夢現
家のすぐそばの坂を登っている時、この間殺したはずの女を見かけた。
ニュースでも取り上げられて、死んだ女の顔面がどういう感じなのか全国に報道されたはずなのに、周りの通行人はまるで気づいていない様子だった。
もしかしたら、殺した張本人にしか見えないとかそういう類のものなのかもしれない。
だからといって、その女も特にこちらに気づく様子はなく、生きていたころと同じように気持ち悪い猫背であるいていた。
それが横断歩道を渡り、道路越しの通りの奥へ消えていくのを見て、まあ幽霊みたいなものかと納得して坂を上り切る。
自分の家であるマンションの前に着いた頃には女のことは綺麗さっぱり頭の中から消えせていた。
自動ドアを潜り抜けて、バカみたいに広いロビーに出る。
引っ越してきた当初は驚いたものだ。どうしてたかがマンションのためにこんなに金をかけるのだろうか?
ロビーにある郵便受けもクリアーで気持ちが悪い。透明なので中身が全て見えてしまっている。YOSHIKIのクリスタルピアノをそのまま郵便受けに改造したみたいな感じだ。
あれはYOSHIKIが使うからカッコいいのであって、こんななんの変哲もないマンションの中にクリスタルポストがあっても悪趣味なだけだと思う。
隣の部屋の人の郵便受けの中にはなぜかAVが梱包なしでそのまま入っていた。
「人妻地獄」というデカい文字と半乳おっぴろげの熟女の画像が目に入り、ひどく不快な気分になった。半ば無理やりそのカラフルなDVDケースから目を離す。
人妻地獄というくらいだ、たくさんの人妻と一人の男が乱行する気色悪い内容なのだろう。
心底嫌な気持ちになりながら、自分の部屋の郵便受けを開ける。
隣の人とは違ってAVなんかはもちろん入っておらず、どこかの企業のDMとライフラインの明細とかがめちゃくちゃに投函されていた。
郵便受けを見たのは久しぶりだからか、かなりの量の郵便物が溜まっている。
それらを全部回収して自分の部屋に行こうとしたところで声をかけられた。
「あらあら、久しぶりじゃな〜い!」
「本当ね!元気にしてた?」
見るからにおせっかいそうな2人のオバサンが後ろに立っていた。
ママ友どうしでレストランに入り浸りそのまま四時間くらいくだらない話で盛り上がっていそうなタイプ。嫌いなタイプの人間だった。
知り合いだろうか?
こちらとしては初めて見る顔だが、こんなに親しげに話しかけてくるのでもしかしたらどこかで会ったことがあるのかもしれない。
「今帰ってきたの?」
「そうだ。1人で部屋にいるのは怖いでしょう?私たちの部屋に来ない?お茶出すわよ」
冗談じゃないと思った。まっぴらごめんだ。めんどくさすぎる。
それでも、押しが強すぎて断るに断りきれず、オバサンについていくことになってしまった。今すぐに帰りたい。
なんか、自分の性格の押しに弱いところが腹が立つくらい嫌いだ。
「ねぇ……家族も全員亡くなっちゃったし、かわいそうにねぇ」
「ちょっと、ダメでしょ。そんなにはっきり言ったら。まだショックが癒えていないわよ」
「あらっ!私ったらごめんなさいね。何かできることがあったら言ってね。いつでも力になるから」
どうやら、自分の家族はなんらかの原因で全員死んだらしい。自分にはそんな記憶がないからちょっと驚いた。家に帰ったらあの口うるさい人間様たちがお出迎えしてくださるものだと思い込んでいた。
事故か、事件か。なんにせよ家族はみんな死んだらしい。
それを知っても特に動揺したり取り乱したりとかはしなかったし、なんなら「へぇーそうなんだ」という薄っぺらい感想だけが浮かんできた。
オバサンは二人でルームシェアをしているのだろうか?
よくわからないが、オバサンたちは知らないうちに家族を全員喪っていた可哀想な人間を部屋に招き入れると、またすぐどこかにいってしまった。
一人じゃ怖いでしょう、とか言う割には対応が淡白だ。自室かそうでないかの違いだけで、結局は一人になるじゃないか。
何もしないでいるのも暇なので、部屋の中を観察してみることにした。
デカい部屋が廊下なしで直接玄関に繋がっていて、奥にはまた別の部屋があるようだ。
玄関のすぐそばの壁に面するようにして巨大な本棚があった。軽く見積もって身長の二倍の高さがありそうだ。
難しそうな太い本ばかりだったが、それに混ざって鬼滅の刃の漫画が至る所にささっていた。文字通り「ささって」いて、太い本の間に無理やり押し込んだ感じ。
しかも、なぜかカバーを外した状態で巻数バラバラに置かれていた。手前には六巻があり、上の方には十三巻と四巻が離れたところにあり──といった様子。
鬼滅の刃以外の本は、全てカバーをつけられた状態のまま本棚に置かれていた。
しかし、そしてこれも、同じシリーズの本は隣り合わないように本棚の高いところから低いところまで均等になるように並べられている。
プラモデルの箱だろうか。おもちゃの箱が本棚の最上段に置かれ、天井まで詰まっていた。
床には、同じような箱やその箱から出てきたであろうもの、百均とかマックのハッピーセットで手に入れられそうな安っぽいおもちゃが散乱している。
それを舐め回すように見たけど、別に汚いとか片付けなきゃとかいう感情は特に浮かんでこなかった。
興味を失ったので奥の部屋に進む。
扉を開けると、横に長い廊下があった。そこを進んでいくと、最初の部屋と同じくらいの大きさの部屋に出た。
その部屋の端っこの方にデカい机があるのが見える。製図用だろうか、普通の机とは変わっていた。
よく見るとそこに誰かが座って一心不乱に鉛筆を走らせている。
その人が、気配を感じたのか不意に顔を上げた。
──一瞬、父親かと思った。
どうしてこんなところに、どうしてオバサンの家に、不倫でもしているのではないか、という疑問が頭を駆け巡る。
そもそも、あのオバサンたちが家族は全員死んだと言っていたからもう父親はこの世にいないはずではないか。それとも、あのオバサンたちが嘘をついていたのか。
その可能性は十分にある。なぜかさっきはすんなり信じてしまったけれど、オバサンが嘘をついていた可能性は高い。
どうしてそんな嘘をつく必要があるのかはわからないけれど。
だが、すぐにその人物は父親ではないとわかった。
見た目は父親と全く同じだ。頭のてっぺんからつま先まで、まつ毛から耳の形に至るまですべてが同じだった。
しかし、これは父親ではないと感覚的に理解した。どうしてわかったのかと聞かれたら困るが、この人物は父親ではない。
父親と同じ容姿をした人物は、顔を上げはしたものの特にこちらを一瞥することもなく、素早く鉛筆を走らせて製図の作業を再開させた。
時折、迷うようにその黒鉛の先が止まり、鉛筆の尖っていない方の先で自身の頭を掻く。
どこかで見たことがある仕草だと思った。
しばらく記憶を辿って、手繰り寄せてみる。
そうしているうちに、それは父親がよくやっていた癖だったことを、思い出した。
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