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絵と文章って似ている。

いつも、絵を描くときは、浮かんできた物語から画像が浮んで、それを絵にしている。

なので、↑の画像の絵にも物語がある。

一人で物語を想像して、一人ニヤニヤして…じゃなくて、ニコニコして描いている。

絵は難解なパズルのようでもあり、一つのピースがずっと見つけられず、描けないかも!…と、必ず一回は産みの苦しみがあるけれど、それでも楽しい。

しかしである。

どんなに、楽しんで描いて、自分が気に入っていても、他者からの評価は別だ。

入選はするけど、受賞できない壁がある。
とりあえず、会場に飾っれもらえるけど、そこまで。
多くの絵に埋もれてしまう。
何年描こうと、そこまでなのだ。

その壁を乗り越えられないと、絵描きとは呼ばれず、〈趣味で絵を書く人〉になってしまう。

「趣味で絵を描いてるんですね。」
と、言われると、本当は、もの凄く傷付いている。世界一、悲しい。
趣味じゃなくて、本気です。…と、恥ずかしくて言えない。

何故、その壁が超えられないのか?

それは、センスが無いから。
無いものはナイのだ。

どんなに努力しても、センスは備わらない。
簡単に例えるなら、
草野球の選手は、どんなに努力しても、大谷翔平にはなれない。

大谷翔平、ムリ〜!

文章も、
チョット読むと、その違いがわかる。
違いは分かるけど、ヤッパリ、受賞するような文章は書けない。
どんなに努力しても、
直木賞作家にはなれない。
ヤッパリ、センスが違うんだ。

大谷翔平、文章でも、ムリ〜。

例えなので、大谷翔平を目指す必要は全くない。
そんな人、一握り。
だから凄いんだし。

センスの量はグラデーションで、
ピンからキリまで。

センスは、掛け算。足し算は出来ない。
ゼロにいくらかけても、ゼロ。
元が100の人は、10かけても、1000になる。でも元が100の人こそ、大概は努力するから、差はどんどん開く。

なんだよそれ〜と、思えるけど仕方ない。


ずっと絵をグループ展示して、
センスのいい絵だけが、良い絵ではないのだと気付いた。

消しても消せない個性がにじみ出る。
ユーモラスだったり、無邪気だったり、神経質だったり。
心穏やかにしてくれたり。
どんなに着飾っても、見えてくるものがある。

受賞するような絵は、勿論素晴らしいけれど、
それとは別な、それこそ個別な感動があったりする。

下手うまだけど、メジャー級にヒットした、ルソーやシャガールもいて、
それはもう個性のなせる技。

センスの量より、やりたい事をやって楽しめばいいんだと思う。

私のセンスの量は分かっていないけど、
大袈裟に、私の絵や、文章が元気に出来るって程でなくていいから、元気になるちょっとしたキッカケくらいに、なればいいなぁ〜と、思っている。



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