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愛だと思うのに 本当は愛ってなんだか分からないって言う困った現象



なんと3度目の参加になります。
「もう、いい加減遠慮して。」
と、言われそうな感じ。

本当は「愛ってなに?」
って、全然分かってないくせに参加する図々しさをお許し下さいm(_ _)m
ウーン、愛って、月が綺麗ですね…それだけではないと思うのですよ。

故にわたしは真摯に愛を語る|だいふくだるま @daifukudaruma #note #いま私にできること 


だいふくだるまさんの綴った愛のnoteを読んでいると、日常の気怠さや、鬱々とした何かや、憤りや、そんな感情の隣りに、愛は潜んでいるのだと感じております。
愛はキラキラしたものでなく、ひっそりと静かで、湿った心を乾かす温もりの様なものなんだろうなと思うのです。
そう思ったら、愛を持ち合わせていないと思っていたけれど、私にも愛は備わっているんじゃないかと思ったわけです。

普段、愛は見えません。

気怠さや、鬱々や、憤りを、感じた時愛は隣に寄り添って、ひっそりとそれらを包んでいるのでしょう。
それでも愛はひっそり過ぎて気付かないかもしれません。
愛がひっそりと包んでくれている事に気付くと、気怠さや鬱々や憤りは乾いてどこかに行ってしまいます。
子供はその事を無意識で知っていて、私も子供の頃、
「泣いたカラスが直ぐ笑った。」
と、よく言われていました。
大人になったら?年取ったら?…そこに愛がある事に気付くとどうしても涙腺が緩んでウルウルしてしまいます。今は、
「笑っていたカラスがすぐ泣く。l
になっているのかも。

愛がどんなか分からないけれど、
これから先は、愛がなければ乗り切れない…と、ずっと感じていました。
今もそう思っております。
愛がもし、燃え盛る炎の様なら、全てなくなってしまいます。
愛は静かで、穏やかで、暖かいもの…東風が吹く頃の太陽みたいな。
胸の内にほんのり暖かさを感じる時…それが愛が隣にある時なのだろうと思ったわけです。
目には見えないから、これが愛だよと差し出せる訳ではありません。
でも、
これからはみんなが愛を少しづつ分け与え、今までよりも良い世界になると思うのです。
そんな変革の時代に参加できる事に感謝しております。
それに間に合うよう、私は愛が何かを知りたかったのでしょう。

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