うちの子の入学式


今日は彼女の子供の入学式だった。

こんな書き方をしているがすでに一緒に暮らして3年近く経つ。
もう家族のようなものだとは思っている。
なので、ここからは「うちの子」という書き方をしよう。
うちの子には発達障害がある。自閉症に近いものだ。
発覚したのは4歳頃、僕が一緒に暮らし始めてしばらくした時だった。
それまでも少し発達が遅いというのはあったが、どんどんその兆候があからさまになっていった。
元々僕は子供が嫌いだ。正直今も得意ではない。
何を考えているかわからない、素直さや無邪気さという武器でこちらに迫ってくる。
できれば一生子供なんか欲しくなかった。
それでも、彼女に子供がいることが彼女と別れる理由にはならなかった。
不思議なものだ。
なんにせよ、子供嫌いの僕が一緒に暮らし始めた子供は普通の子供と少し違っていた。
全く落ち着いていられない。他の子供と同じことができない。先生の話を聞けない。
偏食が激しい。次の予定が決まっていないことが不安なのかすぐに「どうする?」「その後は?」「その後は?」と聞いてくる。
運動全般が苦手で、目の筋肉もうまく使えない。
正直一緒にいてイライラすることの方が多い。
こうなってほしいななんていう淡い期待はあっという間に吹き飛ばされる。
youtubeとi Padとswitchにしか興味がなく、他のことをしようとすると全部嫌がる。

それでも一緒に暮らしていると向こうは懐いてくる。
僕に対して父親であるかのように接してくる。
正直、勘弁してくれという気持ちとこそばゆい気持ちが半々だ。
「うちの子」なんて本当に僕は思っているんだろうか。
血もつながっていない、見た目が似てくることもないこの子供を僕は愛しているんだろうか。
そんなことを思いながら、それでも似てくる言動や仕草を見ながら「うちの子」という言葉を書いている。口に出している。
「うちの子は」「うちの子は」そうやって僕はうちの子を「うちの子」だと思い込んでいる。
そういえば、僕が埼玉県所沢に引っ越したのはうちの子の発達障害が発覚してからだった。
都内の学校ではそれに対応している学級が極端に少ない。
僕は、うちの子のために生まれて初めて東京以外の場所に居を構えた。
10年以上慣れ親しんだ高円寺や中野から遥か離れた場所で、それでもどうにか笑いながらうちの子と暮らしている。家族みたいな顔をして、家賃80000の一軒家で暮らしている。

小学校の入学式、先日まで保育園や幼稚園に通っていた子供たちがみんな並んで体育館に入場してくる。
うちの子は教員に手を引かれている。
先日買った子供用のスーツ。スラリと長い手足、細い体にそれはとても似合っていた。
半ズボンからでた細い脚は、落ち着くことがなくぶらぶらしている。
起立、礼、着席。
ちゃんと出来てる、補助の先生が隣にいるけれどそれでもやっている。
式は20分ほどで終わり、写真撮影が始まる。

暴れ続けるうちの子。教師を振り切り、僕を探すうちの子。
見つけても別にこっちに来るわけではないうちの子。
先生たちに何を言われてもいうことを聞かず駄々を捏ね続けるうちの子。
うちの子。
怒っても、何もわかってくれないうちの子。
何もわかってくれないうちの子。
それでも、なんとか式を終えてニコニコして校庭を駆け回るうちの子。
校門では大人しそうな女の子とその両親が入学式の看板の前で写真を撮っている。
それを横目に手を繋いで帰って、お昼ご飯にマックを食べるうちの子。
夜は回転寿司に行くのだ、と喜ぶ。うちの子。

一緒に、なんとか頑張って生きていこうじゃないか。
うちの子が一番だ、一番おかしい奴かもしれないけど、それでも。

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