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変わっていいんじゃない?

大きな揺れに耐えながら、超未熟児のクベース(超未熟児が入っているベット)を支えながら見た、ネットの津波画像。

逃げ遅れた経トラに「早く逃げて。」と、本気で祈った。

この未熟児たちを、
守り切れるんだろうか? 

そんな現実は、
この世の終わりかと、思った。


だけど、それは序章。



真夜中に、寸断された道を避け、家に帰ると、足のふみ場もなくて、揺れも続いて、緊張の糸は張り詰められたまま。

そんな真夜中、新国立美術館に出品する絵を、樋口運送さんは取りに来てくれた。

「ようやく連絡取れてよかったよ。道が陥没してどこを通っていいか分からなかった。」

なんて人だろう…。
私の絵など、大したものじゃないのに。揺れの続くこんな夜中に来てくれるなんて。

でも、
樋口運送さんのお陰で、
自分が呼吸出来ているのが分かった。
自分の体がここにあるのが分かった。

人を癒せるのは、やはり人。
人生で初めて「ありがたい。」と、
胸が詰まった。

取りに来てくれた絵は、
なんと放射線が降る絵だった。

自分で描いた絵なのに、
その絵が意味するものを、
その時はまだ分からなかったし、
分かるはずがない。

でも、翌日、その意味を知った。

原発避難者の大渋滞と、
見たことも無かった、いかつくて、深緑の自衛隊の車の列。
テレビが壊れてニュースを見ていなかったから、何が起きているのか、全く理解出来なかった。
映画でも見るよう。

実家に帰り、
初めて原発が爆発したのを知った。

搬入された絵は、
放射線が降る中、赤いコートを着た女の子がこちらを睨んでいる絵だった。
…私はこの日を描いていたらしい。

「あなた達はなんて事をしてくれるの?」そう言ってる気がする。

実家に帰り、
避難者に、ペット用シーツと、使っていない羽毛布団を届けた。
どうか、人も、ペットも、
寒い夜をしのげますように…。

でも、一週間もしないうち、
実家の町も避難する人が増え、
空っぽになった。

実家のある町は、
地震の影響はほとんど無く、
いつもと同じ景色なのに、誰もいない。全く同じ景色なのに、全く違う世界になって、頭が混乱した。

それから、私達は、
援助のない自主避難者となった。

物資が途絶え、スーパーの棚は空っぽ。ガソリンがどこもなくなっていった。

群馬の友達のペンションに
家族で避難した。
ずっと、温かい食事が出来なかったから、温かいスープを飲んだら、冷たくなっていた心が溶けて、涙が出てきた。「なんてありがたいんだろう。」      友達が、
「ずっと心配してたんだよ。
来てくれてありがとう。」
なんて言うから、
余計泣けてしまった。

その後も、
避難者と知ると、優しい言葉をかけられて、何度、ありがたいと思ったことか。

大変な事もあったけど、大変な分、誰かが支えてくれた。

私は震災をそんな風に過ごした。


人それぞれの震災がある。

津波で家族をなくした人。
土地を追われた人。
農業が出来ないと絶望して
命を断った人。

どうか、どうか、
残された人々に必ず明日がやって来ますように。
…どうか。


福島県は津波もあったけど、
原発事故の被害も大きい。
未だ解決できず、
あと何十年かかるか分からない。

原発事故にどんな意味があるのか?

その答えも、
人それぞれだと思う。

本当は意味なんか無いのかもしれない。

でも私は、
資本主義の代償だと考えている。
儲けだけを追求し、
大量生産、大量消費。
原発はひび割れなどのトラブルを何度も起こしていた。
だけど、それが許されたのは、
大量生産、大量消費するための
エネルギーが欲しかったから。

利益のみを追求する社会。

震災が起き、
棚には物が少ししか並ばなかったけど、電気を節約したけど、
車のアクセルを抑えて運転したけど、
工夫さえすれば
生活に支障は無かった。

不安はあったけど、
不自由さはなく、
誰かが誰かを思いやり、
かえって穏やかとさえ言えた気がする。

一体、誰のための資本主義だろうか?

大量生産、大量消費は、
もはや持続可能ではない。
そんな必要も無い。

震災前と同じ世界が戻り、
物資はまた満たされた。
それと一緒に、
渋滞に殺気立つ人々や、
職場の殆どパワハラ同然や、
ひたすら時間に追われる日々が
戻ってきた。

また生産のスピードはアップした。
より早く、よりたくさん。

もう、
貨幣経済は終わりを迎える時期では
ないだろうか?

震災から10年。
また自殺者が年間3万人台に戻った。
生産スピードと自殺者は比例する。
(昨年と今年は、コロナの失業が原因として大きいけれど。)

このスピードを止められるのは、
貨幣経済の終了しか、
私には思いあたらない。

他のものを思う想像力を持ち、
人が人として、やるべきことをやる時代ではないだろうか?

持続可能な世界を取り戻し、
人も地球も疲弊しない世界を
目指すには、
スロウダウンが必要だ。

成長し続ける経済なんて、
異常だ。
成長したら、
その後下降しないものなんて
存在するだろうか?

震災とコロナ。

ハプニングは、
何かを変化させるチャンスだ。
出来れば、
良い方へ変化したい。

もう、変わっていいんじゃない?
と、思っている。



#それぞれの10年

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