足りない言葉…かと、思っていたけど違ったみたい。
なんか世間は春ですね。
桜の画像なども目につきます。
私の住む場所は、まだ、桜の蕾がピンクに色付き始めた所です。
昔は、桜の開花が遅いのは嫌でした。
でも今は、今か今かと桜を待って、「来た〜!」
って、喜ぶのも悪くないと思っています。
源平団子と言う、恐ろしく美味しい団子があるのですが、
必ず、桜を見ながら食べると決めているので、
桜の開花は、源平団子を食べる合図でもあるのです。
若干、桜を待ってるのか、源平団子を待ってるのか…?
そんな春を待つ私ですが、
色んな事が、どーでも良くなっています。
「はー。どーでも良いって。」
何を見ても心が動きません。
「あーそーなんだ。ふーーーーん。」
なんだかずーっと、心がフラットです。
きっと、何か、足りない言葉があるに違いない。
この空っぽ感を解き放つ、
魔法のキーワードがあるはずだ。
…って、思っていました。
でも、違ったみたい。
noteで、マラケシュの記事を探して読んでいたら、
「私は、旅に出たいのだ。」
「森の中で暮らして、日が伸びたから種を蒔きたくなったのだ。」
「テントを背負って、ソロキャンしたくなったのだ。」
…と、気付きました。
自分の思いとは全く違う日常。
いっそ、ドロップアウトしようかな?
それもいいんじゃない。
…と、自分を認めてあげます。
自分で自分のしたい事を否定すると、
取り留めなく迷路にハマってしまうから。
しかし、
他の人はどうしてドロップアウトしないで生きられるんでしょう?
私にとっては最大の謎です。
住みたい場所に住んだり、
好きな仕事をしたり、
愛する家族と暮らしてるから?
そんなだったら、私もドロップアウトなんて考えないのでしょうか?
そんなだったら、ドロップアウトより守る事を考えるのかしら?
まぁ、なんにしろ、
好きに生きればいいんだよね…と言う、着地点。
テントを持って、
次に生きる場所を探す旅に出る想像するのも悪くない。
その場所は、雪解け前に、スナップエンドウの種が蒔ける所がいいな…。
出来れば森の中が良くて、
宅配で過ごして、家から出ない。
ある日、旅にぶらっと出かける…そんな生き方がいい。
その想像は、どーでもいい事じゃなくて、結構真剣です。
きっと、冬も明け、外に出たいのにこもっているから、
色んな事がどうでも良くなったんでしょうね。
外に出て体を動かすのが良さそうです。
人間も、動物と一緒らしい…。
言葉を探してないで、体を動かせ…と言う結論でした。
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