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『在宅ひとり死のススメ』について。

最近の投稿を見て、死の話ばっかだな…と、思われていた方もいると思います。
そうなんです。
自分の死に方を考えてました。

そう言うと、誤解が生じますね…多分。

老後のヨタへロ期からその先どう過ごし、
どう終焉を迎えるかを考えていました。

でも予定では、あと30年くらいあります。
30年後なんて誰も分からないし、今の世界とはだいぶ変わって来るでしょう。


私が二十歳ごろ、心理テストが流行りました。

暗い部屋に、椅子が一つあります。
その椅子に座って、あなたは何と言いますか?

さて、あなたなら何と言うでしょう。

私は
「あ〜。疲れた〜。」
と、やり切った心地の良い疲労感を思い浮かべました。

その質問は、あなたが最後、死ぬ間際に思う事…らしいです。
そう言われると、確かに私はそんな風に思う気がします。
実際、死ぬ間際にそんな余裕があるか分かりませんが、未練みたいなものはない気がしています。

それから30代後半。
浅田次郎さんの「椿姫」を、読みました。
高度成長期に流行りの団地に住み、子供を育て、そして子供は巣立ち、夫も先に逝き、一人残された主人公の話です。
それを読んだ時、年代は違えど、私も同じ様な状況になると思ったのです。
その時、こんな死に方でいいんじゃないかと、勝手に死に方を決めました。

そして今。

この本です。
(ネタバレ有り)


私も、在宅死を希望します。
沢山の人の死を見送った私の結論です。

女性は男性より長生きします。統計上の話で、実際どうなるかは不明ですが。
子供だって、自分の生活がありますし、男女共同参画で子供を育てながらの共働きです。共働きでなくても、昔のように嫁や、娘に介護という強制労働をさせたいとは思いません。
ましてや、私の亡くなる頃は、どうやっても老老介護。100歳を70〜80歳が観るって、過酷です。
慣れ親しんだ自分の家で、訪問介護や看護を受けながら、のんびり亡くなるのが理想ではないでしょうか?
私は、誰にも邪魔されずゆっくり枯れて行きたいのです。

一昔前は病院で無くなるのが普通になっていましたが、今、病院は治療を目的とするところとなりました。(医療保険が崩壊しかからなければ今も亡くなる時は病院だったかもしれませんが、高齢者の数には持ち堪えられませんでした。) 

一昔前の病院で亡くなる様子を、もし知りたかったら、永井明:著「僕が医者を辞めた理由」をお勧めします。スパゲティ症候群、なんて言葉が生まれた時代です。

今は、雨後の筍の様に発生した介護施設が、ピンからキリまであります。介護施設でも看取り(みとり)をしてくれる施設もあります。なので、一人で死ぬのは不安だと言う方は、こちらを利用すると良いと思います。
でも、この本の中にもある様に、介護施設の職員、経営者に、「この施設で死にたいですか?」と、質問すると、答えは「no」です。
職員も経営者も「この施設で死にたいです」と答えた施設は、入居費がとてもお高く、それは別格。一握りの人のためのものでした。

この本の中には、自宅で亡くなる場合の費用なども記載されています。
ずっと介護保険料内のサービスを利用し、いよいよと言う時には自費も使えば、施設や病院より、最安値で済みます。かかる費用も大事です。

自宅で亡くなると言うと、「孤独死」と言う言葉が浮かぶかもしれません。
もう死ぬのに、誰かがいる必要あるでしょうか?
誰かに、手を握っていて欲しい?
きっと、亡くなる時って苦しいからそれどころではないでしょうし、エンドルフィンが出て、そばに誰がいるか分からない気がします。
生まれる時も、死ぬ時も大変ですね…。

孤独死を思い浮かべる時、亡くなった後、誰にも発見されず白骨化していた
…なんて言うのを、想像するのではないでしょうか?
ニュースで出てくるのはそう言う話なので。
でも、訪問介護・看護、在宅医療の医師がいれば、そんな事は起きません。
もう、在宅死は「孤独死」ではなくなったのです。
なので上野さんは、『在宅ひとり死』と、名付けられました。

まぁ、自宅で一人で亡くなるのを孤独死と定義すれば、孤独死なのでですが。
でも、人って、生まれる時も、死ぬ時もひとりですよね。
双子でさえ、同時には生まれませんし、太宰治でさえ亡くなったのはお相手の方だけです。



まだ今は、死ぬ時より、あと30年をどう生きるかの時期です。
死ぬ覚悟を決めると、不思議と生きる覚悟も決まってきます。
不思議ですよね。
私の事をよく「前向きだね。」と、言う人がいるのですが、あまり過去に興味が無いのです。ただ、それだけ。
あと30年はやはり、やりたい事を笑ってやって行きたいです。
たとえ泣くことがあっても、爽やかな涙にしたい。

あと30年は、
もしかしたら、貨幣経済を終わらせた人物になっているかもしれません。
そして、環境破壊も、貧困も無くなるかもしれません。
しかしです。今の人種は、格差を選択して来た生き物です。格差を当たり前として生きて来た生き物なのです。格差を利用出来た者が生き残って来たのです。
貨幣経済での格差を無くしても、新たな格差のネタを作り出すでしょう。
もしかしたら、貨幣がなくなると、一気に退化して暴力が力を持つかもしれません。そしたら、貨幣経済の方が良かったって事になってしまします。
何かを終わらせても、新しい火種が生まれる。…難しいですよね。

最後は、私の妄想になってしまいました。

あなたは、残りの人生、どう生きたいですか?




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