大部屋とタクシー

昨日は救急車で
父を病院に・・・コロナではない。

スイカが喉に詰まって窒息したのだ。
88歳、常に誤飲の危険がある。
ほんの小さなスイカでもダメな時はダメなのだ。

一命は取り留めたが救急車が来て応急処置をするまでの少しの間、
呼吸停止、心拍停止だったらしくて楽観はできない。
もともと体力も落ちていたし
このまま順調に退院できるのか
突発的に問題が発生して息絶えるのか?
誰にもわかりはしない。

今日、バスタオルやオムツなどの日用品を届けたのが
最後になる、コロナ騒動によって面会は禁止。
基本、退院するか死ぬまで会えない。
(何だろうこの規則?法的に根拠はあるのか?)
コロナの患者はいない病棟だが(有るないはここでは除外)
大部屋病棟にはベッドが6つくらいかな
うちの父も含め・・・80以上、90歳近い高齢者しかいない。
これはもう、完全に介護施設の終末治療にみえる。

これから推し量れば
コロナ問題は、高齢化社会の終末治療そのものだろう。
コロナ病棟も同じ傾向だと言うのは容易に想像できる。

エクモを利用しなければならないというのは
死ぬ前の老人がほとんどだってことだろう。
言ってみればすべきではない延命なのだ。


父の手を軽く叩いて声をかけると
目をうっすら開けて此方を見て居る様子。
一応、父は私を認識した。
『コロナの関係で退院するまで面会できへんからな。
 しっかり元気なって退院しーや』と声を掛けた。
聞こえて居るだろう。

あとは運を天に任せる。

この話にはおまけがある。

帰りもタクシーだったが、
女性(中年 同年代か60前後)ドライバーだった。
こちらから、話をしてみた。
「車の中でもマスク大変でしょ」
「うちの父は喉を詰まらせて入院、病棟は老人ばかり、
 退院するまで面会できない。」

そこから、話は発展し・・
以下ドライバーさんの言葉の要約
「普通の営業者でマスクしてるのは変」
「面会できない患者さんは見捨てらたようで可哀想」
「インフルの時に数日、面会禁止になり、母に恨まれた、老人は捨てられたと思う。」
「母親(ドライバーの)はコロナ前に死んで幸いだった。」
「指定感染症を下げなあかんあかんね」
話題は私がリードしてるが、全部、話が合う・・

ワクチンの話をしてみると
ドライバーさんも結構わかってる。
「お医者さんはすごく儲けてる」
「このワクチンは打たないで置こうと思ったけれど
 周りの圧力に負けて一回打った。」
「インフルでも数万人毎年死んでる、これは陰謀やね」
「若い人に勧めるたらあかんね」

結局ドライバーさん、結構わかってる派でした。
私もmRNA  の治験ワクチンは打たない理由を説明して
車内は少し、盛り上がった。

で最後は
「9月に二回目打つ予定やったけど 止めるわ」
ドライバーさんが言った。
今度また色々教えてと言われたが
一期一会だろうなと思ったのです。
あ、連絡先でも渡せばよかったな😆
(こう言うケースは想定してなかった)


「自分の免疫を信じてね!」と言ってタクシーを降りたのでした。

その人も、もしかしたら、また同調圧力で打ってしまうかもしれないが
それもその人の運。
今日話し合えたのも運。

誰とでも話が合うわけでもない。
こんなご時世だから合わない方が普通。
だから決して話術じゃない。これは巡り合わせ。

幸運を祈る!

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