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『教養としてのグローバル経済』著者インタビュー(前編)

こんにちは、有斐閣書籍編集第二部です。

5月末に発売となった『教養としてのグローバル経済』の著者・齊藤誠先生(名古屋大学教授)に、本書のねらいや執筆の工夫、苦労話を伺いました。

らしくない本!

――まず本書を最初に手に取られたときの感想から聞かせてください。

齊藤:自分で言うのも変な話なんですが、自分の本らしくないなと思いました。表紙も明るくて、帯の文言とかも分かりやすいし。中を開いてみると2色刷で、写真やグラフやイラストがふんだんにあって、とても優しい表情の本で、こういう本を私は今まで書いたことがないもんですから。

今までできた本もそれぞれ達成感はあったのですが、見本をいただいたときに、今回はまた違う感じの達成感があって、この本を書いて良かったなと思いました。

――こちらこそ、素晴らしい本にまとめていただき、本当にありがとうございました。周囲の方たちの感想はいかがでしたか。

齊藤:一番身近なところで、うちの家族が見てくれたんですけど、妻も子どもからも「パパらしくない本」だと言って(笑)、喜んでくれました。いつもは、中を見てくれないんですけど、今回はやさしそうなのでと言って、手にとってくれました。

同僚の研究者からも、中学生や高校生のお子さんがいる方は、まずお子さんに読ませたいと言っておられました。今までにない読者層なのかと思いました。

――そういう意味では、ねらいどおりといった感じですね。

齊藤:そうですね。渡部さんをはじめとした編集部のねらいが実現したんだと思います。私は文章を書いただけですので。あと、同時に年齢にかかわりなく読んでいただければという思いもあります。

妻が言っていたのですが、今さら聞くのが恥ずかしいことがいっぱい本に書いてあると。たとえば、グローバル化とかって、日常の中に普通に出てきますが、でも「それって何?」って聞くと、みんな意外に知らない。そういう言葉を丁寧に書きました。「グローバル」と「インターナショナル」の違いとか。妻もそういうことだったのね、と感心していました。

書籍の後半では、ブロックチェーン、暗号通貨、ICTとかも出てきます。そういった横文字が闊歩していて、みんな日常的に使っちゃっているけど、「今さらそれって何?」って聞けない。そういう意味で、とてもありがたい本だと言っていました。

――宣伝に使えそうなお話ですね。

齊藤:私は経済の専門で、内容を知らずに言葉を使うことはありませんが、自分の専門分野の外側だと、知らないで平気に使っちゃっている言葉がたくさんあると思います。そういった言葉をちゃんと知りたいというニーズは、中学生や高校生、大学生だけでなくて、社会に出られた方々にも同様にあると思います。

教科書や入門書をつくるときは、想定読者を若い人に焦点を当てて作りますが、本書の実質的な読者はもっと広いのかなと、家族の話を聞いて思いました。

――高校生をメインにしていただいたので、ブロックチェーンとかが、どういうものなのかをやさしく説明していただいて、それが結果的に他の世代も知りたい内容になったという面もありそうですね。

齊藤:小学校や中学校、高校や大学の先生もみんな一緒だと思いますけど、若い人の前で教壇に立つときは、いい加減なことを言えないんですよね。正直にやろうって思うんですよ。それは、この本に限らず教科書の良い面だと思います。

なので、若干「クソ真面目」っぽくやることで、教えることに対して新鮮な気持ちを持つことができます。そういう面では、専門書を書くときの想定読者とは全く違う。こういう本にチャレンジすることは、研究者にとっても良いことだと思っています。

瓢箪から駒?

――本書の「はじめに」や「おわりに」の中でも書かれていますが、どのような経緯で本書を書くことになったのか、改めて説明していただいてもよろしいですか。

齊藤:ある教科書会社で「グローバル経済」という商業高校向けの新しい社会科科目を作りましょうということから始まりました。「グローバル経済」の以前は「ビジネス経済」という科目が教えられていて、どちらかと言うと、大学のミクロ経済学とマクロ経済学をやさしくした内容で、大学の1年生向けの入門書を横滑りさせたら教科書ができるような感じでした。

「グローバル経済」は良い意味でも悪い意味でも今日的な課題を真正面から取り扱うことを求めています。20世紀末から21世紀にかけて、経済社会に一番影響を与えたグローバル経済という、重たい課題を現実に引き寄せて書かないといけないんですよね。

なので、最初の編集委員会から難航してしまいました。というのは、「モデル」がなかったからです。前の「ビジネス経済」は大学の入門のミクロ・マクロという非常に整った良いサンプルがたくさんあったので、それを原型にして作ることができました。指導要領の中にあることは重要で大切なことなんだけど、いざ教材をどう作ればいいか、モデルがないまま、なかなかうまく編集作業が進みませんでした。

私自身は新しいことだから、どんどんやれば良いんじゃないかと思っていたのですが、今までの教科書の体系から大きく変わってしまったので、教科書会社も現場の高校の先生方もついていけなくて、拒絶反応がいろいろなところから出てきてしまいました。私としては指導要領にとことん忠実に作業しているつもりだったんですが、それがかえって、既存の教科体系とあまりに大きく違う内容になってしまいました。今までミクロやマクロの知識を教えていた高校の先生も、大学で経済学とか経営学の勉強をしていたと思うので、苦労せずに準備できていたと思います。それが、「グローバル経済」になって、昨日の新聞に出たことを教科書に入れないといけなくなってしまいました。

だけど、今の高校の先生は本当に忙しくなってしまって、新聞をじっくり読むとか、時事的な知識を一生懸命勉強するとかいう時間がないんですよね。教科書会社の方も、指導要領から外れることはできないので、難しいことは用語だけを入れてくれればいいみたいになって、専門用語のオンパレードみたいになってしまいました。

――私も「ビジネス経済」の教科書を見ましたが、たくさんの専門用語が次々に出てくるので驚きました。

齊藤:これは、商業高校向けの教科書だけではなくて、「新しい公民」など他の社会科の科目にも共通していることですが、専門用語と歴史的な著名人の羅列になってしまっています。グラフも出てきますが、グラフを説明する文章を教科書の中に書けないんですよ。通常、私たちは、縦軸はなんで、横軸はなんで、それで、なんで右下がりになるんだということから全部書くわけですが、そういうことを書くと煙たがられてしまって。。。

教科書会社や現場の先生方とあまりにすれ違いが大きくなってしまって、一生懸命書いたのにボツになるのはもったいないと思って、渡部さんに相談させてもらいました。そこで、グローバルなコンテキストからコロナのことを説明した1章を加えて、一般向けの教科書(教養書)にしていきましょうという話になって、企画を引き受けていただきました。ありがたかったです。

そういう意味では、私も最初からそういう気持ちではなかったのですが、瓢箪からコマが出てくれば良いのかなと、結果としてはそう思っています。

指導要領は理想主義?

――そもそも新しい学習指導要領はどういった点で大きく変わったのでしょうか。

齊藤:実は全体が大きく変わってしまっています。第2章はミクロ・マクロなんですけど、需要曲線と供給曲線の交点が均衡価格で均衡数量ですよ、という説明ではなくて、実際の経済社会に生きていく中で、理論を使って現実を解釈できることや、市場をうまく機能させるための仕組みについて説明するように指導要領には書いてあります。たとえば、ミクロの教科書を大学で教えていても、公正取引委員会の話とかあまり出てこないですよね。

――そうですね。あまり出てこないかもしれませんね。

齊藤:独占の話はしますが、市場の競争の状況を維持するには公取のような役割がすごく重要になってくると思います。証券市場だと証券取引等監視委員会。これも金融論ではあまり言わないんですね。だけど、市場のルールや仕組みを考えたときにすごく重要な機関なのです。

だから、大学の教科書のような書き方はもうやめようと思いました。かといって、自由に構成はできません。絶対にこの用語は書きなさいとなっているので、それは吸収しましたが、大学の教科書のスタイルはやめました。

最初考えていたのは、商業高校の生徒さんって、大学に行かない子も多く、経済や社会の仕組みを勉強する最後の機会になるので、社会に入っていくときに必要になるような内容を書いてみたいと思っていました。大学でやるミクロだと、簡単な利潤極大化条件などをやりますが、そんなことをやってもあんまり意味はないと思って、現実の市場にそって書いていきました。たとえば、労働市場を説明するときも、いきなり労働供給・労働需要じゃなくて、あなたが職を探すときにどういうプロセスを踏むのかという記述にしてみたりしました。

競争市場」って、通常は価格の安さを競う市場で単純になっています。たしかに、現実の市場ではシンプルな商品は価格だけを競っていますが、現代の高度な消費社会になると、製品の差別化がどんどん進んで、それぞれが独自なものになるものの、類似した商品とは競争関係にあったりします。なので、どちらかというと「独占的競争」です。

競争の基軸は価格だけではなくて、さまざまな質の側面で競争している。そういう市場を説明するのに、結構な紙幅を割いています。価格競争で底辺に向かって、みんな行き着いた先にはヘトヘトとなっちゃうような市場とは違う市場の記述を厚くしました。大学の初級のミクロで独占的競争を説明することがほとんどない。そういう意味では説明する順序を変えました

――大学の教科書でも、そういった工夫は取り入れたいですね。

齊藤:最後に参考文献としてもあげていますが、ヨーロッパの経済学者中心に大学のオンライン教科書をつくる「コア・プロジェクト 」というのがあります。そこでは、はじめの方に独占的競争が出てきます。なので、いま言ったことは私のオリジナルではありません。また、コア・プロジェクトの経済の教科書の最初の最初に成長の問題と同時に格差の問題が出てきます。そういう点も、日本のマクロの教科書の中にあまり入ってこないんですよね。

だけど、指導要領では最初に書けって書いてあるんです。教科書の第1章で格差のことを説明しなさいって出ています。これもすごく新鮮でした。グローバル化が格差を生んでているのかどうかは、すぐには結びつかない複雑な話ではありますが、グローバル化していく時期と格差が拡大した時期はほぼ同時進行だったので、その事実はちゃんと伝えることを指導要領は求めています。なので、指導要領は結構考えられています

――そうなんですね。高いレベルが求められているんですね。

齊藤:今日的な課題を高校生に向かって伝えよう、教えようという理想主義的というか、高い次元に立って書かれています。ただ、問題は理想主義的すぎることです。学習指導要領を作られている方のバックグラウンドはわかりませんが、おそらく教材を作って、現場で教える経験がない方か、ほとんどない方なんじゃないかと思いました。それは、それで今までの現場の制約から離れてやっていけるという面では良いんですけど、やっぱり理想主義的になりすぎちゃう。

今回みたいに内容がガラッと変わったときに、どういう雛形があるのかとか、どういうモデルがあるのかがあんまりわからない。具体的に書くにはどうすれば良いのかがなかなか見えない状態になってしまいました。本来ならば、内容をガラッと変えるときには、数年前から試験的な教材を作っていて、それを教育大学の附属中学や付属高校などで試行錯誤したりすることが必要だと思います。実践的なことを全然していないままに理想主義的な指導要領が急に出てきてしまうと、教科書を作る教科書会社とか執筆する先生とか、なかなか難しいんじゃないかなと思います。そうすると、表面的に用語だけを羅列することになっちゃいますよね。

だから、指導要領を作られた方は、「こんなに立派な指導要領を作っているんだから、きっと教育は良くなるに違いない」と思っているのかもしれませんが、それを高いレベルで消化していくのは大変です。実現するためには、それまでに教育の現場で試行錯誤したものを提供することが必要だったはずです。

本書の執筆のために、いろいろな勉強をしましたが、そういう矛盾があることを大学の研究者としてもわきまえて、小中高の教材に関わることがあれば、真面目に真剣に取り組んでいかないと、長い目で見るとやっぱり大変なことになっちゃうと思いました。

――今回の改定で大きく変わって、表面的な対応になってしまって、生徒さんも「経済なんか面白くないな」と思ってしまうんじゃないかと心配になりました。

齊藤:数多くの用語を覚えなきゃいけないんじゃないかと思っちゃいますよね。本当はすごく面白い科目なのに、暗記ばっかりの科目だと思われちゃいますよね。新しい要素を無理矢理取り入れちゃうと、そういうことが起きかねないですよね。

「縛り」が生み出すイノベーション

――逆に、指導要領にそって書いてみたことで良かったことなど、意外な発見はありましたか。

齊藤:本の中には、私の専門領域をはるかに越えたことがたくさん入っていますが、それができたのは、指導要領というガチっとした枠組みがあったからだと思います。指導要領を全部満たしていかないといけないという「縛り」があったからこそ、こういう教科書ができたんだと思います

一人だとどうしても自分の守備範囲でやってしまいますが、指導要領にきっちり縛られていたことで、かえって多面的な要素を議論したりすることができたんだと思います。通常、本を作るときは自分で「縛り」を作ることはあると思いますが、人に「縛り」を作られるということはめったにないと思います。そういう意味では、しょっちゅうそんなことをやらされるのは嫌ですけど、時々は良いかなと思いました(笑)。

――その縛りが、新しいものを生み出す契機になっているんですね。

齊藤:「前衛は古典から生まれる」というのに近いかもしれないですね。形式がきっちり決められたところから、ほんの数ミリだけズレようとするところにイノベーションが生じる。だから、型を決められると、著者も編集者も当初には想像してなかったものが生まれるきっかけになるかもしれないですよね。

型にはめられると退屈なものができちゃうと思われてますけど、イノベーションを誘発する面もあるのかなと思いました。

「勇気」を持って根本的な問題と向き合う

――執筆を進められるうえで、指導要領のほかに、苦労されたことはありましたか。

齊藤:2020年に執筆したという意味では、やっぱり新型コロナウイルスの感染拡大の状況が進行していたことです。いろいろな側面で経済のグローバル化に影響を与えていたので、第1~4章で学んだことを使って、新型コロナウイルスがもたらした問題に真正面から取り組めるようにしようとした点(教科書の第5章)が、すごく苦労しました。

『教養としてのグローバル経済』の主な目次
第1章 経済のグローバル化と日本
第2章 市場と経済
第3章 グローバル化の動向・課題
第4章 企業活動のグローバル化
第5章 コロナ禍と経済のグローバル化

昨年の12月には原稿を渡して、3月には刊行できるかと思っていましたが、イラストや写真のレイアウトの準備で編集にすごい時間がかかってしまって、結果的にはそれは甘い見込みになってしまいました。

――申し訳ありませんでした。。。

齊藤:教科書では11月の終わりまでのデータやニュースしか扱えなかったので、「勇気」が必要でした。教科書が出て、何年も経ったあとでも本質的な問題だと確信が持てるものを選び、問題が進行する中で教材を作っていくのは苦労しました。成功しているかどうかは、4~5年経ってみないとわからないと思いますが、出版が今年の夏になっていたとしても、あまり影響は受けないものになったのかなと思っています。

この面でも、若い人に向けて教科書を書いているという意識はすごく重要でした。接するにはしんどいと思うイシューもありますし、大人たちも考えられていない問題を、若い人に考えなさいというのは、若い人に問題を突きつけているみたいでどうなんだろうと、いろいろと逡巡もありました。

こういう時代に生きて、みんなすごい悩んだ問題――たとえば教科書でも扱っていますが、ワクチンを世界全体でどう分かち合っていくのかという問題は、すごく重たくて、その背後にはたくさんの複雑な問題があります。もちろん、去年の11月の時点、つまり、ようやくワクチンができました、というところで書いていますから、十分な情報を得てはいないのですが、本質的な問題になる点は教科書で書けた気がしています。そういう意味では、コロナのことが一番苦労した気がします。

――ありがとうございます。第5章が読み応えのある章の一つだと思いました。第5章では、「公」(おおやけ)「私」(わたくし)のバランスなども取り上げられていますよね。

齊藤:そうですね。教科書の第4章では、「企業の社会的責任」のコンテキストで書くように指導要領で求められていて、それを受けて、第5章では企業が「公」と「私」の間で揺れ動く状況を取り上げました。

社会科学の研究者としてはコロナが突きつけた根本的な問題って何なんだろう」っていうことを考えるきっかきになるような材料を作りたかったというのがあります。

――本書全体もそうですし、特に第5章はそういう形になっていますよね

齊藤:どこまで成功しているか、時間経過に耐えられるかは、不安な面もありますけど。

――コロナについて、これは付け加えたかったという点はありますか。

齊藤:それぞれ加えてた論点の中で掘り下げたかったなっていうのはあります。ワクチンの問題でも、たとえば私は欧米の開発したワクチンの話のニュースまでしか接してなかったのですが、中国やロシアがワクチンを作り、供給し始めた。また、ワクチンの世界的な製造拠点のインドでは、すでにヨーロッパやアメリカ向けのワクチンをたくさん作っていましたが、結局、現状で自分の足元が大変になってしまいました。インドのワクチン製造会社からみれば、ワクチンを輸出するのが利潤になるから当然の行動になるけど、インドに住んでいる人から見れば合点がいかないですよね。

――そうですよね。自分たちが大変なのにって。

齊藤:今はインドでもワクチンがだいぶ使えるようになって、国内供給の方にシフトしているんですけど、遅きに失してという感じで、まだまだ今でも大変な状況なので、そうしたことは、もし書けていたら書いていたと思います。

あと、コロナ対策のお金の使い方に関しても私自身が甘い見込みがあって、いくら何でもここまではやらないだろうと思っていた部分が平気でどんどんやっていますし、アメリカもとんでもないことをやっている。だから、そういうことはもし後で出せれば書いていたと思います。

ただ、第5章は包括的に議論するのではなくて、そのスナップショットでいくつかの風景を描いているということなので、何でもかんでも入れなくても,おそらくこの教科書の知識をもってすれば、この教科書で書かれていない問題も考えられる視点は得ることはできるのかなと思っています。

――本当にそう思います。

齊藤:ただ、何でもかんでも丁寧に提供すると、若い人に無理矢理意見を誘導させてしまっているみたいになるので、そうならないようにしようと気をつけました。

こういうのってたぶん区切りがないと出せないですよね。だから、もうどっかで割り切って、ここまで書いたら自分としては納得できるだろうとか、悔いはないだろうというようなところで区切らないといけない。そうしないと本ができない。渡部さんが困っちゃうもんね。

――ありがとうございます(笑)。

(後編に続く)


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