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心の豊かさと、心の貧困

今、人々は豊かなのか

あらゆる商品・サービスが大量に存在する昨今。「便利」「発展」「進歩」というのは、何を基準にした言葉なのだろう。それらは、必ずしも全人にとって「幸せ」なのだろうか。

この頃は、食糧危機、経済危機などという言葉をよく聞くようになった。脅かすような情報発信の仕方をしている人達もいるものだから、悲観的な意味合いで「戦時中のような、物・食べ物・金の不足した暮らしになるのかなぁ…」なんて考えたりもした。

でもいや、ちょっと待てよ、そういった暮らしが必ずしも不幸というわけじゃないはず。

自給率は低いのに飽食で、食べ過ぎや不自然な食生活による健康問題。
「便利だから」「壊れたから」「安いから」とホイホイ新たなモノを買い、まだ使えるのに修理もできず、飽きたからと捨て去る。
収入の桁数や稼ぎ方で必死に争っているようなサービス、人の恐れや不安につけこむ商売。
どれも、どこか虚しさや冷たさを感じる。

私たちは、便利な物はたくさん持っているし、情報とは常に繋がり放題だけれど、空白の時間はあまり存在せず、コロナ禍もあって(コロナの前からだけど)、人との心のつながりがはかなく壊れやすいものになっているのを感じるのは、私だけではないはずだ。

ホントに恐るべきものは

食糧危機も経済危機も、地球環境破壊による自然災害の問題と同様、「あなた達人間のその生き方、もう限界ですよ」と教えてくれるものなのかもしれない。

「危機」と言うと、恐ろしい、避けたい危険のような印象があるけれど、誰にとっての、どんな「危機」なのだろう。
自分にとって、本当に恐るべきもの、避けたいことは何だろう。

逆に、これまでの物質的に豊かな世界の前提をとっぱらって考えてみたら、自分が求める暮らし、幸せとは何だろう。

いのちの恵みと循環を尊重し、自分もその中の一部であることを感じながら「生かされている」ことに自然と感謝できること。
あるものを大切にして、そこからまかなう、作り出す、工夫して暮らす知恵を持つこと。
必要なものが必要な人に提供され、双方が喜びを分かち合って満足できる関係性があること。

それらは、すべて、私にとって、心の豊かさにつながるものであると思う。

私にとっての本当の危機は、心の豊かさが失われた生き方をすることだ。
すなわち、心が貧困状態であること。

自分の頭で考える大切さ

心の豊かさは、物質的な豊かさと直結はしない。周りの出来事にも振り回されず、自分の内側から生み出すことができるもののはず。

現代社会では、人々は溢れる物・サービスに癒しを求め、多くのタスクを抱えて時間に追われ、自立・個人主義がもてはやされる風潮を感じる。

もちろん、幸せや豊かさの概念は人によって違うけれど、自分にとってのそれがどういったものなのか、既成概念をとっぱらって、自分の頭で考えることが大切だと思う。その上で、個人の行動が決まってくる。

集団の中で生きていると、つい、周りに流されたり、溢れる情報に翻弄されたり、考えの異なる人々と対立したり、そんなふうな弱さも持つ私たちだけれど、それを認識するのとしないのとでは、状況が変わってくると思う。

人はみな、幸せ(心地よさ・満足感・安心などとも表現できる場合も)を求めて生きているのだから、来たる食糧危機や経済危機を乗り越える過程や乗り越えた後も、そういった幸福感とつながっていないならば意味がない。

じゃないと、ただ「死なないため」に生きるだけだから。

とはいっても、今はまだそこまで鬼気迫る状況ではないから、そんな悠長なことが言っていられるのかもしれない。

でも、だからこそ、心にも余裕がある今のうちに、自分にとっての心の豊かさを問い、その上で、できることをやっていきたい。

まとめ

今日は、文調をちょっと変えてみました。今回はの内容は、その方が書きやすかったので。

ここまで読んでくれた方がいたら、ありがとう。あなたにたくさんのハッピーが降り注ぎますよう。


画面の向こうのあなたに届いてほしい、感謝の気持ち。 ラッキーとハッピーは、優しさとなって循環しますね^^