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大原扁理 第三弾!!…どれだけ続ける?

方丈記、高校生で一度は読んだハズ…。

有名な出だしの
「ゆく川の流れは絶えずして しかも もとの水にあらず」
は、本当に有名で、美しい文章。

でもですね〜〜〜。
高校生の私には、無常がどんなものか分かりませんでした。
だって、高校生なんかまだ成長期の途中。
変わってトーゼン!!
「なんで変わる事が、そんなにシミジミさせる訳?」
と、思って、意味がサッパリ理解できませんでした。

アホですみません。

無常の切なさを実感するのは、もっと後。
その頃には、方丈記さえ忘れていました。

でも、半世紀生きて再び方丈記を読めば、
それまで悩んでいた事の殆どに答えが書いてあって、
「私の悩みって、無駄だったの?」
としか思えません。
だって〜、800年も前に答えが出ているんだから。

高校生の時に、チャント方丈記を理解できていれば、
もっと先の世界に行けた気がします。
…でも、それは欲張り過ぎかな?
自分で答えを見つけたからこそ、
方丈記の意味が理解出来るようになっただけかも知れませんね。
半世紀生きて、ようやく答え合わせが出来たのかも…。

自己採点がユルイせいか、
私の生き方は概ねあってたんじゃない?
まぁ、合格点!…と、思います。

皆様も、自己採点して、
自分に合格点をあげてみては如何でしょう?

でもしかし。
今より少し前の、2011年より前の時代だったらどうでしょう?
方丈記は受け入れられたでしょうか?
そして、大原扁理さんは受け入れられたでしょうか?

大原扁理さんの生き方が受け入れられる…。
時代は、変わった。
潮目は変わった…そう感じます。

私が、喉に小骨が刺さっている感じで、
何かがずっと引っかかっていたのは、
『時代が変わったんだ』…と、いう事でした。

は〜〜〜、ようやくスッキリした。

恐竜より小さいくせに、恐竜より多くのエネルギーを消費して、
地球一個分じゃ足りないとか言って、馬鹿みたい!!
って、思ってるくせに、その世界から抜け出せない…。

消費する為に、体も心もボロボロにして、
消費こそが幸せみたいに勘違いして、馬鹿みたい!!
って、思ってるくせに、その世界から抜け出せない…。

平等とか自由とか、何だか美しいスローガンに惑わされ、
誰かの作り出した物差しが基準になっていて、
自分の基準に気付かないように目隠しされてる、
そんな世界って馬鹿みたい!!
って、思ってるくせに、その世界から抜け出せない…。

いつもいつも、弱者に皺寄せって変だよね。
体力のある強者は、いつも高台で高みの見物?
弱肉強食が世の常かもしれないけど、
裏があり過ぎじゃない?
って、思ってるけど、そんな世界から抜け出せない…。

永遠に拡大、成長するものなどありはしないのに、
経済の成長だけは続くと信じてるなんて、馬鹿みたい。
って、思ってるけど、そんな世界から抜け出せない…。

そんなズレに、気付き始めたんですよ。
多くの人が…。

年収90万でも、生きて行ける。
年収90万は、以前なら最下層という認識だったろう。
それは、絶対、幸せではないと思われていた。
だって、年収90万だから…。

でも、大原扁理という人がやってのけてしまった。

最小のお金、物、人で生きて行ける事を立証しちゃった。
最小のお金、物、人で幸せに暮らせる事を。

そんな暮らしは、
地球もう一つ何ていらないし、
自分に無理をさせることもない。
それでも、
ちゃんと好きな服も着られるし、
清潔な環境で生活できて、
自分の健康を気遣うこともできる。
想像力を持って、他人を気遣う余裕もある。
そして、幸せを感じられる。

いつでも、そんな暮らしは、始められる。

無意識に、ズレに感じていた人の割合が多くなり、
時代の流れに合った、
大原扁理という人に、着目を始めた。

大原さんは、気を衒らって、そんな生活をしていたわけじゃなく、
そんな風に生きるのが、その時はベストだったから…。
そして、時代の流れは、そんな風に流れ出していた…だけ。

だけ…と、書いたけど、
潮目の変わりに、いち早く気付いていたのかもしれない。


大原さんも言っているけど、
大原さんと同じ様に暮らしましょうと言っている訳ではありません。

色んな生き方の可能性を示しただけです。

人によっても、生きるエネルギーは違う。
その人自体でも、生きている中でエネルギーは変化する。
自分のエネルギーが枯渇した時、
枯渇したエネルギーで生きて行く手段がある事を示しただけ。
枯渇して、不安に押し潰されるのが一番最悪です。
不安に押し潰されなければ、
枯渇したエネルギーでも、充分幸せに生きれる事を、
大原さんは見せてくれました。

まだ読んでいないのですが、
「不安は9割捨てました」
と言う著書も出されています。

大原さんは、実践しながら、
生きる事を哲学して行った達人だなと、思います。

不安に思っていても、出来ちゃうと
「な〜んだ。」
って、思うこと沢山ありますよね。
結局は、外の敵ではなくて、自分の不安に人は負けるのでしょう。
出来たを積み重ねる事で、不安は減り、
生きる自信に繋がるのですね。
まずは、端っこの方でもいいからやってみる。
端っこから、攻めて行きましょう。
エネルギーの有り余っている方は、
思いっきり中心から攻めて、大破したとしても、
「面白かった〜。」と、すぐ立ち直るでしょうから、
やはりそこは、自分のエネルギーに合わせて…ですね。

大原さんの様に、極端な生き方をする必要はなくて、
自分がフツーと思える生活を営めばいいのだと思います。
ただ、自分のフツーが分からない。
自分のエネルギーがエンプティになっていることも気付けない。
大原さんも言っている様に、
自分を深く深く掘り下げる作業が必要です。
私も、一度やってみた事があるのですが、
深く掘り下げるほど、握っていた不安は空気の様に消えて行って、
行き着いたのは、見事な空っぽでした。
清々しい空っぽ…と言うか。
そこで思ったのが、
「別に何者でもなくていいんだな〜。」
って、事でした。
空っぽの心はとても軽いし、色んな物がキラキラ見えます。
しかも、空っぽだった自分をとても嬉しく思いました。
やっぱり自分、大好きだわ…って。

行く川の流れは絶えずして しかも 元の川にあらず

行く川の流れを見続けるのもよし、逆らうもよし、立ち止まるもよし。
きっと、どれを選んでも、同じ事。
人は見たいものを見るのですし。
最終、外の世界がどんなに変わろうと、
自分のエネルギーを知っておけば、幸せに生きれると言う事です。
まぁ、幸せ探しが目的にならないよう注意して。

大原さんが何度も言っている事なのですが、
「常に片手は空けて置く。
そうすると、いつでも誰かが困っていたら助けられる。」
そんな人が増えたら、暖かい手の連鎖は、
簡単に起きるだろうな…と、希望を持って思います。


まとまりなく、長文になってしまいました。
この長文にお付き合い、ありがとうございます。
あなたの
この時間が無駄になりませんように…。
…ようやく、大原扁理さんから抜け出せそうです。

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