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ライターを続けるために、才能よりも必要なもの

日記ではなくほぼ年記になりつつあるこのnoteですが、去年からライター仲間と企画・実施している #ライターアドベントカレンダー に今年も参加するべく、ついに! 重い腰を上げました。

25日までさまざまなジャンルで活躍しているライターさんが日替わりで記事を書いていくので、ぜひのぞいてみてください!

さて、この記事を読んでくださる方の中には同業であるライターの方、もしくはライターになりたいと考えている方もいらっしゃるのでは。

皆さんは、どうしてライターになりたい/なろうと思ったのでしょうか? 書くことが好きだから? 得意だから? なりゆきで? 100人100通りの理由がありそうです。

私はライターとして仕事を始める前、始めた直後はわりと自信を持って「書くことが楽しい! 好き!(それに、ちょっとだけ人より得意な気が……する!)」と思えたし、言えました。

ライティングでお金をいただくようになってから4年が経った今はどうかというと、もちろんその気持ちがなくなってしまったわけではないけど、簡単に「好き! 楽しい!」とは言えなくなってしまったような気がする。

むしろ、書けば書くほど、書くことの難しさを痛感するようになったし「ライター向いていないな……」と思う場面のほうがずっと増えました。

私のようなインタビューライターは基本的に「誰かの言葉を預かり、届ける」仕事をしています。

「この素敵な話を早く届けたい」「私だから伝えられることがあるはず!」と希望に満ち満ちて原稿に向かえるときもあれば、「この原稿で、クライアントやインタビュイーの魅力を本当に伝えきれるのか?」と頭を抱えて、もう書き終えられないかも……と絶望するときもある。というか現状、圧倒的に後者の時間が長い。

仕事としてお受けする以上、必ずお相手の期待に応えることは前提として、原稿を提出するまで……いや提出してからも悩みは尽きません。

じゃあ、どうしてライターを続けてるの?

前置きが長くなりましたが、ではなぜライターを4年も続けているのか。改めて考えてみたのですが、こんな答えになりました。

楽しいだけでなく、しんどくて出来ないと死ぬほど悔しくて諦められないこと、今の私にとってはそれがライティングだから。です。

だから今は、「楽しい」よりも「諦めたくない」が仕事の原動力になっている。この「諦めたくない」って、根が怠惰で根性なしで飽きっぽい私にはあまり発生しないレア感情だったりします。

そういえば、私が最初にライティングを学ぼうとスクールに入会したとき、「ライターに挑戦してみたい!」という気持ちだけでなく「漠然とした夢に諦めがつくかもしれない」という気持ちも抱えていたことを思い出した。

ちょっと試してみて、できない自分を目の当たりにして「向いてないな」と思ったら、諦めがつくだろうから。それで、入会する前の私にしれっと戻れるだろうから。今となっては微笑ましいけど、当時の私にはそれぐらい「ライターになること」が遠い夢物語だったんです。

だけど、当時32の私は諦められなかったらしく、それを知る前の私には戻れなくなってしまった。そして、現在に至ります。

最初の思惑どおり、へなちょこな自分もたくさん目の当たりにしたけど、それでも思ったのは。

どうしよう、やっぱり楽しい。
楽しすぎて、諦められないかもしれない。

ということ。

ライターを目指すのに、センスがあるとかないとか、無理か無理じゃないかとかじゃなくて。こんなに楽しいと思えること、やめられなくない? もし、文章を書く仕事で生計を立てるレベルになれないとしても、これは私にとってやる価値のあることだ。

過去のやたら青臭いnoteより

諦めの悪さがもたらす、黒い感情と宝物のような瞬間

そして今も、書くことをどうしても諦められない。諦められないというか、書くことに対して人一倍執着をしてしまう。

うまく書けない自分はたまらなく許せない。他にどんなに自分のダメな部分があっても許せるのに、それだけは許せない。

だから、いつも「この文章で、この表現で本当にいいのか?」と考えて考えて考えて悶絶する。もっとうまくなりたい。どうすれば?

誰かが書いたとんでもなく素敵な記事や文章を目にしたときには、尊敬すると同時に心がめっっっっっちゃくちゃざわざわもする。(さすがに、生みの苦しみを知っているからこそ間違っても簡単に「うらやましい」なんて思わないものの)

そして、自然と「私がそこに到達するにはどうすればいいんだろう?」と考え始めてしまう。

こういうときは、やっぱり楽しさよりも悔しさ、焦り、みたいなドロドロした感情が渦巻く。

でも、諦められなかったからこそ仕事をいただけてきたのかなとも思います。以前、めちゃくちゃ難産だった原稿を提出したとき、編集さんから「村尾さんの原稿はよく考え、練られていることが伝わってきます。本当におまかせしてよかった」と言ってもらえたのが今でも忘れられなくて。書くことへの執着が報われた瞬間でした。

仲間の存在に救われる場面もたくさんあって、ライターあるあるやキャリアの悩み、PCの前で数時間途方に暮れた絶望話で盛り上がるとき、ああ生きてるなって感じがします(笑)。原稿に向かうときは一人でも、共にさんざん苦悩に向き合ってきたからこそ、時間差で分かち合える喜びが大きいのかもしれない。

諦めの悪さや執着心は、思考の量と他者と共有できる体験を私にもたらしてくれるんだなと思います。だから、もっともっと、を追いかけて続けてこられた。続けてこられたというより、続けないと気が済まない、のほうが正しいかも。

ちなみに、ライティング以外のトピックにはそんなことは感じません。だってSASUKEとか国プ女子観てても「どうして私はあの場に立ててないんだろう……悔しい……」なんてまったく思わないしな。なんというか、もうフィールドが違いすぎて。(ちなみに、加藤心さんと坂口莉乃さんをひっそり推しています。デビューしてくれ)

こんなにも自分の心をぐらぐらと揺らすのは、やっぱり書くことみたいです。

今後、ライティングのほかにも「諦めたくない」「ほかの誰でもなく、私がやらないと気が済まない」と感じるテーマが自分の中に見つかるかもしれない。

もし何かに胸がざわざわしたら。もどかしくて、いてもたってもいられなくなったら。そのときは「ああ、気になっちゃったんなら仕方がないよね」と観念して、真っ暗闇なのか希望の光なのかもわからない混沌に飛び込んでいくんだろうなと思います。

とりあえず当面は、悩んで苦しんでもがいてのた打ち回りながら、諦めずに書くことを続けていく所存です!

ここまでお読み頂きありがとうございます。もし、ちょっといいじゃんと思ってもらえたら、スキやシェアをして下さると泣いて喜びます!