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授業中の「雑談」ってしますか?

ふと思い出したんですが、昔結構授業とほぼ関連のない話を授業中にしていたんです。「雑談」というのは教師側、生徒側、それぞれ捉え方があって、授業のバックボーンになることだったり、マインドセットに関することだったりする場合と、本当になんの脈絡もない場合があります。昔していたのは、後者。

量を重視した管理型の一斉授業の頃

かつての私の授業は今とはかけ離れた形式でした。バリバリの一斉講義。板書で細かく用法を解説し、授業中に英語を話すことはほぼゼロ。生徒に発言させるのは指名した時だけ。生徒による会話もなく、ひたすら問題集を解かせて、暗記させ、それを単元テストで確認していました。

そしてたまにしていた雑談は生徒からしても「雑談」、つまり授業とはあまり関連がないけれど、ちょっとした息抜きとして話していたように思います。特に行事ごとのあとなどは生徒も疲れているし、自分の若い頃の話や、卒業生の話などをしていました。箸休めみたいなものです。

生徒による活動を重視し始めた頃

7、8年前から、アウトプットを重視した授業に切り替えました。授業で生徒が自分たちでアドバイスしあったり、テーマや場面設定の中で文法事項を使って英会話をしたり、プレゼンテーションかエッセーを必ず学期に一度はさせるようにしたり。

全て講義型で教え込むことから、生徒が自分で考えるようになる時間が増えました。その頃から、授業に関連する動画を見せたり、そこから考えさせるようなことが増えました。生徒も以前より生き生きと学び始めましたし、TOEICや模擬試験の成績も教え込んでいた頃より上がりました。何より、生徒が疲れ切っているというシーンが減ったように思います。

授業時間から雑談が消えたのはなぜ?

これは仮説にすぎないのですが、生徒が自分で選び、自分で生み出す作業の中で、疲れて何もしたくないシーンが減り、いわゆる「雑談」が必要なくなったと考えています。アウトプット重視の授業に切り替えてから、生徒にとって学びが「自分ごと」になって、先生によって管理され嫌々やっていた勉強が、自分のための勉強になった。それで疲れにくくなり、こちらが休ませる必要もなくなったという感じです。

現在非常に英語力が厳しい生徒たちも教えていますが、指示もほぼ英語で最初はヒーヒー言っていたものの、今は慣れてきて授業中の集中力も大きく下がりません。もちろん生徒が好きそうな関連動画を取り入れたり、音読を増やしたり、10分ほぼで活動を切り替えるなど工夫は以前よりしていますからそれも関連しているでしょう。

さいごに

こういうことを書くと、昔の生徒は可哀想、などと言う方もおられます。それこそ怒鳴りつけて、無理やり居残りさせ、何度も書いて覚えることを強制していた時代です。自分でも今やれと言われたらそんな昭和なやり方が通用しないのもわかっています。

だけど、その時だって学んでいなかった訳ではなく、単に知らなかった。それが最適解だったんです。言い訳のようですが、それはそれ。要は、そこから学び続け、試し続けて今一番いい形を提供できることを目指したい。昨日の授業も一昨日の授業も全く満足していないけれど、日々勉強し続け、生徒が将来幸せに生きていけるような授業に近づけたらいいなあ。

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