83: 懐かしい下町の夕焼け小焼け色
森の奥深く
あなたが知っている
あるいは知らない場所にある色屋の話。
カタカタカタ!
下駄を鳴らして走り去るおかっぱ頭の女の子。
彼女の足より大きな下駄は,ともすれば
すっぽりと足から飛んでいきそうな程なのだが,器用に履きこなして走り去っていく。
にゃーと猫があくび混じりに鳴きながら
道を横切る。
坊主頭の半袖半ズボンの男の子たちがワイワイと
騒がしく走り去る…
ご婦人達が買い物かごから野菜を覗かせて
慌てた足取りで通り過ぎていく…
僕は夢を見ているのだろうか…?
この景色は,僕が知らない時代だ…
八塩さんあたりの年代の,
小さな頃の夕方の景色じゃないかな…?
年寄り扱いしたら怒られるだろうけれども。
いい感じの屋根瓦が続く長屋の横道に入り、
夕方に赤く染まった様々な色を
採取しようかと,瓶を手にする為に
カバンをのぞいた一瞬だったんだけれども…
どこに囚われちゃったんだろう?
元の場所に帰れるかな…?
時々,その場所に刻まれた記憶がふわりと
溶け出すように現れ,気がつくと包まれていて,
現実と記憶の曖昧な場所に立っている時がある。
よく言う「どこか懐かしい風景」と
言われるやつだ。
パープーと音が鳴り,豆腐屋が
屋台を引っ張って売りに来た。
鍋を持って買いにくる小学生ぐらいの子供。
「お豆腐一丁くださいな!」
「毎度あり。おいちゃんの豆腐は
ものすごく美味しいからね。
ああ,角がかけてるね。
すこうしオマケをつけておくよ」
「ありがとう!これお代」
「お手伝いしてお利口だね」
2人が笑って左右に離れていく。
「うん。
なんだかノスタルジックな映画の一場面に
紛れ込んだみたいだ。 みんな活気がある」
僕はこの際,楽しんでみることにした。
店じまいを仕掛けている駄菓子屋。
最後の魚を売り切りたい魚屋。
威勢のいい掛け声の八百屋。
様々な店の軒先をのぞいて歩く。
今は失われつつある景色と色と匂い。
色を取らなきゃと思いつつ,
ここは知らない時代なはずなのに,
住んでいたことがあったような,
よく知っている場所のような気がしてきて
思い出という懐かしさを探すように道を
行ったり来たりしていると…
突然,景色の輪郭が曖昧になり出した。
「ヤバ。元に戻る!」
僕は我に帰った。
「この時代のこの色を納めなくっちゃ!」
瓶を数本取り出して走りながらあちこちの色を
汲みとっていく。
「待って待って!夕焼けの最後の色よ!
もう少し伸びて〜!」
するりと抜ける猫のしっぽのように
突然に,陰の中に沈み出す長屋の横道に
立っていた僕。あっけないひと時だった。
しかし手元には,美しく,
どこか懐かしい気にさせる
オレンジ色の入った瓶や,赤い色,
陰った色が残されていた。
「ふぅ,間に合った。 よかったよかった。
これ,八塩さんに見せて,昔話を聞いてみよう。
答え合わせになるかもしれないしね」
「あ,昔なんて言ったら怒られるな。
”子供の頃の話を聞かせて“と切り出そう。
美味しいケーキを食べながら聴きたいしね」
「また来るよ」
青年はにっこりと微笑んで長屋の横道を
後にしたのでした。
青年の,夕焼けの長い長い影が横道に伸びて
名残惜しそうにしていました。
これは,ここにご縁があることを
表している気がしますね…