『湯を沸かすほどの熱い愛』– ただ悲しいだけじゃない、温かい家族の物語。~ 書く習慣 day 9 ~

9日目のテーマは「最近泣いたこと」。
幸せなことに、ここ最近、悲しい涙や悔しい涙は流していない。なので、温かさで心がじーんとなって溶け出てきた涙のことを書き留めておく。

映画『湯を沸かすほどの熱い愛』。
映画を見てこんなにボロボロ泣いたのはいつぶりだろう。

注) 以下、ネタバレを含みます。


あらすじ:

夫に家出され、パートに励む女性。家業の銭湯も長らく休業していたが、持ち前の明るさで腐らずに娘を育てていた。そんなある日、突然倒れた彼女は余命2ヵ月と宣告される。彼女は残された日々でやるべきことを決め、実行していく。
google 映画

あらすじだけ読むと、主人公が病気で亡くなって悲しい系な映画かと思う。
でも違った。
家族のカタチをガツンと問いただしてくれるような映画だった。

涙腺崩壊ポイントは4箇所くらいあったのだが、中でもいちばんわたしの心に刺さったところがある。

(実の母に捨てられた7歳くらいの子供が) 涙を流しながら、
「どうか、できればでいいのですが、この家に居たいです。でも、でもまだ、ママのこと、好きでいても、いいですか?」

と絞り出すように新しい家族に告げるシーン。

わたしは子供の頃、両親の離婚と再婚を経験した。ちょうどこの映画の女の子と同じ年の頃。離婚してから今まで、実父とはずっと会えていない。

新しい父のことはとても好きだった。祖父母も親戚も、とてもよくしてくれた。今では「お父さん」というと迷いもなく新しい父のことを思い浮かべる。

でも、再婚した当初からずっと、どこかで実の父のことを気にしていて、気にしていることで新しい父に、母に、新しい父がもたらしてくれた祖父母や親戚たちに、後ろめたい気持ちを持っていた。

実父のことを好きな気持ちを掻き消そうと、恨んでみようと、憎んでみようと思ったときもあった。
でもそんなの全然自分の気持ちじゃなくて、苦しくて、悲しくて、新しい父も実の父も好きで、会えないという事実だけが本物で、もうほんとにわけわかんない気持ちしかなかった。

あの頃のわたしは、自分の気持ちを表す言葉を知らなくて、ただただ涙を流すだけだった。
でも、この映画は、あの頃のわたしの気持ちにそのセリフを与えてくれた。

まだパパのこと好きでいてもいいですかって、言いたかったんだ。

実父に買ってもらった、小さな赤いポシェット、何度も捨てようと思ったけどずっと捨てられなかった。

このポシェットはもうずっと、大切に持っていていよう。

いつかわたしの言葉がパパに届いて、会えるその日まで。

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