大学でぼっちコーヒーをキメたあと家で洗濯物を干しながら意識はインドへ飛ぶ

題名、薬でもキメてるのか?

でも一言で説明したらそうなった。最近はネットに記事が溢れていて、誰かに読んでもらおうと思えばまあちょっとセンセーショナルに最近のラノベっぽくタイトルで説明した方がいいよねと思ったらこうなった。なんかちがうよね。

長い夏休みが終わり私は大学に通い始めた。前期でわかったことだが、大学はまあ地獄だ。ぼっちの人間にとっては特に。地元の大学なので高校からの友達がいない訳じゃないが本当に仲良い人はみんな県外だ。なんで?

一人で講義を受け、初回だから早めに終わったので時間をもてあました。一限で終わりだし家に帰るに限るが、なんかもう喉が渇いて仕方なかった(家を出る30分前に目が覚めたので朝ごはんはお茶漬けをかきこんだ。それが悪いと思う)ので、コーヒーを買った。コーヒー専用の、なんかこう、ボタンいっぱいあって、甘さとか調節出来るやつ。30秒くらいで飢えた私の目の前にはちっちゃい氷の浮かんだアイスコーヒーが提供された。文明の利器に感謝しつつ、田舎のちっちゃい大学であるここにはろくな気の利いたベンチとかもないので、まだ授業を受けている学生たちに優越感を覚えつつその場で飲んだ。この時間はすきだ。大学は人がいっぱいで気持ち悪い。今くらい人が少なくて閑静な方がいい。

Slowlyというアプリを知っているだろうか?海外の人と簡単に文通できるアプリだ。手紙を書いて、届くのに距離の文だけ時間がかかる所とか、アイコンは写真じゃなくてアバターを選べるとか、性別の配慮とか、色々と優しくてありがたいので楽しい。だが私は英語が超苦手なので一通あたり一時間かけて返している。待って!皆そんな英語で送らないで!返せないから!

私が人気者な訳ではなく、登録するだけで結構メールが来る。変な目的の人とかは今のところいない感じだ。最近はよく台湾の女の子とやりとりしている。あと中国の人。彼は初めて私に手紙をくれた人だ。一応中国語を学んでいるにもかかわらず中国の人になんとなく壁を作っていた私は、向こうから気さくなメールが届いたことにびっくりした。なんだ、仲良くしてくれる人いるんだ。人種とか関係ないんだなー、と初めて体験した。

そして私はコーヒーを飲みつつ、そのアプリを確認していた。返信しなくては。一時間かかるけど。そうだ、前に手紙をくれたインドの人にまだ返してなかった、今日返そう。と思った。

インドの人。日本が好きらしい。それだけでもう親近感持ってしまうのだが、気さくだ。この間は、写真申請(写真は双方が申請し合い了承した場合にしか送れるようにならないという措置が取られている。慎重かつ安全。)を受理したので何かしら写真を送ってくれるのかとワクワクしていたら、前の手紙で私が「そちらの天気はどうですか?」と尋ねたものだから、「Today's weather」という言葉とともにインドの空の写真を送ってくれた。インドの空すごい。建物の隙間から見える空は曇っているけれど、オレンジ色のグラデーションがとても綺麗だ。建物も、窓のところに緑色の屋根がついてたりと異国感たっぷり。最高だ、インド。この一枚で私はインドを好きになった。早くないか?

一枚で、というか、色んなものが詰まっていた。それを送ってくれる彼の優しさも、インドの美しさも、それを切りとれる人がいる国ということにも感動して、インドいいよねと勝手に知った気分になりインドカレー屋に行きたくなった。ナンが美味しいんだよね。

でもまあ、英語で誤字とか失礼のないようきちんと考えて送らなければいけない。手紙とはそういうものだ。心を込める必要がある。相手はどうか知らないが、私はそうだ。だから家に帰ってからすることにした。コーヒーの紙コップを捨てるゴミ箱には「コップ用」と書かれているにも関わらずジュースパックや缶が詰め込まれていて、より一層あのインドが美しく思えた。分別くらいしろ。

もちろんインドだってあの写真が全てじゃない。あのゴミ箱なんか目じゃないくらい散らかっているところもあれば、うちの大学よりはるかに治安のいい場所もあるだろう。そういうことだ(何が?)……どこを見るか、という話。

家に帰り私は洗濯をした。昨日の台風の名残で、外に放置していたベランダのサンダルには水となんか……土が溜まっていた。ゴミはもういい。水は出しておけば今日の天気で乾くだろう。まあ今履くから一回足は濡れるけど。

ベッドに寝転がり、うーん寝ようかなどうしようかなーと思ってたら洗濯が終わってた。ツイッターってするりと時間奪うから怖いよね。

私の住む部屋は割と高い階にある。周りに特に高いビルとかない田舎なので、眺めがいい。山と空が良く見える。秋が近づき(というか秋なんだけど気温は夏)、涼しくなってきた風を受けつつ洗濯物を干した。干しながら、いい天気だなと空を見た。

インドの彼の写真を思い出す。私も今日の天気と言ってこれを送ろう、と遠くの地に思いを馳せた。遠くの地の彼には、私が住んでいるここが昨日めちゃんこ雨が降ったことも、今日晴れていることも何も関係はしない。でも私が写真を送ればそれは関係の無いことではなくなる。私がインド良いなと思ったように、バタフライエフェクトよりもはるかに直接的に影響を与えられるのだ。まあ彼が何を思うかなど私にはわからないけれど。ただの青空だなーと思われても別にいい。自分本位だが、こうして誰かに空の写真を送りたいと思えるくらい外に目を向けることが出来るのが大事だと思った。人との交流はそこにある。生活が豊かになる。でもやっぱ大学の人とは厳しいな、なんか合わないから。スマホを介して、遠い海の向こうで。それくらいがちょうどいいのかもしれない。

ここからは余談だ。

夏はもう終わった。夏休みが終わったことで(気温はともかく)私はその事実を受け入れなきゃならない。この夏はまあ、充実したとは言えなかったがそこそこ楽しかった。数人の大学の友達とは一切遊ばず、ただ旧友たちと過ごした。一番多かったのはひとりの時間だけど。

私には数人の幼なじみがいて、彼らとは未だに機会があれば集まる。ここ数年だけれど、サプライズでそれぞれの誕生日当日かその前後に(本人を除く)みんなで集まっては、相手を突撃し祝うのが行われていた。腐れ縁じみた仲間だがなんだかんだ仲はいいと思う。本当に遠慮なんてものがほぼ消え失せている。

そのうち、ひとりは地元から出ていった。そして来年、今浪人中のもうひとりが県外に行く。気軽にはもはや集まれないし誕生日のサプライズなどできる訳もない。ただ、彼女は「来年の夏はみんな、うちの田舎に泊まりに来てよ」と言った。

彼女の祖父母の家には母親と一緒に一度泊まったことがある(家族ぐるみの付き合いなので)。絵に書いたような田舎で、とにかく田舎だが、良いところだ。川もあれば多少の店なんかもあり、祖父母の家はでかい。お金持ちだ。幼少の頃なので本当にはっきりとは覚えていないが、長い時間をかけて車に乗ってたどり着いた家、疲れきった私が母親と一緒に寝転がった畳の色と夏の暑さ、開いた襖から見える廊下の景色は鮮明に覚えている。あと川。めっちゃ楽しい。

そこにみんなで行くのだ。

あの小さな私はもう居ない。誕生日を祝い会えた頃の学生の私たちもいない。それでも大きくなった体でできることはまだまだある。大人になって寂しくなる必要はないのだ。昔とは視点もできることも違う分、きっと新しく楽しいことがあるだろう。

昔は長い時間をかけた道のりも今は新しい道が通ったことではるかに行きやすくなったらしい。大学生になり私より一足先に免許を取った三人目の幼なじみに運転させようということで意見が一致した。ちなみに私も今自動車学校に通っている。そのうち免許を手にする予定だ。「私は?免許とってるよそのころ?」と聞いたが、お前の運転は信用出来ないと全員に言われた。なんで???

あの時の私は浴衣を着て、花火大会に行った。幼なじみの子と一緒に。道中では車に備え付けのテレビで映画を見て酔い、会場では空を見上げていた。何故か井上陽水の少年時代がかかっていたことを強く覚えている。次の日か知らないが、彼女の父親の運転で少し遠出の小さなショッピングモール(と呼ぶのもはばかられるくらい小さい)に行った時は幼なじみと、その妹と三人でプリクラを撮り、お小遣いでおまじないの本を買った。なんかよくある小学生が好むやつ。あれ。でもそれは帰りの道でも家に帰ってからも私たち三人に大好評で、手放せないお供になった。今ではもうどこかに行ってしまったが、全く意味の無いものとしても、お腹が鳴った時に耳たぶを引っ張るおまじないや無くし物をした時は冷蔵庫の上に定規を置くと思い出せるとか、そういうのを覚えている。今でもお腹がなると咄嗟に耳たぶを引っ張る。昔の知識がこうして私に息づいている。すごく素敵なことじゃないだろうか。多分効果はないけどさ。

来年の夏、みんなで、五人で行くとどうなるだろうか(一人話題にでてないが幼なじみ④もいる)。余計な明かりがないから星空がとても綺麗らしい。

私は今から、来年の夏を楽しみにしている。それが私のあと一年生きる理由になるだろう。

ひょっとしたら来年は誰も覚えていないかもしれない。そしたら私が言いたいと思った、みんなで行きたいと。

だからこのノートに蛇足と解りつつこんな長文を付け加えた。覚え書きだ。メモだ。どうか来年まで生きていますように私。きっと来年にはまた、再来年まで生きる理由ができている。

ちなみにこれ、Today's weather.

画像1




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?