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泣きたい程ありがたいと ありがたくて涙が出るの誤差の差
「泣きたい程ありがたい」
と
「ありがたくて涙が出た」
は、
同じ様で、
ありがたさの程度が違う。
と、
言っても、
「ありがたい」
と言う感情に落ちた事はあるだろうか?
私は12年前まで、
「ありがたい」
と、
思った事がなかった。
「ありがたい」
は
「ありがとう」
とは、
全然違う。
「ありがたい」
と言う言葉以外ない特別な感情。
「泣きたい程ありがたい」
は
まだエゴが残っている。
でも、
「ありがたくて涙が出た」
は、
もう、エゴなんか消えていて、
「ありがたい」
が、
自分の意思とは
関係なんかなくなっていて、
「ありがたい」100%の異空間で、
何故か世界は金色に輝いている。
「ありがたくて涙が出た」
は、
ある意味、悟りの世界だと思う。
本当にその状態がありがたくて、
涙が出るのだ。
その涙は本当に暖かくて、
自分自身をも浄化してくれる。
さて、
「ありがたい」
とは、
一体何なのか?
「ありがたい」と言う言葉が、
既に、
それ以上でもそれ以下でもなく、
その状態そのものだから、
他に例えようもない。
それは、
自分が品行方正だからでもなく、
自分の善行でもなく、
自分がどんなにアホでも、
自分がどんなに貧相でも
与えられる。
条件は一つ。
「ありがたい」
を
感じられるか。
恐らく、
普通の日常で
「ありがたい」
に落ちられる人は
少ないのではないだろうか?
普通の日常で、
「ありがたい」に
落ちる事が出来る人も
勿論いると思うが。
でもそれは、
日常にそれなりの何かが
あるのだろう。
何故なら、
「ありがたくて涙が出た」
は、
悟りに近い現象だから。
私は、
311の震災を経験しなかったら
「ありがたい」
を
一生感じる事は出来なかったと思う。
小野龍光さんは、
普通の世界で大出世し、
その世界で死を考え、
ドロップアウト後得度して、
今年、
四国八十八ヶ所を廻り、
人々のお接待や、
自然の美しさに、
「ありがたくて涙が出た」
と、
涙を流しながら語った。
その涙を見ながら、
その光景が浮かんで、
私もまた
「ありがたい」
を
受け取り、
涙が溢れた。
恐らくだが、
「ありがたくて涙が出た」
と泣く小野さんを
「なんで、それで泣けるわけ?」
と、思う人もいるのではないかと思う。
多分それは、
本当の「ありがたい」
を
まだ経験していないからだと思う。
「ありがたくて涙が出た」
は、
何もしなくても、
与えられている事を
何らかの大きなショックを
乗り越えた先に
知るのではないだろう。
「ありがたい」
と言う、
不思議な感情。
「ありがたい」
に
一度落ちる事が出来ると、
日常にも
「ありがたい」
がある事に気付き出す。
生まれ持って、
「ありがたい」
と言う感情を知っている人は、
いるのだろうか?
個人的に、
そんな人は悟った状態で生まれたと
言っていい様に思う。
「ありがたい」
は、
息をして生きているだけで
十分だと教えてくれる。
そしてまた、
「ありがたい」
に、
戻って行く。
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