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猫エッセイ「大人の名付け方」

ウチにニャンコたちが来ると決まってからさっそく名前を考えることになった。保護猫だった彼らにはすでに名前があった。キジ虎模様の男の子がタイガとサビ柄の女の子がナラ。タイガはタイガーだろうがナラという名前は私にとって馴染みがない。米国で猫につける名前ランキングでは上位に入るそうな。ググって見るとライオンキングのヒロインなのね。ソマリ語由来らしい。

保護猫をケアするボランティアさんは譲渡先を探すためにインスタページを開設しており、妻は毎日観ていた。弟の庭先で野良猫ちゃんが5つ子を産んだのだ。彼らの安住の地が無事に決まるか日々見守っていたのだ。タイガぁ、ナラぁと名前を呼びつつ。

因果が巡ってその2人は500キロの距離を越えてウチにやってくることになった。さて、名前だ。すでに妻にはアイデアがあった。マロンとアンズ。好きな果物からの命名だという。お兄ちゃんがマロンで妹がアンズだ。

「どんな名前がいいと思う?」
請われて私が出した案はクミン君とサフランちゃんだ。家に常備しているカレークッキング用スパイスから取った。「クミンはフェンネルでもいいよ」我ながらよい名前だと思った。猫ちゃんとしてオリジナリティがあるし響きもかわいい。そしてなにより呼びやすい。キジ虎ちゃんの色目や毛並みはクミンシードやフェンネルシードがしっくりくる。でもサビ柄はむずかしい。何色ってひと口に言えない。黒系が多いがペッパーホールの硬質の黒じゃない。茶色がかったクローブが近い。肌がキャンバスなら地にはコリアンダーパウダー、黒茶金色が混じり後ろ足には小さな白い靴下を履いている。ここはホワイトペッパーパウダーだ。そして首周りにところどころサフランが混じる。サフランライスの黄色ではなく、調理前の繊維の、黄色が出る前の赤だ。それでサフランちゃん。ウチにあるサフランはイスタンブールの香料市場で仕入れたものだぞ、アメ横で買ったクミンとはモノが違うんだ。

で、どうよ?クミンとサフラン?

「ええインドぉ?響きはいいけど」と妻はにべもない。

翌日すぐに正式通達があった。却下。妻曰く、旅行先の娘にLINEで訊いてみると即ダメ出しがあったという。ほんとか?

オリジナリティというと大人になると発想の引き出しがギシギシいってうまく開かない。

ウチの子になる2人のお母さんにあたる黒猫ちゃんは「ふうちゃん」だ。3人兄妹の2番目だからふうちゃん。なんとお兄ちゃんは「いっくん」で弟は「さんちゃん」だ。安易すぎるだろ。

とはいうこちらもスパイス以外に候補を思い浮かべてみてもbonne idée がでてこない。フランス語で猫はシャット(chat)、スペイン語ではガト(gato)というが、シャットンとガッティータでいいんじゃないか、なんてその程度の発想だ。

そこいくと子供の発想は奔放だよな。息子が小さい頃にブログに書いた記事がある。小学2年生の夏休みの宿題についての投稿だが、今でも夏休みになると読まれている記事だ。親御さんたちが自由研究のネタ探しに検索するのだろう。息子は自分の仕上げた宿題とかわいがっていたパンダちゃんたちと並んで写真におさまった。当時私が中国出張にゆくたびにねだられて連れ帰ったパンダちゃんたちだ。彼がつけた名前はユニコルノのエルドラドだ。その突飛な発想に驚いた。なんでパンダにラテン語系の名前をつけるのだ。しかもユニコルノことユニコーンって一角獣だぞ。たしかにパンダも幻の動物感はあるので黄金の出るエルドラドもありかもしれないな。


「マロンとアンズでもいいけど、ひねりがないなあ、呼びにくいし。マーロンとアンジーでどう?」

「え〜、そんなガイジンみたいな名前やだ」

マロンも英語なんですけど、とは言えず。

アンズは呼びにくいに違いない。
ANZU
「ズ」で終わるのがなんとも。

キング・カズ(三浦知良?)はブラジルでは「カズゥー、カズゥー」とコールされてた。日本語のズは発音が難しい。ズゥと伸ばさなければジュと呼ばれるだろう。

私の名前はガクというが、このGAKUがまた呼びにくい。海外で正しく呼ばれたことがない。「ガクゥ」か「ガk」。「ギャキュ」なんてのもある。

今読んでいる本に名前と響きについて印象的な文章があった。
ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の生涯を連れ添った女性たちの視点から描いた小説だ。「かくも甘き果実」”The Sweetest Fruits” written by Monique Truong

ハーンにはパトリシオというファーストネームがあるが、その命名の場面だ。

イギリス人に父親は彼をパトリックと名付けた。しかしラテン語系の島で育った母親はその音を気に入らない。

I heard “Patrick” with its ugly clipped ending, a branch that has suddenly snapped, and I was already changing it to “Patricio,” which would leave the mouth opened and rounded, a cherry freed of its stone.

パトリックというその突然終わるような、まるで枝がポキッと折れるような嫌な音を聞いたそばからパトリシオに変えた。パトリシオなら、口を開けてまんまるくしたままだ。まるでチェリーが内果皮から解放されるような感じ。

アンズのズに抱く違和感はこれに近い。アンジーなら流れてゆく。

まあともかく私には命名権はないのでそのままマロンとアンズとなったとさ。

2人がウチに来てすっかり家族の一員となり、溺愛する妻が私には決して発しない高いピッチの声で2人を呼ぶ。マロンくん!アンちゃん!

ほら!アンズの「ズ」はどこ行った?

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