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猫好きの遺伝子

またどっか行くのかお前。と睨む実家の愛猫を横目に荷造りを終え、ルーツを辿る旅に出た。

薩摩。私のルーツはここにあるらしい。薩摩藩主を代々務めた島津家の家系図、イエメンの竜血樹の如く幾重にも広がり枝分かれするその新芽の先に私がいるわけである。

気づけば大人と言われる年齢になった。それなりに酸っぱかったり苦かったりもするここ数年間が、何だかんだ私の生物としての厚みを1mmくらいは育ててくれたようで、少し前には感じられなかったものを感じられるようになった。

土地や人との相性。空気感。時間の流れ方。

心地よいと思える場所がわかる。行くべき場所がわかる。出会う瞬間すべてに関心を向けることができる。世界が偶然だけで回っていないことが今はわかる。

しかし鹿児島に来て感じたのは異国感。北国生まれの人間にとってやっぱりここは南国だ。もう桜も咲き始めている。ルーツとはいえ、故郷の香りはしなかった。

いずれにしろ旅は旅だ。楽しもう。と思いつつ仙厳園へ向かう。島津家ゆかりの地で、歴史館も併設する施設だ。Googleマップを開くと仙厳園への道中に猫神社なんてのもある。これは行くしかない。ふらふら旅に出がちな私に悪態つく愛猫の顔が浮かぶ。

猫神社を示す場所に辿り着いた。驚いた。猫神社は仙厳園の敷地内にあるらしい。島津家が猫を祀っているということか。まさか。

仙厳園に入る。清々しい。すっと体が軽くなったように気持ちがいい。島津家が使っていた御殿に足を踏み入れる。奥に進むと現れる角部屋。外向きの二方の引き戸は開け放たれ、ひょいと飛び降りればすぐに外に出られそうな開放感だ。広がるのは美しい庭園と、その奥に広がる海、そして桜島。鼻を抜ける畳の香り。心地よかった。ここにいたいと思った。

私の遺伝子はこの地をホームだとは認識していないけれど、遺伝子レベルで好きな空間は似ているのかもしれない。だから彼らもこういう空間を作ったんだろう。そう思った。

そして猫神社へ。島津家の人々は代々猫を大事にしたそうだ。朝鮮出兵に猫を同伴し、猫の瞳孔の開き具合から時間を予測したこともあった。そして猫好きというのも間違いないらしい。

なるほど私の猫好きは遺伝子レベルで染みついていた訳だ。考えてみれば父もばあちゃんも猫好きで、怖いくらいだ。

思えばはじめて佐渡へ渡ったきっかけも猫だった。となると今の私は猫のおかげで存在していると言ってもいい。私は猫を愛し、猫に愛される運命なのかもしれない。

九州旅の終盤立ち寄った宮崎の神宮で黒猫ちゃんに出会った。かわいいねえと近づき愛でる。
実家のわがまま猫は元気だろうか。名前はさくら。そういえば仙厳園は桜島が綺麗に見えた。

桜島を臨む先祖縁の地。そこにある猫神社。愛猫のさくら。私が先月決めたビジネスネームはさくらゆい。桜咲く季節にさくら溢れるこの旅がひたすらに愛おしい。

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