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そのデザインに理由はあるのか

①ブランドは、デザイナーのものである。

2018年 弊社はteshioniという事業を立ち上げた。

同じく弊社が運営している、nutteという縫製職人ネットワークを活用した、個人のファッションブランドの立ち上げをご支援するサービスだ。
foufouというブランドとの協業からスタートした。

それから3年、早いような、長いような。
3年のあいだに、いくつかのブランドが立ち上がった。そしていくつかは続き、いくつかは撤退していった。


あまりこのあたりのプロセスに言及しないので、よく勘違いされてしまうのだが、立ち上げたブランドは弊社のものではない。

teshioniにおいて、ブランドはあくまでもデザイナーのものだ。

弊社にできるのは、ブランドの立ち上げと運営を支援することだけで、teshioniは支援のうちのひとつとして、製品を販売するために提供されている箱にすぎない。

立ち上げられたブランドは、あくまでもデザイナー個人にひもづいている。

とはいえ、ひと口に運営といっても、そのプロセスはとても煩雑だ。パターンメイキングから生産、販売はもちろん、在庫管理やECカートの開発、商品登録、入出金管理、イベントの会場や什器の手配など、軽く列挙しただけでも多岐に渡る。

ブランドの運営。
そのために要求される多大な人的リソースとコスト。

ブランドと弊社は協業の関係にあたり、安全で楽しい運営のための責任の一端は弊社が担っている。それに対して、新たに立ち上げるブランドは、売れるのかどうかやってみないと分からない。弊社としてもリスクを背負って、多大なリソースの投資をして挑まざるを得ない。

そのリスクを背負っていてなお、弊社はブランドに対して、何かの意思決定を下す立場にはないと考えている。

ブランドは、デザイナーの「個」に直結しているべきだからだ。界隈のカルチャーを牽引する強い「個」がブランドをつくる。合議制や組織の論理などがその足を引っぱってはならない。

いっしょにブランドを立ち上げませんか?と募集する弊社のサイトには、おかげさまで毎月100名以上の方からのご応募をいただいている。

応募してくださった方々の中から、大変恐縮ながらオーディションさせていただいて、通過された方の立ち上げをご支援するという構図だ。

詳細なプロセスの説明は別稿に譲るが、選考においては服飾の知識や技術は一切問わない。

自分のブランドを立ち上げたいという意志と、その実現のためにいまご自身が手にしている武器、このブランドの社会的存在意義、それらの強さを測らせていただいている。

弊社からお声がけして、ご一緒しませんか?とお誘いすることはない。
弊社はあくまでも、ブランドを立ち上げたい方の能動的な意思を尊重し、それを可能な限り実現しようと努める。


要するに、デザイナーが弊社に対してやりたいという意思を表明して、弊社がそれに応じるという関係性だ。

その関係性のもと、立ち上げる時でも、立ち上がった後でも、ブランドの運営方針に関わる何かの意思決定を、弊社がデザイナーに対して下すようなことはない。

デザイナーと議論を重ね、能動的にアイデアを練ることは多々ある。しかしそれはあくまで併走者の立場にあり、弊社は勝手に意思決定を下して良い立場にはいない。

弊社が意思決定しているのは、デザイナーからのお声がけやご要望に対して、弊社が伴走者としてそれに応じられるかどうかだけである。

前提条件として、ブランド立ち上げ時の10数着の初回販売が振るわなかった時には、残念ながら弊社として、当該ブランドへのそれ以降のご支援は、自動的に見送らせていただく。
風が吹いていない方角に、お客様が乗っていない船を漕ぎ出すリスクは、さすがに背負えない。

その場合を除き、ブランドを立ち上げること、その運営方針、何かを始めるあるいはやめることに関しても、弊社として意思決定を下すことはなく、弊社はその立場にない。
あくまでもデザイナー個人の意思をできる限り尊重し、やりたいことを実現できるようできる限り努力する。


売れ始めたブランドは、すでにお客様を乗せて漕ぎ出した船と同じだ。

わたしたちはよくブランドを「船」に例える。

デザイナーは「船長」と捉えている。新たな目的地を決め、お客様を乗せてそこに連れて行く、文化の牽引者だ。

弊社はそのために、安全で快適な航海を設計し、提供するのが仕事だ。
船長の意思に従い、船をつくり、漕ぐ。

漕ぎ手である弊社にとって、すでにお客様が乗っている船を漕ぐのを勝手にやめるなど、とても想像できない。
それはあまりに無責任が過ぎる。

しかし船長が目的地を見失ったとき、わたしたちの船を漕ぐ手は止まってしまう。
あるいはそこに向かう理由が分からないとき、たどり着くための航路を設計できなくなってしまう。

わたしたちがどれほどの熱量や能動性をもって航海に臨もうとも、漕ぎ手が勝手に方角を決めて、帆を張ることなどできようはずもなく、航海士が理由も分からず、勝手に航路を設計することなどできるわけがない。

船はわたしたちのものではないのだ。

とはいえ、目的地を見失った船は幽霊船と化す。
あてなく惰性で海を漂い、やがては食料が尽き、いずれは波に飲まれて操舵を失い、いつしか無人の船となる。漂流は、ブランドの緩慢な死を意味する。

船はわたしたちのものではなくても、その行方は決めなければならない。目的地を決めて、そこにたどり着くための道順を設計し、再び漕ぎ出さなくてはならない。

ブランドは、船長が始めた物語だからだ。

船長に行き先と、そこに向かう理由を問う。
それもまたお客様を乗せた船の櫂を預かる者としての責務と考えている。


②パターンメイキングにおける
「翻訳」の図式

前置きが長くなってしまったが、ブランドと弊社との関係性は大まかに上記の通りである。

上記を踏まえて、本題に入りたい。

デザインの理由。
あるいは、プロダクトの意味論。

ブランドと弊社との前述の関係性のもと、わたしたちは、プロダクトをつくる意味や理由を何よりも重視する。

なぜこのプロダクトをつくるのか?
なぜこのデザインが必要なのか?
なぜ今このタイミングなのか?
このプロダクトはブランドにとってどういう意味があるのか?
このプロダクトを買って下さるお客様にはどういう気持ちになって欲しいのか?…

こうしたプリミティブな問答にこだわる理由はいたって簡単だ。理解しないと、つくれないからだ。

服づくりのプロセス、とくにそこでの生命線ともパターンメイキングの工程を、わたしたちはよく「翻訳」に例える。

英語で書かれた小説は、直訳しても日本語で読める小説には、絶対にならない。

語彙や文章の構造が英語と日本語とでは違うので、単純な言葉の置き換えだけでは、小説として到底読めたものにはならない。それではあまりにぎこちない。

一語一句に正確であることよりも、小説全体の流れやニュアンス、あるいはできごとの背景や登場人物の心情などといった「意味」を汲み取る必要がある。

なぜ主人公はこのように発言したのか?
なぜこの登場人物はこの行動をしたのか?

翻訳者は、全体のストーリーラインから、その線上にある登場人物の背景や心情を主観的に読み解く。
原作者が文章に込めたであろう「意味」を主観的に「解釈」して、自然な文章に「意訳」することで、はじめて感情を表現した日本語の小説になる。


パターンメイキングにおいても、「翻訳」に似たプロセスをたどると考えている。その構造は下図のようになる。

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順を追って説明したい。

①イメージ

デザイナーの脳内にある服のイメージ。

この時点では抽象的な状態で、パターンメイキングとは、その抽象的なイメージを具体化する作業である。
②伝達と受容

デザイナーは脳内の抽象的なイメージを、パタンナーに伝える必要がある。そのために資料や絵、あるいは言葉を用いたコミュニケーションで、イメージを可視化あるいは言語化、つまり情報化する。 

パタンナーはその情報を、自分のフィルタを通して受け取る。この時点で情報は、パタンナーの主観に転換する。

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(なおこの時、デザイナーがディティールの隅々まで正確な情報に置き換えて、絵の通りにつくることを要求すると、あまり良いものに仕上がらないことが多い。
それよりも、語彙が豊かな他者による主観的解釈が介入することを前提に、全体的なストーリーラインを重視して、余白を残すように情報化して、ある程度パタンナーに委ねるとうまくいきやすい。)
③解釈

受け取った情報の意味や意図、あるいは感情やニュアンスを、パタンナーが主観的に理解する。

この際、ブランドやデザイナーの文脈や文化的背景、さらにはカルチャーやお客様像なども踏まえて、情報が脳内で再構造化される。

ーー

なおこの工程で、受け取った情報の意味を理解できなかった時、あるいはブランド全体の文脈に対して矛盾を感じた時、パタンナーによる解釈は行き詰まる。

デザイナーに不明点や矛盾点をフィードバックして解説を求めるとともに、場合によっては代案を提示してもらう。
④翻訳

再構造化された情報を、ブランドやデザイナーの文脈や文化的背景に沿いながら、具体的な立体に意訳する。

意訳にあたり、人体構造に沿ってできる限り着心地が良く、かつ布に無理な負荷を極力かけないように工夫が凝らされ、さらにはなるべくきれいに縫いやすい構造や手順になるよう考えをめぐらすことも要求される。
⑤立体化

具体的な立体物、この場合は「トワル(仮縫い)」として、翻訳を可視化する。デザイナーによるトワルチェックを実施して、パタンナーによる意味の解釈が正しいか確認される。

なおこの際にも同じく、身体と布に無理な負荷がかかっていないことが検査される。

上記はteshioniにおいて実践されている、パターンメイキングの基本的な思考プロセスである。

teshioniの全プロダクトを統括するクリエイティブディレクター、冬頭先生の発言や成果物をもとに体系化したもので、teshioniではすべての製品に対して、上記のプロセスをたどることが望まれている。

なおこの図式は「プロダクトの意味論」という論点から部分的に抽出したものである。

当然ながらこれらの前段階、つまり⓪番目として
⓪特定の界隈におけるカルチャーの言語化
というプロセスが存在する。

さらには④から⑤に至るプロセスとして
「立体構造における設計と実装の技術論」
と呼ぶべきものが存在する。

いずれも長くなる上に小難しいので、別の機会に譲ることとして、要するにteshioniのパタンナーには、優れた技術者であると同時に、優れた「翻訳者」であることが要求されている。

昨年つくられた弊社のアトリエチーム、彼らは冬頭先生の弟子にあたるのだが、次世代を担う彼らにもそれは等しく要求されており、teshioniの育成枠 maison407においては、上記プロセスがアトリエチームの主導によって継承されていくことを望まれている。

他のお洋服屋さんがどうやってつくっているかはよく知らないが、弊社ではすべての製品が、こうした「翻訳」の手順を踏んで具現化されることを重視している。


わざわざひとつひとつのデザインに対してこうした手順を踏む理由は、teshioniにおいてデザイナーは「文化の牽引者」と形容されているためだ。

そうなるとパタンナーは自動的に「文化の翻訳者」ということになろう。パタンナーは、デザイナーが提唱する文化を、それを体現した形状に設計し直す責任を背負っている。

ゆえに、パタンナーの仕事とは「翻訳」なのである。

そして翻訳者は「意味」を「解釈」できないと、伝わる意訳として「翻訳」できないのだ。「意味」のわからない英文を、どうして「翻訳」できようか。

だから「意味」が分からないと、服はつくれないのだ。


デザイナーにデザインの意味を問う。
それもまたお客様の生活のあり方を豊かなものにするための、翻訳者としての責務と考えている。

③洋服をつくるのか、ブランドをつくるのか。

デザインにおいて、ビジュアルとして美しいことはもちろん重要だが、それ以前に、デザインとは設計である。

パターンメイキングが具体的な「製品の設計」なら、デザインは抽象的な「あり方の設計」、あるいは人生や生活に対しての、服装による「向き合い方の設計」である。

なぜこのブランドが社会に必要なのか?
なぜこのプロダクトをつくるのか?
なぜこの形状が良いのか?
なぜこのブランドのお客様はこの形状を選ぶのか?
このブランドのお客様はどういう生活をしているのか?

こうしたプリミティブな問いを繰り返すことだけが、つくるべきプロダクトに社会的な存在意義を持たせて、「人の心と身体と生活を豊かにする設計」を生み出すことにつなげられると信じている。

だから、ただ「かわいい」だけでは服はつくらない。
なぜそれを「かわいい」とするのか、意味を問い続け、文脈や意図を理解しようとする姿勢を崩すことはできない。

デザイナーが考えた、かわいいのかも知れないが、人の生活にどういう意味をもたらすのか分からない形状を、理由も分からずパタンナーがなんとなく立体にする、そんなものがいったい誰を幸せにするのか。それのいったいどこに、ブランドの価値があるのか。

D2CとかOEMとか、そんなことはどうでもいいのだ。
意味とか理由とか文脈とか、あるいは価値とかが翻訳されたプロダクトをつくり続けて、その繰り返しによって社会的意義が少しづつ積み重なってきて、やがてそれが積み上がった時にはじめて「ブランド」と呼ばれるものになるのだ。

たとえばそれがどれだけかわいい服でも、理由のないデザインが、必然性のないプロダクトの集合体が、意味のない服が、人の心を揺さぶるようなときめきを生む「ブランド」になることは永久にない。

だから意味を問い続ける姿勢は崩さない。
それを問われ続けるデザイナーが疲れてしまうことがあっても、それでも、意味の分からないデザインは、意味が分からないからからつくることができない。

たとえばかわいいだけのそれを出すことによって一過性の売上が立つとしても、意味が分からないまま世に出した直訳の仕事に、お金を払っていただく訳にはいかない。それは洋服をつくる仕事かもしれないが、ブランドをつくる仕事ではない。


デザイナーから発信される、素敵で幸せな生活のあり方。

プロダクトとしての洋服がいつでも必ず、そのあり方にひもづいているように。
弊社のすべての運営がいつでも、それぞれのブランドにおける必然性をかたちづくるものであり続けたいと願う。

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