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Esports は〜などと言ってないで「スポーツはゲームではないか」と殴り返すべきでは?

議論は議題を設定するところから政治的な争いが始まっているというのはご存知のとおりかと思います。

真に受けられても困る文章です。

討論者ではなく出題者が、受講者ではなくサンデル教授が、ナプキンを最初に取る人間が主導権を握るというやつです。轢ーッ!

トロッコ問題はそのような図式で実際の様々な社会問題を考えさせるための入り口として有用だったわけですが、では「 Esports はスポーツか?」という問いを立てることで何が明らかになり、どのような効果があるのでしょうか。もちろん「スポーツじゃねーよオタクども」というアレです。

Esports という単語の成り立ちからして nerd や geek がアメフト部でプロムの相手に困らない  jock  にムキーッとなって造られた言葉に違いないと私は確信しているのですが(要出典)、そんな古のオタクどもの怨念の報いを 2019 年の今、令和になろうという時にいつまでもウダウダとやっていても仕方ないような気もします。

そもそも Sports とは〜、Game とは〜と語源なんかを辿る必要もなくスポーツは「ゲームではない」を指すものではなく、ゲームもまた「スポーツではない」を指す言葉ではないことは明らかなので、むしろ「ゲームでもありスポーツでもあるもの」が存在するのは自然なことです。

ロードローラーを引き摺り回し、パイルバンカーを突き立て、誕生日は誰にも祝ってもらえないなどのハードな特訓が一世を風靡したことでも知られる野球などでも「ゲームセット」という敵性語が使われていることから野球場で行われているものは明らかにゲームなのです。

明らかにスポーツという言葉よりゲームという言葉の射程の方が広い。ゲーム理論は経済学の用語ですがスポーツ理論という用語はおそらく存在しません。『エンダーのゲーム』は『エンダーのスポーツ』ではなく、『ゲーム・オブ・スローンズ』は『スポーツ・オブ・スローンズ』ではないし『アベンジャーズ』のラストを飾る副題は『エンドゲーム』であって『エンドスポーツ』ではない。

ではビデオゲームは?賢明なる読者諸君はお気付きのとおり私は酔っ払って、じゃなかったテキトーを書いています。今まで書いてきたことはゲームという言葉についてであり、ビデオゲーム(ピコピコ)はスポーツ(健全な精神は健全な肉体に宿る)かという話ではありません。

ビデオゲームはスポーツか」この問いに真っ向から向き合うのは限りなく阿呆臭い無益な行為です。なんといってもこの問いを立てる人間が前提にしているスポーツは競うことでも身体を動かすことでもなく汗をかいて努力しマネージャーにビブスを洗濯させたあと無駄に遅くまで残業し飲み会では上司にお酌しにいくことに他ならないからです。

そのような問いに答える必要はない。そのような問いは立てる者も答える者も上司のご機嫌取りで一発芸をやる人間にしてしまう……END OF MEXICO

そう、「 Esports はスポーツなのか」と問いを立てられたならば「スポーツはゲームではないか」と立て返すのが一流のまぜっ返しなのです。

この他にも色々な問い立てがあってしかるべきです。「ボードゲームはスポーツか」「カードゲームはスポーツか」「 RPG はスポーツか」「野球はゲームか」「カバディはゲームか」「鹿打ちはゲームか」「剣道はスポーツか」「川下りはゲームか」「ナンパは……」「育児は……」「領収書清算は……」「人生とは……」前提を曖昧にしていきましょう。なぜ esports ばかりが問われる側に甘んじていなければいけないのか。

冒頭にも述べたとおり、問いは答える側でなく立てた側が圧倒的に有利になる図式です。あなたが横綱でも無い限り相手の土俵で相撲を取る必要はありません。引き摺り落としパイプ椅子で殴り倒した後に相手を見下しこう叫びましょう。「相撲は国技だし、プロレスはヤラセじゃない」と。

「マインドゲームはマインドスポーツか」という問いはなかなか面白そうです。マインドスポーツは汗かき信仰を取り払っていないと出てこない言葉です。酔った頭でゲームとスポーツの違いを考えるにはうってつけの気がしてきました。


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