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学校時代は運動忌避、34歳で60km完走 ゆるいコミュニティがくれたもの

スポーツは、人によって好き嫌いが分かれるところがあります。

#スポーツがくれたもの  という題を見て、「スポーツがくれたものなんてない」という拒否反応をしてしまった人もいるのではないでしょうか。私も、心の拠り所となるスポーツコミュニティに出会えていなければ、そうなっていました。

私は学校時代、スポーツを避けてきました。発達障害からくるこだわりと想像性の問題や、他人と違う身体感覚があり、スポーツに参加するのに支障がありました。

団体でのスポーツで、「相手が受け取りやすいようにボールを投げる」のがどういうことなのか分からない。それができなければ、「ふざけんなよ」と言われる。相手に応じて接し方を変えることの大切さも理解できない。上級生との接し方で地雷を踏む。上級生から誤解に基づいて心無いことを言われる。同級生からも「上級生が言っているのだから」と言われ、一緒にいじめられる。

もし私が運動部に入れば、そうなることが目に見えていました。

でも、スポーツを楽しむ人を見ていて「カッコイイ」と思う気持ちはありました。自分はそうなりたかったけどなれないことからくる憧れもありました。

「自分のペースで運動できる場所があれば、やってみたい」と思う気持ちもどこかにありました。

私は大人になって、フィットネスクラブに入りました。

ここでは学校スポーツと違い、客として参加するので、ある程度自分のペースで運動できます。

私は、エアロビクス、ヨガ、ピラティスなど、フィットネスクラブにあるプログラムはすべて一通りやりました。そうしていくうちに、昔のスポーツを避けていた感情も薄れ、フィットネスクラブを自分の居場所と感じられるようになりました。

最も力を入れるようになったのはマラソンでした。友達がマラソンをしているのを見て、楽しそうに見えたことがきっかけでした。

最初は1kmも走ることができませんでしたが、インストラクターやメンバーの励ましもあり、続けていくことができました。グループでのランプログラムに週数回ペースで参加するようになり、どんどん走れる距離と時間が長くなっていきました。

走るのに慣れてきたら、シティランに出かけるようになりました。皇居、お台場、六本木の夏祭り、山手線一周。


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鎌倉の山や海をランニング。

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埼玉の山地にあるトトロの森でトレイルランニング。

私は2回、グループからはぐれたことがありました。私は集団から外れてしまいやすく、気を付けて走るようにしていましたが、それでもはぐれてしまったことがありました。

それでもインストラクターやメンバーは、私を心配し、温かく迎えてくれました。

私はさらに修行を積みました。

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ハーフマラソンを完走した時。

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板橋シティマラソンを完走した時。

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そして「柴又ウルトラマラソン」。

私はインストラクターやメンバーとともに60kの部に出て、8時間57分でゴール。この時には最初から最後まで、インストラクターが伴走してくれました。沿道に休憩スペースを用意して水や食べ物で応援してくれたインストラクターやメンバーもいました。時間内ギリギリでしたが、完走。100kの部に参加したメンバーも21時40分に関門が閉まる前にフィニッシュ。これで私と一緒に走ったメンバーは全員完走できました。

100k組の出走を見送った6時半~7時半にはどしゃ降りだったのですが、その後雨は止み、私が出走した9時40分にはやや雲がかかった晴天の空に。午後2時ごろには灼熱の太陽が照り付けてきました。

20k手前あたりから右膝が痛み出して、30k折り返した後は這うようにしか走れず…。このころには私は落ちたかと思われました。しかし不思議なもので、40k過ぎてから浮上、速いときで1km6分半ペースにまでに回復。そして何とか9時間切るタイムでゴールのゲートを抜けました。膝の痛みとの闘い、時間との闘いでした。

痛みだしたらそのまま失速して終わるかと思ったのですが、そうならず、痛みと付き合う方法を覚えていくことができました。それで持ち直せたんです。走りながら、膝が痛んだら休んでストレッチしてサロンパスを塗る、を繰り返しました。(今回の膝の痛みは、足を楽に動かせるためにタイツを着けていなかったために招いた面もあります)

帰る時は、早朝雨が降っていた時差していた傘が杖がわりになっていたのでした。

一緒に参加したインストラクターやメンバーの応援がなければ、決して完走できることはなかったでしょう。

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こうして振り返ると、私の受け入れられたランコミュニティには、いい意味でのゆるさがありました。

・様々な運動歴や年齢の人がいることで、それぞれ自分のペースで参加したり離脱したりできる

・高圧的・否定的・批判的な言葉を使わない

・自然体でいられる

私には、このゆるさが続けていけた要因でした。

インストラクターは私に対し、「面倒な客」という見方をせず、私の努力している姿を見てくれました。

何らかの事情を抱えた人でも、受け入れられ心の拠り所となるスポーツコミュニティがあれば、伸び伸びと楽しむことができ、スポーツならではの達成感を得られるのです。

そのフィットネスクラブが、緊急事態宣言で休館となり、こうして書いている今は通うことができません。

コロナ拡大でフィットネスクラブは危機的状況にあります。私が通っていたクラブにも、閉鎖してしまったところがありました。

コロナがおさまることを願うばかりです。

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