スピンオフの通学路

リア充が嫌いだ


生きとし生ける非モテ男子は同じことを考えてる前提で今回は話をする。


最近、クラスメート(リア充)から聞いて驚いてしまったのだが、リア充は自分達がなぜ嫌われているのかがわからないらしい。これは非常に大問題である。私は理由があってリア充を嫌っているのに、リア充達は私が理由なく勝手に嫌っていると思い込んでいるのだ。

なるほど確かに。言われてみれば周りから(主に私から)僻まれているリア充を見るとどことなしか被害者ヅラをしているように見える。ならば今この場を持って、自分がリア充を嫌いな理由をこの間起こった話を用いて説明したいと思う。



高校選びを間違えた私にも高校の友達が少しばかりいる。友達?本来、友達というのは恐らく何らかの共通点があって初めて出来ていくと思うのだが、自分の高校の友達との共通点は“高校が嫌い”この一点のみである。全員若干のオタク感や陰キャ感(ちなみに、この類の言葉を使う奴とは仲良くなりたくないというバロメータになるから私はこう言った言葉が大好きである。)があるが、好きなアニメもジャンルも全く違う。又、あまり話を合わせるということをしないので基本的にあまり話が噛み合わない。しかし誰も一人で帰りたくないので仕方なく話の合わないまま帰るのだ。

しかしこの間、全員の共通の話題がたまたま見つかり、すごく楽しい帰り道になった。そこには華こそないものの青春の一ページを刻んでいるかのようだった。まぁこんな青春も悪くないかな…なんて思いながら別れ際に挨拶をしようとして振り返ると、友達の奥にあのクラスメートとその彼女が並んで歩いていた。


あっこれスピンオフだ

スピンオフ:漫画やアニメによくある、同じ時間軸でのモブの行動をまとめたもの。得てして映画化実写化すると端折られることが多い。

と思ってしまった。自分にとっての楽しい青春は他の人にとっては日常であって、他人にとっての“青春”は私は手に入れたことが無かったのだ。自分が持ってないものを持っている。嫌いになるのにそれ以上の理由はいらないだろう。

以上が私がリア充を嫌いな理由である。最後にクラスメートへ






リア充は俺と同じ時間軸に存在すな

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