がされる。腕も痛い、肩も痛い、足も痛い。それを何回か繰り返していた。

その日は窓が空いていて外から心配したご近所の方から「大丈夫ですか!警察呼びますよ!」と声を掛けられる始末。それを聞いたソウが「あ、警察呼ばれた、もう終わりだ、、、」と力無くうなだれてる隙に、子どもと二人で家を出た。

あれだけ子どもが懐いていたと思っていたが、とても怖がっていて震えていた。私も怖かったくらいだから、子どもにとっては相当だったと思う。これ以上、両親の争いを小さな子どもに見せるべきではない。行く宛は無かったので、ひとまず近場のホテルをスマホで検索。なんとかその晩は凌ぐことができた。

そんな感じで、私の別居は突然に始まった。詳細は書けないけど、この間に相談に乗ってくれていた人たち、励ましてくれた人たちがいて、断る勇気、逃げる勇気を私にくれた。一人ぼっちでは何もできなかった私は、そういう仲間に本当に助けてもらったし今でも感謝している。


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