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福岡時代の私

福岡時代の私

 福岡時代の私、それはもう、怒涛の1年9ヶ月でありました。
 広島の治療院を退職した私は、いきなり福岡のアパートで一人暮らしをする事になってしまいました。
 掃除や洗濯は、盲学校時代にそこそこやって」いましたが、炊事だけは全くできませんでした。
近くのスーパーで何かを買ってきては、訳のわからないものを作って食べていました。
 他はほとんど外食でしたね。
 お仕事、それはもう、悲惨でした。
 とにかく毎日お客さんが無かったんです。
 広告も織り込みチラシなどを作ってやっては見ましたが、なかなか来てはもらえませんでした。
そこで私は、職業安定書に、仕事先を見つけに行きました。
 なんとか見つかり、そこに働きに行く事にしました。
施術者のほとんどは女性でした。
 ほとんどが、ホテルに派遣で行く、往診専門の治療院でした。
 やはり、この世界は女性が強かったですね。
 男性のお客さんは女性を好み、女性のお客さんも、どちらかというと、女性を好みます。
 なので、我々男性マッサージ師は、ほとんどお呼びがかかりませんでした。
他にも、何軒かの治療院に勤めても見ましたが、同じようなものでした。
常駐型のホテルのマッサージルームや、サウナのマッサージ室にも勤めたこともありました。
 また、ある時は、危ない系の人の下でも、マッサージをしたこともありました。
 とにかく、福岡はいろんな経験をさせてもらう事ができました。
と言うわけで、大赤字を抱えて、泣く泣く福岡の治療院を閉院したのでした。
と言うわけで、もっと詳しい事については、新しく書いて行きたいと思います。
 本日はお読みいただきまして、誠にありがとうございました。
またよろしくお願いします。

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