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生まれも育ちも大阪。ECサイト、中小企業のお手伝いとか地方活性的なオシゴト。 全国で年…

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生まれも育ちも大阪。ECサイト、中小企業のお手伝いとか地方活性的なオシゴト。 全国で年間50回ぐらいの登壇があり、出張先で美味しいもの食べるのが楽しみ。

最近の記事

【運転免許返納】無事故で50余年、親父の運転卒業

70を過ぎた父が運転免許を返納したという報せを受けました。 ということをfacebook、twitterに投稿すると驚くほど大きな反響を頂いたのも嬉しくて。 ですが、返納ということは、今後は父と交替で運転をしながら出かけるということがなくなるので、父と僕と車の思い出を書き遺しておこうと思った次第です。 父の免許返納は、池袋で起きた、もはや殺人事件と言ってもいいほどの痛ましい事故を受けてのものではなく、以前から考えていたそうです。 件の事故の犯人よりもまだまだ若く、

    • 「大人のクセに」を連発する人は夢中が足りない。~ソシャゲのデッキ編成に学ぶ、中小企業の組織づくり~

      出張帰りの新幹線で「妖怪ウォッチぷにぷに」に勤しみながら、 SNSのタイムラインを流しているとこんな投稿が目に入ってきた。 同じように新幹線に乗っている人の投稿。 「隣席の人が座るなりスマホを開いてゲームを始めた。 いい大人のクセに。私は移動時間も無駄にしない。 本を読んで自分を高める時間に使おう」と。 ゲームよりも読書のほうが有意義というのは己の価値観でそれはいい。 けれど、それを以てして人様を大人のクセにと蔑むとは何事だ。 と言うのと見聞の狭さ。 例えば。 僕はかつ

      • 「会いたかった」と「逢えてよかった」に。これからも。

        フラフラしていた20代前半、超絶ブラックのゲーム業界で命を削り、 その頃の世間の出来事をまったく覚えてない20代後半。 半年ほどの失業期間には 割とガチで「働いたら負け」と思っていて、 1日中世界を救うためにMMORPG(同時に多人数で戦うゲーム)で戦ってた。 「あいつまじ硬すぎやろ」(防御力が高い) 「最後にいるアイツだれか叩いてくれ」と 巨大掲示板にスレッドが立つレベルの騎士使いだった僕。 所属していたチームは確かあと1週防衛したら世界大会へ行くとかじゃなかったかな。

        • 「人たらし」であり続けたい理由。

          「ゆうちゃん大好きやで」 9年前、突然亡くなった妹みたいだった友人が遺した言葉。 それが今も僕を歩ませる。 そして今。 これは先日、出張先などで言われた共通する言葉。 「なんでそんなに人のために一生懸命になれるんですか?」 「何があなたをそこまでさせるんですか? 「何が支えになって、何がそう駆り立てるんですか?」 近況を投稿するSNSを見ている人たちに、 そう見てもらえているんだと嬉しくもあり、まだまだという想いもあり。 「何もない僕を必要だと言ってくれること、何もな

        【運転免許返納】無事故で50余年、親父の運転卒業

        • 「大人のクセに」を連発する人は夢中が足りない。~ソシャゲのデッキ編成に学ぶ、中小企業の組織づくり~

        • 「会いたかった」と「逢えてよかった」に。これからも。

        • 「人たらし」であり続けたい理由。

          距離と関係。お店とお客が育て合う。

          仕事柄、多分EC(ネットショップ)は使う方だと思う。 楽天もYahoo!もAmazonもヨドバシも。 でも昔のように、買いたかったものをお店で手に取って買って、 家に帰るまでのワクワクは失いたくないというのもある。 なぜか、特に本ではその思いが強くて、 できれば町の本屋で買いたい。 書店じゃなくで、敢えて本屋。 最近、知人友人が出版することも多く、 近所の行きつけの本屋に行って、 「これ、友達の本だから平置きしていい?」 とか言って 「そうなの?!いいよ、好きなとこに置

          距離と関係。お店とお客が育て合う。

          夏の日の12個のプリン

          良くも悪くも誰でも知っている会社に勤め、 生き地獄のような日々を駆け抜けた。 2人の子どもにも恵まれ、傍からみれば青々としている芝。 ふと立ち止まると家庭は砂上の楼閣のように危ういものになっていた。 子どもが寝静まったあと、別れるかどうか妻とも何度も話し合った。 話し合って、話し合って、壊れそうな家を根本から見直すために、 家を建てた。 今、考えると、心の見直しの前に違う角度で追い込んでしまったように思わなくもないけれど、他人はやはりそれすらも青く見えたようだ。 そ

          夏の日の12個のプリン

          歴史は繰り返す。ただし形を変えながら。

          ブログでも連載中のコラムとも違う、そう思って始めたnote。 反響の大きさに少し驚きつつ、 表現の場としての可能性を感じた出来事。 最初のnoteで書いた、 ( https://note.mu/yuhsakoh/n/n42c3527f16bf ) かつて「すき」を言えなかった僕も、気づけば子を持つ立場に。 いま、小学2年生の彼。 幼稚園の時は毎日泣きながら、タオルを握りしめて、 「タオルの子」と有名だったほど。 卒園式の時には他の親御さんから 「いっつもタオル持って泣

          歴史は繰り返す。ただし形を変えながら。

          さよならフリージア。

          もう、眠りの時間は終わりだよって何度ゆすり起こしても、 フリージアは夢から醒めず。 水曜日は相変らず折り返しの大きな波。 何も考えていないフリで考えたり、 怒ったような顔のフリで立ち尽くしてみる。 春の眠気をかき消すように、 長くなった昼の時間に感心したりする。 彼は言葉の塀を飛び越え、 彼女の手を引いてみたりしては、 「大好きだ」と言う。 「それはだけど、チーズケーキについて僕が言うのとは意味が違う」 と言う。 彼は彼女が辛い恋をしていることも少し気づいていた。

          さよならフリージア。

          雨の日に咲いた銀の花、毒の根。

          春でありながら、梅雨時の様な雨が続いた夜。 帰宅ラッシュの電車は湿度が飽和していて床も傘で濡れており、 不快指数は限界突破。 よりによってそんな日に同じ車両でその人に居合わせた。 帰宅の電車で時々居合わせる女性。 とにかく自己中で、少しでも押されようものなら、 周囲に聞こえる大きさで「チッ」と舌打ち、 「もっと詰めろよ」などとつぶやく。 周囲の人たちも何度か居合わせ認識しているのだろうか、 「あぁ、またこの人か」と、うんざりした顔をして、 触らぬ神に祟りなしといった感じ

          雨の日に咲いた銀の花、毒の根。

          「すきなものは、すき」を伝えることの大切さ。

          あの日、すきと言えていたら。 それは今から随分昔の小学5年生の頃の話。 公園で友達と遊んでると、「混ぜて」と東京から引っ越してきたばかりの転校生の女の子Mちゃんがやってきた。 僕よりも背が高く、初めて身近で東京の言葉を使う彼女はとてもかっこよく見えた。 東京の小学校でバレー部だったという彼女は、僕らにバレーを教えてくれた。日が暮れるまで遊んで、別れ際には、僕はその子のことを好きになっていた。 そして、バイバイの後、Mちゃんはこう言った。 「バレーのセンスあるよ。始め

          「すきなものは、すき」を伝えることの大切さ。