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降水線状態がやって来た森

都会にやって来た降水線状態は、街をすっぽり包んでボーッとさせる。
頭の中まで雲に包まれたみたいで、視界がすっきりしない。
吸収されない雨が靴を濡らす。

森は…。
薄暗くはあるものの、空気がより一層クリアだ。
森の木々の葉や枝が、雲を身にまとわせて、マイナスイオンを吐き出して行く。
雨粒が集まって大きくなった雫がポタポタと落ちる。
ドロップみたいな雫。
ちょっとした演奏会。
大きくなった雫を、乾いた落ち葉たちが吸収する。どこまでもどこまでも。
小さな草木の苗木にもようやく雨が届くいて、黄緑のキラキラが現れる。

雨の音にかき消されるけど、生き物の気配がする。

気配…。

雨音の奥の微かな音
…響き?
…振動?
…肌の刺激?

マイナスイオン? チットキサンチン? …が、動物の匂いを消して、木々の匂いを濃くして生き物の匂いは分からない。
匂いが分からないのはちょっと不安だけど、木々の匂いは安心もさせる。

誰がこちらに気づいているくせに、お互いに自分の存在を消そうとする。

この森には、虫や、モモンガやリスやタヌキや狐の小動物はいるけれど、大型の生き物はいない。
森が浅いのだ。
10分も歩けば家や道路が現れる。
奥日光の森には、熊や鹿なんかの大型の生き物がいる。
森がとっても深い。谷には川も流れる。雪が減って、枯れてしまった小川が多いけど。

牡鹿半島の狩猟をするオジサンが言っていた。
生き物を二度、殺してはいけない…と。
オジサンは鹿を狩る。
必ず、首を一発で仕留めて苦しませない。
…優秀なスナイパーだ。
仕留めた鹿は、丁寧に処理して丁寧に全て食べ尽くす。
その死骸を粗末にしない。
粗末にしないことは、愛なのではないかと思う。

メキシコの男の子が言った。
豚を自分でさばいて食べることについて聞かれたとき、
「肉を食べるとはそう言うことだ」
って。
そう言う…の、意味の深さ。

肉を食べると言うことは、命を頂いている。

今の生活では、それが見えない。
雲が降りて来るたびに、頭にまで雲がかかったようにぼんやりしてしまうからかな?

森に潜む沢山の命。
間接的に、直接的に殺して生きられるのは、自分の命さえ大切に出来ずに生きてるからだろうか?

街では命に対峙しない…。

森で他の生き物と対峙すると、命を意識する。
そして感じるのは自分のひ弱さ。
爪も牙も、最速の脚も跳躍もない。
それでも、息を潜めてお邪魔させて頂くと、森もそれなりに迎えてくれる。
リスがあいさつに来てくれたりすると、ちょっと迎え入れた気がして勘違いして嬉しくなる。

みんな、森に暮らせばいいのに…と、思う。
透明な森の空気を吸うと、自分自身も透明になって森に溶け込んだら、沢山の命が感じられる。
自然の循環の一部になれる。
人間だけが特別ではない、地球のいちぶ。

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