試合に負けても、勝負に勝つのはやっぱり大切かも。結果オーライ。
この文章を下書きしていたの、一ヵ月ぐらい前ですね。
時間がたつと熱量も変わっちゃいますが、レンジでチンしてみます。
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ひとりごとの続きです。
勝負に勝って、試合に負けた(出場できてなかった)|yugoto #note https://note.com/yugotof1/n/n3c27352bdfae
小さな小さな納得できなかった出来事に対して、自分なりに納得させようとした文章なんですが。
最終的に納得した例えは
「自分も相手も公式戦だと思っていたテニスの試合が、終了後にエキシビジョンマッチであることが判明し公式記録に残らなかった。」
ですかね。
こんな時期ですし、春ですし、まぁ許してください。
ただ、納得できたのは時間が経ったから、だけではなくて。
この例えの通り、記録は残らなかったけど見てくれた人はいた、って感じです。
俗な言い方をすれば「記録には残らないが記憶に残った」ということかも。(そこまでの記憶ではないだろうけども)
見てくれた人はいた。
このことに気が付けたことが、エキシビジョンマッチの虚無感を減らして、試合に勝ったことの達成感を増やすことにつながったと思う。
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「どんな試合も全力でやれ」という考えもわかりますが
「ここ一番で力を入れて、効率よく結果につなげたい」という下心もあったりして。
でも全力でやっていれば、誰かは見ているかもしれないし、自分の中の手ごたえも得られるから、効率的なのかもしれない。
というか、「本気出してなかっただけ」なんて言わないように日々過ごしたい。
今はちょっと本気出せてないけど。。。