実はみんなの耳がいい

 近くのスーパーに行ったら、テレビの撮影かなんかが来ていた。
 人ごみの中を縫うように視線をくぐらせると、カメラを向けられているのはアグネス・チャン似の知らない外国人。日本語ではない言語でひたすらカメラに向け話している。
 でもなんで、こんななんの変哲もないスーパーで、撮影をしているのだろう。ここに売ってるものは西友に行っても、イトーヨーカドーに行っても売ってるものばかりなのに。
 大体、この外国人を初めて見た。一瞬、アグネス・チャンに見えるがよく見ると顔が全然違う。どうして最初、自分はそこにいるのがアグネス・チャンだと思ったのか不思議になるレベルで違った。過去の自分との認識の違いで死にそうになる。
 ともあれ、見たことがない人であるのはたしかだった。売り出し始めたばかりのタレントかなにかだろうか。
「My favorite……」
 どうやらお気に入りの商品の紹介をしているようだったが、その商品は見たことがないものだった。
 見た目は高級ハム。だが、動物の肉でできているのではなく、魚でできているようだった。パックに入った薄ピンクの、薄い平べったいソレはどう考えてもハムにしか見えなかったが、魚らしい。
 それを両手に持ち顔の右側に掲げて、彼女は一生懸命リポートをしていた。


 私たちが一通り店内を回ってレジに行こうとした時、あるものが目に入った。
 置き去りにされていたそれに近づいて手に取ってみると、あの外国人が紹介していたハムモドキではないか。もしかしたら、あのまま置いていってしまったのかもしれない。
 それを母たちに伝えると、あの外国人に渡した方がいいねという考えでまとまった。
 食品がぎっしり詰まった買い物カゴを乗せたカートを四人で押し、私は右手にハムモドキを持って、私たちはあの外国人を探し始めた。
 陳列棚の間を見て回る。だけど、アグネス・チャン似のあの綺麗な外国人の姿はどこにもない。
 一周目、二周目、三周目。私たちは、外国人の歩みに合わせて揺れていた茶髪を探した。何回見てもいない。もう撮影は終わって帰ってしまったのだろうか?
 ……きっとそうだ。思えばカメラマンとかマイクさんとか、ディレクターとかの姿もなかった。テレビの撮影をしている団体って案外目立つものだから、集団でいたらすぐ気がつくものだったのだ。なんでそれに気づかなかったのだろう。
 やはりというか、残念ながらというか、おそらく撮影隊はもう帰ってしまったのだ。
 私たちはアグネス・チャンではなく、このハムモドキが元あった棚を探すことにした。同じ商品を見つけて、そこに元通りに陳列すればよい。そう、思っていた。
 もう一度、スーパーの中を買い物カートと共に四人でぐるぐる回るが、ハムモドキがあるべき場所はどこにもない。
 魚売り場、肉売り場、加工品売り場、総菜売り場、果てはお菓子売り場まで。すべての陳列棚を隈なく見て回った。それでも、ハムモドキはどこにもなかった。
「ねぇ、うしろ」
 私と一緒にカートを押している母親が、とても小さい動きで後ろを指し示す。見れば、柄の悪そうな二人組が速足で私たちの後を追いかけてきていた。
 向かって右側の男は、金髪のリーゼントに口元の大量のピアスがとても目立つ。漫画とか、昭和の再現ビデオでよく見るような「不良」のイメージ画像と全く同じ出で立ちをしていた。ただ、不良の象徴と言っても過言ではない黒いサングラスはつけていない。
 向かって左側の男は、サイドとバックを刈り上げて残った黒髪をお団子にした髪型――俗にいうマンパンが印象的だった。右側の男とは違い、光を通さない真っ黒なサングラスをつけている。
 二人は腕を組んで、何語かわからない知らない曲を大声で歌いながらふらついた足取りで、しかし確かに私たちの後をつけてきていた。
「とりあえず、逃げよう」
 ハムモドキを持ちながら、私たちは四人でカートを押しスーパー内を進む速さをさりげなく速めた。しかし、スピードをあげたのがバレたのか、後ろの不良たちもスピードを上げて私たちを追いかけてくる。
「どうする、どうする」
 スピードを上げていくうちにそれは競歩からランニング、ランニングからダッシュに移り変わっていき、気づけば私たちはカートを押しながら大疾走をかましていた。
 普段なら五十メートルも走れば息が切れてしまって走れなくなり、地べたに横たわるのがいいところの私だったが、この時はなぜか全く疲れを感じず永遠に爆速で走っていられる気がした。
 途中でピンクのマスクをした国語の先生がカゴを持ってスーパー内を歩いていた。挨拶しなくては、と思ったが後ろの不良から逃げるのが精いっぱいで、それどころではない。
 スーパーをハイスピードで何週もし、ピンクのマスクをした国語の先生を見るのも何十回目となった時、私は急に不良が歌っている曲がなんなのかを理解することができた。
 それは、知らない言語なんかではなく日本語の曲だったし、知らない曲ではなく幼いころから何度も聞いたよく知った曲だった。
『つっかもうぜっ!ドラゴンボーォル!!世界でいっとースリルな秘密ゥ~』
 どうして今までこの曲だとわからなかったのだろう?
 認識した途端、歌のボリュームが増した。それはどんどん倍になっていき、私の思考を侵食し汚染していく。
 視界の四隅で虹色の孫悟空の笑顔がぐるぐる回っている気がした。それに合わせて目に見えるすべてのものが虹色に歪んでいく。
 歪み、虹色、ぐるぐる回る。ねじれて、彩度がキツくなり、くらくらする。
『つっかもうぜっ!ドラゴンボーォル!!世界でいっとースリルな秘密ゥ~』
 歌は永遠にここのパートのみを叫んでいた。その前も後も歌うわけでもなく、永遠に、永遠に、『つっかもうぜっ!ドラゴンボーォル!!世界でいっとースリルな秘密ゥ~』だけを繰り返していた。
 もう、逃げなくては。壊れてしまう気が、した。
 ハムモドキを棚に戻すことはすっかり頭から抜け落ち、私たちは死にそうになりながら、狂いそうになりながら必死でレジを目指した。
 行き慣れたスーパーマーケット。そのはずなのに、方向感覚が狂い、ジャングルの中を地図なしで手探りで辿っていっているような心地がした。
 ようやくレジにつく。
 その時、耳から暴力的に殴り込まれるドラゴンボールの歌から、一瞬解放され天に召されたような妙な気分が私たちを包み込んだ。周りの空気も暖かく、あたかもここに辿り着いた私たちを祝福しているような感じだった。
 暖かい光の中に、朝のバラエティー番組でおなじみのアルファベットの「L」を模したあのポーズをしたあの男が良い笑顔で立っている。

 写真で見たままの、白い歯が良く見えて光る、素敵なあの笑顔だった。
 

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