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誰かを裏切らないために、自分の仕事の意味と価値について考え続ける

何も考えつかない。でも書きかけの記事を進める気分でもない。

とりあえずnoteの投稿画面を開く。頭の中に散らばっていることを、とりとめもなく書き始めてみる。

自分の仕事に対する、諦めや虚無感について。




先月、あるプロジェクトで割と大きなトラブルがあった。間接的に話を聞けば、メンバーの精神面のケアも行っていくと言う。
自分たちがやっていた仕事が徒労に終わるのではないか。そんなショックと後からやってくる虚しさは、精神を少しずつ蝕んでいくのだろう。

自分がその状況に置かれたら?と考えてみる。驚きはするが、メンタルが蝕まれるような虚しさには全くピンとこない。「そんなこともあるんだな」と少し驚くくらい。


なぜ虚しさにピンとこなかったのか。もともと、自分の仕事に対して「意味はない」という諦めや虚無感があるからだ。

この仕事には意味がない。意味のある仕事をしていない。その前提なら、自分の仕事が無駄になったことに対してショックを受ける必要もない。
たしかにその通りだ。でも、この諦めはそこそこ不健全だ。

ずっと「自分がやっている仕事には価値がない」と考えている。
しかし、価値の有無は受け取る相手が決めることだ。それを自分で決めつけるのは、すでに受け取ってくれている相手に失礼だろう。
そもそも、価値はある/ないの二元論ではない。無段階の目盛りだ。


複数の勤め先で仕事を並行するようになって4年経つ。
ひとつので勤め上げるべきだと信じていた時期に比べれば、健全に考えられるようにはなった。でも、根っこの考え方はあまり変わっていない。

この考え方のままで働き続けたら、知らず知らずのうちに誰かを傷つけてしまうのではないか。そんな悪い想像も頭をよぎる。

仕事についてさまざまな面から考え、悩み、書き続けられているのは、何より自分自身が現状の仕事に納得していないからだ。
不健全なのか健全なのかよく分からなくてちょっと面白い。

書くこと、考えることを繰り返す。それができているうちは、知らず知らずのうちに誰かを傷つけたり、裏切ったりせずに仕事を続けられるはず。

そう信じて、これを書き置いてから今日も仕事をする。


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