過去の栄光への執着、もう一度「プロサッカー選手」を目指した理由の1つ
執着こそ、凝り固まった癖を作る要因で自身の成長を止めたり、人間関係で苦労したり「生きづらく」してしまう。「幸せ」を追求するためには執着に気づく、手放すことが必要になる。
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このモニュメントに縛られることは、多くのスポーツ選手に言えると思うし、僕もそうかも。「過去の実績」に執着し、もっとできるし、そうでなきゃダメだ。過去と今を比べてしまう。
良くも悪くもこれが結果があるスポーツの世界では当たり前に感じてしまう感情と思考だと思う。ただ、「じゃなきゃダメだ」「こうあるべきだ」と決めつけてしまうと「執着」になっていってしまう。これはモチベーションには繋がりにくいし、パフォーマンス低下にもつながる。
少し前の僕の話
本当は「プロサッカー選手」を引退しようと思った。それは上記のプロボクサーの方と考えが似ていて、サッカーを引きづって人生を送りそうだったから。常に結果に執着してしまう、勝ち負け、出来た出来ないに常に意識してしまうクセ、それが私生活に出てしまう。このまま続けていても、いつまでたっても満足もしないし、サッカーを楽しむことを忘れてしまいそうだったから。生活全てがかかっているプロから退こうと思っていた。
色んな経験から「執着」に気づけて、手放すまではいってないにしても寄り添いながらサッカーを楽しむことが出来ている。執着と向き合うことで世界が広がる、見えていなかった「感謝」が生まれた。あのまま引退していたら多分ずっと後悔(執着)が残ったまま。
僕がまた海外でプロの道でやろうと思ったのは「自分と向き合う」ため。執着にとらわれている自分に思いやりを持つこと、時には許すこと。それが理由の1つです。
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