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愛し愛されて生きるのさ【分析】

はじめに

 一曲目に取り上げる小沢健二さんの楽曲「愛し愛されて生きるのさ」は1994年にリリースされた2ndアルバム「LIFE」の曲順先頭を務める小沢健二さんの代表作に数えられる名曲である。この曲の特徴は言葉遊びの多様さシンプルかつ洗練されたフレーズワーク明確なテーマが強調された楽曲構成などであり、90年代の小沢さんらしい作品ともいえる。
「愛し愛されていきるのさ」という曲は題名の通り「」を主題とし時間軸と結びつきながらこのテーマを深め、絞りだしていく。この曲の英題「LOVE IS WHAT WE NEED」のことも頭に入れながら「共有される愛」について考えていきたい。
「愛し愛されて生きるのさ」動画

※非常に長いので、興味のある箇所だけでも読んでいただけたら嬉しいです

本論

Aメロ1

とおり雨がコンクリートを染めてゆくのさ
僕らの心の中へも浸みこむようさ
この通りの向こう側 水をはねて誰か走る



 ・まず文頭を母音[o]で合わせ、アクセントに母音[o]をちりばめている様子がわかる。さらに最後の固まりでは母音[a]で遊び心を協調している。このように曲初めから言葉遊びを全開させているのだ。また文末の「さ」が軽く言い離す気持ちを伝え、感情が現実と並行している印象を与える。音楽全体で多用されることにも注目したい。
・「僕ら」とは何を指すのか?この時点では不明瞭である。またこの「誰か」とはこの場面ではシーンの一部(細部)として捉えられそうだ。
・「コンクリート」というフレーズは文章に現実感を引き立てる非常に効果的な使われ方をしている。


Aメロ2

夕方に簡単に雨が上がったその後で
お茶でも飲みに行こうなんて電話をかけて
駅からの道を行く 君の住む部屋へと急ぐ

・まず一行目の母音[a]を約一文字刻みに用いることでアクセントを充実させている。
・Aメロ1とは異なる多様な韻の踏み方をしていることから、思いついたフレーズの要素から上手に韻を見つけ表現している小沢さんの意図が感じられる。つまり言葉の意味選びが韻選びに先行しているということだ。
・ストーリー的に考えると一行目で「雨上がり」が表現されていることから、このパートはAメロ1と関連していることがわかる。
・「君」の登場によって、Aメロ1にあった「僕ら」は君と僕を差すものだと解釈できる。さらに「僕」の「君」に対する態度から二人は付き合いの短くない恋人なのかもしれない(小沢健二本人のイメージにも合う)加えて「部屋」という単語はとても都会(アーバン)らしい発想だとも思う。


サビ1

いつだって可笑しいほど誰もが誰か愛し愛されて生きるのさ
それだけがただ僕らを悩める時にも未来の世界へ連れてく

・一般的な日本の楽曲はBメロを間に挟む場合が多いが、小沢さんの楽曲の場合にはほとんどBメロは存在しない。「Aメロ→サビ」の流れは洋楽曲に多い構成らしく、本人もその影響を受けいていると考えられる。
・一行目の「だ」「あ」による韻を活用したアクセントの使い方が、強調したいフレーズを強調するという意図に有効的に結び付けられている。また二行目の韻の踏み方は母音[a][o]を組み合わせるというかなり高度な表現で「未来の…」との音程的ギャップ(強弱)を強く生み出しいる。
・小沢さんの特徴としてサビにおいて普遍性を表現する例が多く見られ、この曲もそれに該当する。その一つの根拠にここでは限定的な名詞が用いられていない。
・主語を「誰」におくことで対象を広げ「愛」という言葉を使い、さらに言葉を重ねることで、「愛し愛されて生きるのさ」のテーマがこのサビにあることを強調しているように考えられる。ただこの時点ではこのテーマにまだ掘り下げられていないため、この時点では言及することはできない。
・また「将来」を「未来の世界」という柔らかい言葉に言い換えている点が小沢さんらしい。2010年代の楽曲でも多様に用いられるようになっている。


Aメロ3

ナーンにも見えない夜空仰向けで見てた
そっと手を伸ばせば僕らは手をつなげたさ
けどそんな時は過ぎて 大人になりずいぶん経つ

・理由は定かではないが韻の踏みが明らかに少なくなった。「ナーン」という口語表現も組み込まれていて、「僕」の気持ちに寄り添った描かれ方がしている。
・Aメロ2「夕方」とこの「夜空」に関連性(時間帯的なつながり)がわかることから、サビ前ストーリーの続きが描かれていることだと仮定しよう。
・そして三行目でここまでのストーリーが一気に転換する。つまりここまでは、大人になる前が描かれていたと言うことになり、二行目に関して言えば「君」と「手をつなげなかった」、つまりは「結ばれなかった」ことを表現していると解釈できる。
・また「大人になりずいぶん経つ」といっても小沢さん本人が20代であったことを踏まえれば「僕ら」自身も「若者」であるとわかるだろう。


サビ2

ふてくされてばかりの10代をすぎ 分別もついて歳をとり
夢から夢といつも醒めぬまま僕らは未来の世界へ駆けてく

・Aメロを一つだけしか挟んでいないことから「サビに戻ってくる」というとらえ方が適切ではないかと思われる。(前Aメロでのストーリーの大きな動きも関連して)
・ここまで表現されていた「僕ら」が「ふたくれてばかりの10代」に一致する。肯定も否定もせず、現実をありのままに語るアルバム「LIFE」らしいテーマが表現されていることがわかる。夢から覚めない「僕」は曲全体で表現されていることもわかってきた。


Aメロ4

月が輝く夜空が待ってる夕べさ
突然ほんのちょっと誰かに会いたくなるのさ
そんな言い訳を用意して 君の住む部屋へと急ぐ

・ここでは、またもや時間軸が大きく変化し、ストーリーが再びAメロ2まで戻ったとも考えらえる。韻の踏み方もAメロ3よりも圧倒的に多様かつ賑やかで戻し感がする。
・また二行目の「誰かに会いたくなるのさ」において「誰か」を「君」だと断定していない点に注目したい。そして三行目の行動から「誰か」に会いたくなったから「君」に会う、という「僕」(つまりは小沢さん)の価値観が描かれ、ひいてはそれが「愛」の普遍性という大きな楽曲テーマを体現しているのだ。



間奏ー語り

“家族や友人たちと 並木道を歩くように 曲がり角を曲がるように
僕らは何処へ行くのだろうかと 何度も口に出してみたり
熱心に考え 深夜に恋人のことを思って
誰かのために祈るような そんな気にもなるのかなんて考えたりするけど“

・この曲の大きな特徴の一つであり「ある光」「アルペジオ」でもお馴染みの、間奏の語り。緻密な韻踏みを含んだ語りには、小沢さんの歌詞に対する責任感を感じる。
・直喩法「~ような」。小沢さんは自身の楽曲の中で、この「~ような」という比喩表現を独自にアレンジし多用することで自身の感性、世界観を色濃く演出する特徴を持っている。全楽曲を通じてかなり重要なフレーズだ。
・並列語尾「~たり」。文法上「~たり」は計二回繰り返され並列な関係を表現するが、歌詞を詳しく見ていくと「家族や…出してみたり」と「僕らは…なんて考えたり」の二つの並列な内容になっていることが明確にわかる。
それでは分解してみていこう。
・並列の一つ目が表している内容は、推測するに人生そのものについてだと思われる。想像になるが「並木道」が人生の道筋だとすれば「曲がり角」は人生の分岐点というところだろう。「僕らは何処へ行くのだろうか?」人生にそんな問いかけをしてしまうように切実で不透明な胸の内が描かれている。(いわゆるマクロな視点)
・並列の二つ目は、「恋人」という新しい主語が登場し、内容がより具体的となった。非常に興味深いのは、やはりこの「恋人」も「誰か」の中の一人にすぎないという描かれ方だ。おそらく家族や友人たちも「誰か」の一人一人ということなんだろう。「誰かのために祈る」という言葉からも宗教観が感じとれなくもない。アルバム「LIFE」の大きなテーマが「生命の肯定」といわれる所以は、この澄んだ隣人愛にあると思われる。
・最後の「けど」は文章が続くというよりも、言葉を言い捨てる、吐くのようなイメージが適切だと思われる。やはりこの二つの並列の内容を漠然に胸に抱いている状態を表現しているのだろう。

サビ3

10年前の僕らは胸を痛めて「いとしのエリー」なんて聴いてた
ふぞろいな心はまだ今でも僕らをやるせなく悩ませるのさ

・楽曲の世界観を決定づける重要な情報が表されたパートであり、世代が歌われているような印象を受ける。「10年前」はおそらくサビ2の「10代」と一致させる意図があったものだろう。つまりここで描かれる主人公は20代であることが明確にわかり、また微妙にずれるが「いとしのエリー」が流行した時期と関連させると、少なくともここでは「小沢健二」本人について表現されていることが推測できる。
・「いとしのエリー」に注目すると、1979年にリリースされたこの楽曲はドラマ「ふぞろいの林檎たち」の主題歌に用いられていた。おそらく歌詞にある「ふぞろいな心」とはこのドラマと関連させたフレーズである。またこのドラマは若者たちの葛藤を描く作品であるらしく、「今でも僕らをやるせなく悩ませるのさ」は小沢さんなりの解釈が表現されたフレーズだと考えられる。やはりここでも若者の「虚無感」「漠然とした不安感」が表される形となっている。
・最後に注目したいのは「僕ら」の解釈だ。今までの歌詞では「僕ら」とは「僕」を含めた「恋人」や「家族や友人」というところだった。しかし、あくまで私の感触だが、ここでの「僕ら」は「同世代の若者たち」に向けられているとも考えられる。(実際サビ1、サビ2でも「僕ら」をそう解釈することは可能。またサビで視点を大きく変化させるという点でも自然な流れ)

Aメロ5

まぶしげにきっと彼女はまつげをふせて
ほんのちょっと息を切らして走って降りてくる
大きな川を渡る橋が見える場所を歩く

・「きっと」いう副詞とここまでの展開を考えると、ここで描かれているシーンは、主人公が頭の中に思い描いているイメージだとわかる。「まつげをふせて」や「ほんのちょっと」などの繊細な描写は「彼女」つまりは「君」に対する印象の強さを思わせる。
・「走って降りてくる」とは内容が状況が明記させていないが、想像するにAメロ2、Aメロ3の「君の住む部屋へと急ぐ」の内容と時間軸がつながっている可能性が高い。
・最後の一文は意味の捉え方、解釈が非常に難しい。当楽曲では単に情景を表現しているだけの可能性もあるが、小沢さんの楽曲である「強い気持ち・強い愛」にも「大きく深い川 君と僕は渡る」というに類似したフレーズが存在している。その楽曲の大サビでは「僕」が「君」と共に人生を乗り越えていくという強い意志が表現されており、また楽曲全体の歌詞の雰囲気としても似ていなくもない。
・二曲の関連性の有無については定かではないが、一つだけ確かなことは「川」や「雨」などの「水」は小沢さんにとって重要な要素であることだ。さらに「水」の要素は2010年代においてはより顕著なものとして楽曲の数々に色濃く表現され、やはり序盤、終盤に描かれることが多い。

サビ4(大サビ)

いつだって可笑しいほど誰もが誰か愛し愛されて生きるのさ
それだけがただ僕らを悩める時にも未来の世界へ連れてく

・大サビはサビ1と同じフレーズとなった。実は繰り返し同じ表現が使われるのはここが初めてであり、同時にこのパートが小沢さんが最もリスナーに届けたい言葉なのだろう。
・そして曲の題名でもある「愛し愛されて生きるのさ」というフレーズで最初と最後を飾るシンプルなまとめ方は歌詞の奥深さを楽曲の中に集約させる上でとても機転の利いた発想だと私は思う。
・ここまでくると「未来の世界へ連れてく」の意味がなんとなく理解できてくるのではないだろうか。

Aメロ6

月が輝く夜空が待ってる夕べさ
突然ほんのちょっと誰かに会いたくなるのさ
そんな言い訳を用意して 君の住む部屋へと急ぐ

・最後のパートはAメロ4を繰り返す形となった。最後に再び過去の時間軸に戻して楽曲の世界を閉じることから、楽曲全体を一つの固まりとして大きく包み込もうとするような小沢さんの意図が感じられる。
・余談だがこの楽曲の面白さのひとつは、「君」という「僕」にとっての恋人が楽曲の流れの中で自然と「恋」ではなく「愛」と捉えて考えられるようになっている点だ。当時の小沢さんにはまだ恋愛色が色濃くあったにも関わらず、テーマに拘った楽曲の軸を順守した工夫はかなり質が高い。

おわりに

愛し愛されて生きるのさ」という楽曲はここまで見てきた通り、非常に繊細かつ強弱のある文章表現と、丁寧かつ様々な工夫が施された構成によって、楽曲のテーマを組み上げた作品であった。「過去」と「現在」の二つの時間軸を併用した世界観に、小沢さん本人も含めた当時の若者たちが抱える都会に立ち込める漠然とした不安を落とし込む形になった。また私はこの物語が、誰もが生活の中で漠然とふいに思い浮かぶ感覚が「愛」などの大きなテーマに結びついていくという流れを大切にしたいと思っている。つまりは日常からかけ離れた感性とは日常ありきであるいうことだ。
 改めて「愛し愛されて生きるのさ」は素晴らしい作品であった。(完)


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