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生徒が参加者が学びの友にならなきゃいけないんだ

江藤がいなくなっても大丈夫。これがある意味理想形です。だから、やたらあれこれ指示することに誇りを持っている先生とか、参加者を下に見るような講師からは距離を取ることがあります。

先生が必要なくなった教室

かつて、生徒が完全に学びの友になった学級がありました。夏休みになるとみんなフィンランドやらドイツやら東京のワークショップやらに飛び出して行って、勝手に学んでる。3年の保護者懇談は4人しか来られなくてやることがほぼない。と言うのも、国公立の総合選抜も含めて担任がどうこうすることがなくなっていたから。

卒業式が終わっても外部の図書館で勉強していたし、実際彼らの進学の状況は良かったし、納得いかなかった子は編入してイメージ通りの大学へ。

参加者が講師に、講師が参加者に

オーガニックラーニングも同じで、連続講座もいつも参加者側の方々が講師を務めることがよくあります。そもそも江藤が学びたい方をお呼びするので、いつもは参加者の方でも学びの友であり、学ぶ相手な訳です。何をみても、誰に会っても、学びの対象にしてしまうと言う体質なのかもしれません。

今やっている講座がまさにそう。今日はDay 4でした。入り口は自由で出口は英語という課題は余白が起こす奇跡。

https://www.organic-learning.net/asobigokoro

オーガニックラーニング理事でもあるマキさんは大学で教えていますが、高校での実践を聞いてサクッとこうまとめました。私にはこういう言語力がないので尊敬!

親鸞は弟子一人(いちにん)も持たずそうろう

これを見事に表した言葉に先日の初任研修で出会いました。親鸞上人を尊敬し、ついてくる人はたくさんいたけれど自身は「親鸞は弟子一人(いちにん)も持たずそうろう」と。

そのような仏教に出会った親鸞は、自分は弟子を一人も持っていません、と言い切るのです。つまり、仏教を学んでいくうえにおいては、「先生」であろうが「弟子」であろうが、共に学び合っていく「友」(同朋)なのですよ、と親鸞は語っているのです。
https://www.otani.ac.jp/yomu_page/kotoba/nab3mq0000000mdf.html

大谷大学

足元にも及びませんが、ある程度影響力があるようになってきたからこそ、常に学ぶ姿勢でありたいと思います。江藤も"ただの”フォロワーはいらない。その心は、フォロワーであっても参加者であっても、自分の半分の年齢であっても、志を持って学ぶ友でありたいから。

さいごに

職場でも特に若い世代から学ぶことが多いです。彼らが勉強していることにも興味があるし、チャレンジ精神もある人が多いし、そもそも新カリ前提で学んできている20代はすごいなと思う。仮にイラッとすることがあっても、なぜイラッとしているのか、自分は何のモノサシで判断してイラッとしているのか。それを考えるだけでもたくさんの気づきが生まれるのです。

オーガニックラーニングでは毎週金曜日にオンラインでワークショップをしています。ともに、友に学びましょう。


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