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永遠はないと思っている

はい…、
インフルエンザから復帰しました、筆者です。

今日は自分の心に閉まっていた事を少し書いていこうかなと思いまして。

この歳になると、新たな出会いというのは減りますね。
いつまでも仲がいい人間関係は続く訳じゃないし、永遠という言葉を信じないタチです。
ただ、今ある縁は大事にしていきたいです。

僕個人としては、一人で音楽活動をする様になって、一人で続けていく事の大変さも痛感していますが…。

この言葉をふと思い出したが、
永遠なんて無い」という言葉、ふと思い出しました。

これはGLAYのTAKURO氏の著書「胸懐」の見出しなんですが、これが妙に印象に残っていました。

そんな俺の記憶に閉まっていた事を書いていこうと思います。

あなたはもう友達じゃない
これを直接言われた事は…
今までの人生においては、何度かあります。
だいたい無意識で避けられたか、喧嘩の後の事後報告でした。

この体験があってからかも知れないけど…、
俺は悪口ばかり言う人間とか、卑しい人間とは極力距離を取ってます。
ますます性格が悪くなる一方で、俺にとってはメリットはありませんので。

本当に仲がいい、についても深く考える様にもなってしまったね。
でも、本当にずっと一緒にいれる関係って素晴らしいし、みんなからの信頼を集められて最後を迎えたいものです。
表面上の仲良しは、側から色んな人、見てきた。

何故なら、
学生時代に見た姉妹同然の仲良し女の子の2人、ある日突然いつの間にか喧嘩して目すら合わせなくなった。

仲がいいと言われていた男子2人、いつの間にか口も聞かなくなり距離を取っていた。

仲良しをアピールしていたバンド、家族同然にくっついてたけど、途中から仲間割れして空中分解した。

蜜月だと思っていたとあるバンドメンバー同士、仲間割れして他のバンドメンバーが間に入ってコミュニケーションを取らなきゃいけなくなるぐらい人間関係が悪化した。

女の取り合いなど、他にも色々あるけれど、こんな感じ。

どれもこれも必要以上にくっつきすぎて、関係性が悪化したのかも知れない。
仲がいいのは悪い事ではないけど、必要以上にくっつきすぎるのはダメだなというのを十分に理解したし、もう少し人の事を尊重するべきだったよね。

俺自身も人間なので、普段から談笑するタイプの人間ではあるけれど、相手の踏み込んではいけない所に土足でヅケヅケと踏み込む気はありません。
親しい人間だろうと、触れてはいけないパーソナルエリアは必ずある。

司会者のタモリさんも友達というワードに対して、こんな言葉を言っていました。

友人なんて、いなくてもいいんだ。友人なんていなくても全然やっていける。何をもって友人と定義するかだ。パーッと騒いで、お喋りするぐらいの仲をそう言うのなら、俺にも友人は数えきれないくらいいる。

ヨルタモリより

10代〜20代の時は僕自身も群れ散らかしてました。
今思えば友達がなかなか出来ない性格だったから、群れ散らかしてパーっと騒いだりしていました。
ただ、本当の意味で心を許せる人はあまり出会う事はなかったです。

遊ぶだけの顔見知りや、お客と店員という顔見知りはいるにはいますが、何か満たされなかったので欲求不満でした。

ここ数年はお遊びの付き合いは断り続けているので、プライベートは多分つまらない人間なんだろうなと思われてる。
ただ、それでいい。

正直、こう書いてみると俺はバンドマン、バンドマンって性格じゃなかったのかも知れない。
群れ散らかした身でありながら女遊びは不得手だったし、ただ楽しいだけの飲み会もあまり好きになれなかったです。

側から見たらバンドマンというより、ただの引きこもりコミュ障ですが、性格的にはどんちゃん騒ぎをする様な陽キャとは方向性が合わないので、そこは仕方ないと割り切ってます。

知り合いと言える仲はたくさん出来るとしても、本当に心を許せる親友、恋人はほんの一握りしか出来ないと思う。

せっかくの仲間意識や、友情を少しの事で崩壊させていくのは、俺はもう見たくないし、裏切られたくもない。
ずっと仲良く!とまではいかないだろうけど、関係性は良好であるに越した事はないし、今ある縁は大事にしていきたいと思っています。

どん底に落ちたからと考えている暇があるなら、まだ余裕がある証拠。
そのうちはこねくり回して、自分の直感を信じて動きます。

だいぶ話が逸れましたが、今日はここまでです。
永遠なんてない→希望の未来
みたいな内容になってしまったからねw

そんな俺も今を生きるのに必死です。

ではまた。

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