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旅とアート

2017年、ゴッホ展に行った。高校生だった。2022年、フェルメール展に行った。メキシコに行く前の日だった。どちらも札幌の近代美術館だ。

フェルメールの作品はただただ光が美しかった。ゴッホの絵は迫ってくるようでちょっと怖かった。どちらも感動したけれど、異国の芸術だった。距離を感じた。素敵だけれど、遠かった。

あの頃は想像もしなかったが、私はいま彼ら縁の地、オランダにいる。初めて訪れたのは去年の秋だった。5日ほどの滞在でいちばん心躍った瞬間がある。電車に揺られ外を眺めているとき、急に、ゴッホが私に近づいた。

その前日はゴッホ美術館でひまわりやら自画像やら、とにかくゴッホ漬けになった。ちなみに私は花咲くアーモンドの木が好きだ。ひまわりはちょっと怖すぎて家には絶対に飾りたくない。ついでに言うと一番見てみたいのは星月夜だ。ニューヨークにある。

ゴッホ美術館は良かった。でもやはり遠かった。心理的に距離がある。好きとか嫌いとかでもない、何かがあるんだ。

次の日、デルフトから戻る電車で、その瞬間は訪れた。人気もまばらな車内に差し込む西日を背に、線路沿いの木々は色濃く浮かび上がった。その木々の様相は、ゴッホが描いた絵そのものだった。

木のちょっとしたうねり。背景にある田園風景。どこまでも平らな土地。暖色の町並み。街の中心にある教会。

この国の日常を形作る、そんな小さな要素要素を見たとき、ゴッホは限りなく私に近づいてきた。彼を通して世界を見た気がした。

距離を感じていたのは、私が彼の生きてきた世界を見たことがなかったからだ。気候も近いし似た景色もあるけれど、やはり細部が少しずつ違う。そういう違いが、私にとってアートを楽しむ障壁になっていたみたいだ。

今回のオランダ滞在、1ヶ月間住むことになったのは古い家だ。ネズミも暮らしている。昔からの典型的なオランダの住居らしい。

ここに来て次はフェルメールが近づいてきた。あの光。家の中に入り込む光とそこに佇む人間。あれは大きな窓を持つオランダの住居があってこそだ。日本ではああはならない。この家に住んでいると、毎日フェルメールの、窓辺で手紙を読む女を思い出す。

アートはまだまだよく解らないし、知識も浅い。そんな私にとっては、作品が作られた場所に行くというのは大きな意味を持つ。色もタッチも配置も、どこか納得させてくれる要素が、その土地には必ずある気がする。

知った気になっているだけかもしれない。それでもいい。ピンと来ない絵があるなら、描かれた世界に行ってみる。きっとなにか感じる。そして世界の見方が一つ増える。

するとこの間は佐渡島でゴッホっぽい木をみつけた。オランダに行っていなかったらこういう見方はできなかった。小さな発見でニヤニヤする小さな幸せ。

これだから旅はやめられない。

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