「雨の日には車をみがいて」は、村上春樹じゃなかった😩
ずっーと、
「雨の日には車をみがいて」は、
村上春樹だと思っていた。
著者は五木寛之さん。
試し読みすると、車にまつわる女性の話しで、なんとなく思い出した。
私が思っていたものと、内容も、タイトルも明らかに違う。
全く違う本だった。
高校生の時の遥か昔の記憶で、その頃よく読んでいた、村上春樹、五木寛之、影山民生、中嶋らも、つかこうへい、宮本輝…あたりが、入り混じったみたいだ。
タイトルも作者も思い出せないんだから、探しようもない。
とにかく、車の話しだ。
多分、
今は亡き影山民生さんではないかと…。
深夜の都内の道路に、日本の軽自動車、フィアット、ミニが横一列に赤信号で止まった話し。
多分、車が好きな人なら、チョロQみたいな車達が並んだ、このシュチュエーションだけでワクワクするんじゃないかと思う。
そしてだ。
ワクワクするシュチュエーションなのに、この続きを覚えていない💦💦💦
もう、この3台が並んだ…と言うだけで良いのだ。
私が高校生当時、田舎は車が3台並べる道路がなかった。
田舎の道路は、舗装さえされていないガタボコ道さえあった。
田舎で育った私には、可愛い3台の車が並ぶシチュエーションは、本当にキラキラ眩しかった。
そして、フィアットを見た事が無かった。
「フィアットとは、どんな車だろう?」
ネットなどない時代、確かめる術もない。
初めてフィアットのチンクエチェントを見た時、可愛さに感動した✨✨✨
そのフォルム、配色…全てのデザインがかわいすぎた!!
「こんな車を作ってしまう国って、どんなだろう?」
それから、フィアットにしても、アルファロメオ、テスタロッサにしても、イタリア車は、個人的にはサイコーだと思っている。
究極の美しいラインを体現させなような車体のフォルム、どうやっても天才としか言いようのない配色。一つ一つ可愛い内装のパーツたち。
でも、
私が乗りたい…と思った車は違った。
フランス車、カングー。
フォルムの可愛さ。
山吹色でも、レモン色でも、黄土色でもない、まさに黄色。
しかも、大きな絵も運べ、ベンチシートで愛犬と走るのにぴったり。
鉢物の観葉植物を運んでも、リアーは貨物車仕様なので掃除が楽。
私の理想の車だった。
ベンツやB MWは、地面を掴んでガッツリ走るけど、カングーは違う。
フワフワ空を飛ぶように走る。
…安定感がない…とも、言えるけど、運転が日常から切り離されるフワフワ。
どこか楽しい場所に運んでくれる気がした。
更に凄いのは、
走る戦車と言われるボルボより車体が頑丈。
ちなみに、今は変わったけど、フランス🇫🇷の郵便局の車だ。
…フランスオシャレ。
そんなカングーは人気が高く、買って1カ月で、購入額を上回る価格で、
「売って欲しい。」
と、言われるくらいだった。
もちろん、売らなかったけど。
そんなカングーだったが…。
結果から言うと、廃車になった。
多分、私が愛し過ぎたから…な、気がする。
過ぎたるは及ばざるが如し🥲
渋滞の夕方。
私の前に、猛スピードで無理やり軽自動車が割り込んだ。
しかも、10mくらいで急停車。
「あ、こりゃ玉突きだわ。」
そう思って、ハザードと急ブレーキを同時に行なって、逃げ場所を探したがなかった。
後ろのトラックは、減速する事なく突っ込んだ。
その後、衝撃で自分の意識は飛んでいたんだけど、自分の悲鳴で意識が戻ってきた。
「ん? 誰の悲鳴?」
「え? 私の悲鳴じゃ!」
意識が戻ると、いつも冷静な私はボディーチェックをした。
まぁ、大丈夫そうなのを確認後、110番し救急車も頼み、保険会社に電話してレッカー依頼した。
車を寄せようと思ったが、車は動かなくて、後ろを振り向くと、トラックに一度めり込み弾かれたらしく、トラックがカングーの形に凹んでいた。
もちろん、トラックもレッカー。
カングーの見た目は、特に窓が割れたくらいに見えていたけど、シャフトが曲がってしまっていた。
トラックにも勝ってしまったカングー。
前方の軽自動車は、カングーがビリヤードのキューで弾かれた状態で軽自動車に当たったらしく、遥か前方に止まっていて、どんな状態かは分からなかった。
前後のエネルギーをカングーは受け止めたわけだ。
「あの時、売っておけば廃車にしないで済んだのに。」
そんな風にも思ったけど、私を守ってくれたのはカングーだった。
多分、カングーじゃなかったら死んでいた…と、思われる。
愛しいカングーを廃車にしてしまった事が、ムチャクチャ悲しかったけど、
「最後までありがとう。」
それで、良いことにするしかない。
「あれだけの事故で無傷ってすごいねぇ〜。」
と、警察の人に言われたけど、カングーのおかげ以外、何ものでもない。
私の乗ったカングーの後、カングーはフルモデルチェンジされ、もう、私の好きなカングーではなくなった。
それどころか、もうガソリン車も終わりが来そうだ。
とにかく世界はどんどん変わり、色んな物が過去の遺物になる。
遺物となっても、その中には自分と巡り合うべき愛しいものは確かにあった。
巡り合いは愛から始まるのだろう…と、思う。
五木寛之さんの言葉を借りるなら、「雨の日には車をみがいて」…そのくらい、大好きな愛車だった。
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