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ヤヤ姫!ビュートの!楽しい学園生活 最終章【調査・卒業篇】

お久し振りの新章はファイナルです。

 ヤヤビュートシリーズ終章へようこそ。Twitter上にて連載しておりましたスピンオフ、『ヤヤ姫!ビュートの!楽しい学園生活』の最終章、【調査・卒業篇】お披露目です。
 パルセットさんのMDDフォトストーリー『ガルリト』を下敷きに、ゲスト出演ドールたちから物語をでっちあげ……違う、ストーリー展開となりました。
 私が人格に障害がある為、終盤はスピード展開。事実上の打ち切りとなりました。ちゃんと書けなくて申し訳ない。今度こういうのやるなら健常者をお勧めします。
 それでは以下、本編です。

ヤヤ姫!ビュートの!楽しい学園生活 最終章【調査・卒業篇】


(本当だったんだ)
 学園寮に帰り荷解きをしながら興奮冷めやらぬライト・ビュートは思った。ベルソゥ・リンからの帰路を女王陛下の馬車に同乗する羽目になった、あの緊迫感から解放されてみて、漸く故郷であるあの街での事を思い起こす。『成長しない化け物』が居る、と街で囁かれていた少女は、確かにビュートが幼少の頃見た姿と変わらない様子で存在していた。街で七歳まで過ごしたビュートは彼女と共に遊んだ事もある。その頃は僅かに『お姉さん』であったのに、この度の邂逅ではあれから五年の歳月を過ごしたにも関わらず今では『同じ年頃』だ。当たり前に考えるならば、彼女は『十五~六歳のお姉さん』になっていたのであろうに、『同じ年頃』とは尋常ではない。
(何者なのだろう。あんな『本当に成長しない』のなら、大人達が『化け物』として扱うのも理解は出来る。でも)
 あの少女は見た目だけではない。その心の裡でさえ幼いままだ。ずっと生き永らえていたにしては酷く子供じみている。だったら街はあの少女に関わる何かを秘匿しているのだ。
 面白い。それならば。
 ヤヤ姫が引き続きあの少女──リューズについての調査を続けるのならば、今後はこれまで以上に本気でかかってやろうじゃないか。半ば遊びだったビュートは、あらゆるカードを翻してやろうと心躍らせる思いに小さく笑った。
     ↓

ビュートが自室にて決意を新たにしているその頃…。

「次に会えるかどうかも分からないのに、何が"友達"よ。」
ヤヤは自室で自分の迂闊さに自己嫌悪していた。

そう、卒業後に街へ戻るビュートでさえ次に会えるのは5年後、ヤヤに至っては会えるかどうかすら分からないのである。

「悪いことしちゃったわね…。」
はしゃぐリューズの姿が蘇る。

「それにしても…。」
事前に聞いていた"化け物"と言う扱いと扉を開けた時の不安と諦めだけの声と表情、そして、湯浴みの際に見えてしまった無数の傷痕…。

「…うん。友達だって言うなら、会えなくても出来る事はしないとね。」

「まずは現状の確認。そして目指すところと出来ることの見極め。」
自分に言い聞かせながら、ペンと紙、封筒を引っ張り出す。
「また地味な調査かぁ。」
仕方ないと覚悟を決め、調査に必要な許可を得るための書状をしたため始めた。

     ↓

 コンコン、と控えめなノックが響いたのは、消灯前の点呼も終わった寮のドア。四人部屋の責任者を務めるビュートが訝しみながらもそのドアを開けると、年少の生徒が二人。柔らかそうな銀髪の少年と、対照的なブルネットの髪で幾らか大柄な――ビュートよりは勿論小さな──少年だ。
「どうしたのかな? 友達の門限破りだったら、寮母さんには叱られないように合鍵持って来ようか?」
 身を屈めて尋ねると、少年たちは互いを突き押し付けあおうとしている様子だった。尚通用口の合鍵は技術実技科目で履修した彫金の技術と、少しの趣味から嗜んでの実力を磨いて、ビュートが複製したものだ。
 暫しのやり取りの後、銀髪の少年が口を開いた。
「あの、鍵じゃなくて……ビュートさんに手伝って欲しいことがあって」
「僕に?」
 下の学年から頼まれる事などあっただろうかと思案するが心当たりはない。
「僕等は図書委員なんですけど、司書のおじいちゃんが高齢のため引退するんです。それで」
「委員会で集めたお金でお疲れ様です、ってプレゼント買いに行こうと思うんだけど、俺たちじゃどういうものがいいのか判らないから選ぶの手伝って貰いたいんだ」
 途中から大柄な少年が言葉を継ぐ。話を聞いてビュートは思う。
(図書委員? 渡りに船ってこういうのかな。いやカモネギ……じゃなくて)
「いいよ、引き受けよう。けれど今夜でなく明日の夜かな。ちょっと会わなきゃいけないかたが居るけど、その後で手伝える」
(どちらかと云えば僕の都合だけどさ)
 心の裡に思う。
(図書委員のコネクション、ずっと欲しかったんだ)
 まずは明日一旦姫に合鍵を託そう。自分だけなら柵の乗越えも出来なくはないが、この二人の下級生には難しいだろう。鍵は持ち出さず姫に預けた方が賢明とも思われる。
 頭ではプランニングを巡らせ、下級生の少年たちに云う。
「消灯は過ぎてるからね。君たちも部屋へお戻り」
 初等部在籍も終わる。『先輩』になったものだ、とビュートはひっそり考えた。

     ↓

書状を書き終えたヤヤは、用意しておいたお茶で一息つきながら、誰にともなく呟く。
「リューズの存在を前提にして資料を確認し直すのは後にするとして…」
今回の邂逅で、どうしても気になった事があった。
「まずは、あの傷よね。」
入浴の際に目に入った痛々しい傷痕である。

それは、古いものだけでなく比較的新しい物も含まれていた。

「そもそも、リューズの存在を知っている人間自体が限られてるのよね。そのなかで折檻役に指示を出せる人間…、」

ほぼ答えが出ているその問いを、声に出して整理する。

「そこからお母様と市長さんを外すと…」
対象者は1人だ。

「貴方しかいないですよねぇ、宰相どの。」

この国で女王に継ぐ権力を持つ宰相…、女王の配偶者でありヤヤの父である。

「確か、当代の王以外の特区への干渉は重罪…。ふふふ…。」

本来、王位を継承していない王族の特区への立入りも同様なのであるが、そこは気にしないヤヤであった。

     ↓


 一夜明けて。
 姫が密やかな憤りに何やら計画を目論むことまで察する事も無い(まあそれは当然ではあるのだが)自らの計画の思考に溺れるビュートは、朝食の余韻に身を任せることなく、行きずりのすれ違いざまそっと姫に囁く。
「昼休みに談話室に。頼みたいことがあってね」
 ビュートが姫と親しく交流しているらしい様は知らぬ者のない事だが、隠密行動に偏りがちになるのはやむを得ない。
 不服を顕にした眼差しを気にする事無く、ビュートは先んじて食堂を後にする。
 こっそり複製した通用口の合鍵は、外出中に持ち歩く訳にも行かない。そこは姫に託す方が無難だ。学生寮を囲う柵を乗り越えられないのではなく、下級生にまで柵越えは荷が勝る。
(ヤヤ様頼みが大きくなるけど……禁書を盗み読む好機を掴めるかもしれないんだ)
 この時点では妙案と信じるビュートだった。

     ↓

「頼み事ねぇ…。談話室を指定してくるとか、面倒事の予感しかしないんだけど。」
定位置となった談話室の奥まった一画に陣取る。

暫くすると、談話室に入ってくるビュートの姿が見えた。

「折角のお茶が冷めるところだったわよ。」
ビュートの分をカップに注ぎながら、声をかける。

     ↓

「ごめん、ヤヤ様! 遅かったみたいだね。折角の君のお茶なのに」
 足早にいつものテーブルに着くと、乱れた呼吸を落ち着かせて茶を口に運ぶ。
「話って云うのは」
 と、テーブルに通用口の合鍵をコトと置いた。
「今夜、ちょっと寮を抜けるんだけど、門限に間に合う自信はなくてね。鍵を預けたいんだ。僕なら柵越えるけど下級生の連れが居てね。彼らはまだちょっと無理そうなんだけど、この鍵を持ち歩くのはリスクがある」
 茶をもう一口。
「戻ったら僕が君の窓に小石を投げて合図するから、その時鍵を貰えたら、計画完遂なんだよ。頼めるよね? 君が期待を裏切ることはないだろう?」
 意地悪い笑みは断らせるつもりはないとでも云いたげに挑戦的だった。

     ↓

「お断りよ。」
驚くほど冷たい声だった。
「理由も言わずに共犯になれって言われて、"はい"と言うと思った?」

断られないと思っていたビュートの表情が凍りつく。

「確かに割とルールを破るわよ、私。でもね、それは自分が信じられる理由がある時だけなの。」

「それと…、」


「理由も言えないくらい、信用されていないのかしら?私。」


少し冷静に考える。
自身の都合であればビュートは理由を隠さないだろう。
そうなると、今回の事は一緒だと言う下級生に頼まれての事か。

「…まぁ良いわ。理由も想像できたし、協力してあげる。」
「ただし、次からはちゃんと理由を言いなさい。」
あまりのバツの悪さに、慌ただしく席を立った。

泣き喚いたわけではない。
が、感情が抑えられなかったのも確かだ。

(なるほどね。"それ"が私の弱さか。)

その可能性が頭によぎるだけでも取り乱すほどに、"自分が信用した人間に信用されない"事はヤヤにとって苦痛だった。

     ↓

(あそこまで怒るのは考えなかったな) 
 夕食後の自由時間。どうにか鍵を託したビュートは図書委員の下級生を引き連れ王都の市街地へと出掛けた。
 規則違反如きお互い様と思っていたのだが、思いがけない強い拒絶はビュートの気持ちを暗くする。ああは云っても納得はしていないだろうな、と後頭部をぐしゃぐしゃとかいた。けれど下級生の健気なサプライズを他に広めたくはなかった。
 少年たちがカンパで集めた額は多くはない。あれやこれやと悩む下級生にビュートは提案してみる。
「これなんかはどうかな。司書のおじいちゃん眼鏡はしてなかったと思うけど見えにくいんじゃないかと思うんだ」
 と、指し示したのは真鍮のルーペレンズペンダントだ。華美な装飾のないそれは男性にも身に着けられる程度の彫金が施されている。
「本当だ!」
「うん、出来れば万年筆ぐらい、って思ってたけど俺達のお金じゃ無理だし、この金額なら」
「そうだね。ありがとうございます、ビュートさん!」
 ビュートは満足そうに微笑んだ。
「役に立てたなら良かったよ。包んで貰うんだろう? 行っておいで」
 下級生二人の頭にぽんと手を置いて促すと、少年達は嬉しそうに店主の元へ駆けて行く。それを待つ間、ビュートはその小さなギフトショップの店内を見回した。
(あ、これ)
 ふと、ビュートの視線が留まる。
(似合いそうだ。確か彼女は明日……)
 僅かな逡巡の後、それを手に取ったビュートは会計カウンターに爪先を向けた。むくれているかも知れない少女を思いながら。

     ↓

灯りも点けられていない自室。
「しかしまぁ、コレは流石に…。」
ぐちゃぐちゃになった感情はさておき、少し冷静さは取り戻せたようだ。
「鍵の偽造なんて、バレたら退学で済まないわよ。」
こそこそと何かを作っているのは知っていたが、こんな事をやっているとは思わなかった。

「それにしても、」
やはりスッキリしない。
「理由ぐらい話しなさいっての。」
そして、
「あと、あの態度。何よあれ、喧嘩売ってんのかと思ったわ。」
思い出した怒りに、口調が荒れる。

「もうっ。この鍵、教官室に届けてやろうかしら。」
言いながらも、律儀に部屋に待機しているのは性格である。

     ↓

「じゃあ暫く君達はここで待ってて。必ず後で戻るよ。流石に君達をここに残す程適当には出来てないから大丈夫だよ」
 云い置いてビュートは通用口の柵を乗り越える。この程度のやんちゃは嗜んでいい、と云うのがビュートの主張である。
 と云うか。
 これぐらいは出来ないと、姫に宛てられた特別室には近寄れない。
 ビュートは最上階特別室である姫の窓に小石を投げた。これでも肩には自信がある。
 三つ四つ投石した処で窓が開いて姫の覗き込む様子が見て取れた。首肯するのが見えて、すぐに引っ込む。どんな様子で預けた鍵を戻してくれるのか。些か緊張するビュートだった。

     ↓

次にヤヤが姿を表した時、その手には預けた鍵とは完全に別物なサイズの塊が握られていた。

壁際から離れるよう促すジェスチャーに従い少し距離を空けると、"ボス"という鈍い音を立ててその塊が降ってきた。

「…。」
恐る恐る、その塊を開いてみる。

中には、破損しないように幾重にも包まれた鍵、そして数枚の絞られたタオルといくつかのみずみずしい果物が入っていた。

ビュートは慌てて部屋のほうを見上げるが、既にそこにヤヤの姿は無かった。

     ↓

「……果物?」
 頭上に叩きつけられる覚悟だったが杞憂だったらしい。だから代わりにさっさと閉められた窓に向けて、ひらりと再び手を振って、ビュートは悪戯に笑った。
 通用口に戻り図書委員の下級生を招き入れる。
「待たせてごめん、喉渇いてるだろう? 鍵を預けた人に果物貰ったからあげるよ。点呼の前に部屋へお戻り。大丈夫、内緒だから。それと」
 これは切り札。
「交換条件じゃ狡いとは思うけど、閲覧禁止書庫の鍵とこの鍵を少しの間すり替えて欲しい。時間は掛からないようにするから。頼める?」
 少年達は顔を見合わせ、それから不安げにビュートを見上げた。
「出来ます、けど……バレたら……?」
「その時は僕に脅された事にしていい。極力急ぐから……そうだな、一晩で戻せる筈だよ」
「そういう事なら。な?」
 大柄な少年が云うと銀髪の少年が首肯した。
「持ち手は似てるし多分出来ると思います」
「頼んだよ。今夜の冒険はきっと忘れないね」
 やわらかに笑んで、胸のうちで姫に感謝した。この後の彫金に勤しむ労力は、姫が投げ寄越した果物に報われた気がした。

     ↓

「任務完了…と。」
荷物を回収したビュートが去るのを確認した後、冗談めかして呟く。

「さて…。」
明日、どんな顔をして授業に出るか…。
「…。」
考えれば考えるだけ、思考が散漫になる。
「まぁ、なるようにしかならないか。」
考えるのをやめて布団に潜り込んだ。

      ↓

(何となく)
 いつもより視線が合わない気がしなくもない。
 の、ではあるが。
(授業後には図書室で話すんだし……多分。今日は来ないなんてこともないだろうし)
『理由のないルール違反』
『事情を云えないほど信じてない』
 今更ながらぐさぐさと刺さる。
(せめてものお目こぼしに役立ってくれよ)
 ポケットの中身をゴソゴソと探りつつ、図書室に向かうべく教室を出る折、ちらと姫に目を遣る。それから急ぎ足で図書室の足を向けると、そこでは老司書を取り囲んで、花束等を渡す委員会の子供達と気恥しげな老人の姿があった。昨夜の下級生らもその輪の中で一緒に選んだルーペの包みを手渡す様が見えた。
 結果としては良かったか。 ビュートは安堵した。退室する老司書を送り出した委員会の生徒らが散って行く。そして昨夜の者らがビュートの元に掛けて来た。
「こら、走るの禁止」
「ごめんなさい」
「でも、ビュートさんに頼まれてたし」
 と、二人はすり替えた閲覧禁止書架の鍵を封筒に隠して持って来ていた。
「うん、ありがとう。迷惑にならないように急ぐよ」
 鍵を受け取り、ビュートは少年達を労う。と、図書室の重いドアを押す華奢な少女――姫だ――の姿を確かめる。
「君達はこれを秘密にしておくこと。頼んだよ」
「はい」
 声音を抑えて首肯しその席を外す下級生を見送り、切り替えて姫を迎えた。来てくれて良かったと安堵して。
(こっちの鍵の話は出来そうにないな)
 内心、そう考えながら。

     ↓

(課業後の図書室、いつもの席に彼は居る、そう、いつもの通りに。)

不遜な態度に対する怒りは目が覚めると同時に消えていた。
たまにやらかしてしまう喧嘩程度の事だったとしておこう。
むしろ、感情を発露させてしまった気恥ずかしさのほうが大きいくらいだ。
「結局、どうするかは思い浮かばなかったわね。」

これはもう、今日は会わないでおくのが最適解であろう。
しかし、何も言わずに待ちぼうけをさせるわけにもいかない。

「仕方ないか。」
最低限、今日は参加しないことだけでも直接伝えるのが相手に対する礼儀だろう
「ごめんなさい。今日は気分が優れないから部屋に戻るわ。」

図書室にいる彼に一方的に言うだけ言って、即座に自室へと戻った。

何か言いたそうだった気配を感じたのが少し気にはなったが…。

     ↓

「気分って……ヤヤ様!? ちょっ……ああもう!」
 足早に去る姫を呼び止める事も適わず嘆息するしかない。まだ不機嫌が尾を引いているのか定かでないが、『これ』は余りに不都合としか云えない。ビュートのポケットにあるのは何しろ、ただの手土産に求めて来たものではない。
『今日彼女に渡して意味を成すもの』と云えば大概において察しがつく類のものだ。
(だったら『拒めなく』するまでだよね)
 単純に昨夜の門限破りに立腹しているだけと考えるビュートは、姫の態度に納得する筈がない。小さい贈り物。それしきで買収出来るような安っぽい少女だと、軽く考えている訳でもないが兎に角、日付の変わらぬうちに手渡したい。
 女子寮潜伏か。近頃こんな事しかしてない気がする。差し当って寮母が事務作業に勤しむ昼間のうちに訪ねるのが得策だろうと、取り急ぎ鞄を手に図書室を出た。図書委員の少年達はビュートの慌ただしさに、忙しい人なのだと勝手に結論づけていた。

     ↓

「…これ、完全に逆効果よね。」
部屋に戻って軽く頭を抱える。

あの時点では"今日会わない"と言う選択は悪くは無かったはずだ。
ただ、その伝え方を盛大に間違ったような気がする。
「ちゃんと話ししないとダメだよね。」

「ん…?」
その時、ふと、全く違う事が頭をよぎった。

     ↓

 コッコッコッコッコッ。
 忙しないとも取れるノックの主は判る気がした姫だったが、そっとドアを細く開けると果たして『彼』は居た。
 反射的に拒もうとする姫の難くなさに、構う事無く閉じられようとしたドアに爪先を差し入れ、閉め出しを防ぐ。
「聞けよ、人の話!」
 いつになく強めの語調に一瞬姫がたじろいだのは、ビュートに限ってこういう反応はないと――半ば侮っていたのかも知れなかった。
「確かに昨夜は門限破りに加担を擦り付けた。それを頼めたのは『君だから』なんだ。『理由を説明しろ』と云ったね? それは下級生の子らの他愛ないサプライズを妨げたくなかったからだ。疚しい理由なんか無いよ。それと」
 ビュートはポケットを探って『それ』を取り出し、姫の手元へと差し出した。
「昨夜のギフトショップで、きっと君に似合うと思ったから……君、今日誕生日なんだろ? こういうの選んだ事はないけど、君みたいに凛とした白薔薇のブローチをどうしても贈りたいと思ってた。君はそれすら聞く耳持たないんだから。お祝いぐらいさせてくれたっていいだろう?」
 簡素に梱包されたブローチは、朝露を含むように艶やかだった。これをビュートは選んだのだ。姫の為に。
「とは云っても僕に買えるようなものだ。ヤヤ様には釣り合わないだろうけど、校則違反の片棒担いで貰ったお礼を兼ねてね」
 些かぶっきらぼうになるのを否めないながらも、若干の緊張を孕みつつその小箱を渡した。

     ↓

「…とりあえず、談話室へ行くわよ。」
唐突な提案に唖然とするビュートの手を引いて談話室へ向かう。
「ここであの剣幕だと捕まるわよ。」
ここは王族や貴族の子供達の為のエリアだ。当然、警備や監視もそれに準じたものになっている。
「談話室に着いたら、説明…するから。」
到着した談話室、いつもの席にビュートを座らせてお茶とお茶請けを用意する。
「ふふっ…。」
漏れ出た小さな笑いに、ビュートの表情が険しくなる。
「ごめんなさい。初めて会った時の事を思い出して、つい。」
そう、あの時もビュートの手を引いて場所を変えたのを思い出した。

「さて…と。」

「色々と、ごめんなさい。」
まず、1番に伝えるべき言葉を口にした。

     ↓

「何を謝るのかな? ああ全く、やってられないね」
 いつになく投げやりな物云いで吐き捨てる。
「そうだよ、出会った頃と何等成長の欠片もありはしないさ、僕は! どうも僕は君を『姫』と思ってないらしい。無礼を働いてばかりだ! さぞかし迷惑だろうよ」
 苛立ちを露わにビュートは云った。
「君と居るのは不快じゃない。君が次元を合わせて下さっておられることに感謝申し上げますよ。これから少し馴れ馴れしい態度を改めなきゃいけないかな、姫様?」
 姫の柳眉が顰められる。ビュートが勝手に苛立っているのは理解出来ていた。相手はいずれこの王国のトップに立つ者なのだ。つまり『警護に固められ常に監視に晒される高貴な者』であると。だが、他の者となら何でもない言動一つで、首を飛ばされて当然の者として対峙するのが、当然の日常と云うのは煩わしい。
「こんなのはただの八つ当たりなのは知ってるさ! でも何をするでも監視に気遣うのも限度があるね。僕はただ、昨夜不本意な規律違反を強いたお詫びと共に、今日の君の誕生日を祝う品物の一つ渡すぐらいの猶予が欲しかっただけだよ。君に詫びられる事が何処にあると云うのかな? 詫びるべくは僕の単純な浅はかさだよ。どうにもならない事は当たり前だと忘れそうになるんだ。ヤヤ様とも他の友人と分け隔てなく関われるとね! ……プレゼントで用意してきたけれど、処分してくれ。調査についても妥協しないよ。何を犠牲にしてもね。姫君のお心を曇らせないようにさせて頂くよ」
 反論の余地を赦す意思はないとでも云うように捲し立てて、ビュートは談話室の戸口へと踵を返した。

     ↓

『バァン!』
力いっぱいテーブルをたたく。
「説明するって言ってるんだから聞きなさいよっ‼︎」

「貴方といるのが不快じゃないのは私も一緒よ。だから…、居なくなられたら嫌だから警備に対しても過敏になってるのよ。」
貴方にとってはそれが鬱陶しかったようだけど。

「昨日のもそう、貴方に信頼されてないのかもしれないって思ったら頭が真っ白になって…、それで貴方の事情も考えずに自分の事だけ一方的に喋ってしまって…。」

「だから、私が悪いから謝らなきゃって思ったけど、こんなの初めてでどうしたらいいかも分からなくて…」

「だから、だから…」

限界だった。
頭の中がぐちゃぐちゃで思考がまとまらない。
それでも、今、何か言葉にして伝えなければいけない。

やがて…

言葉ではなく涙が溢れた…。

     ↓

 テーブルを叩く激しい音に驚愕し、戸口に掛けた手は刹那、躊躇した。けれど云い分を聞いて許せる自信も持てない程に余裕のないビュートは、そのまま立ち去ってしまおうかとも考えた。それでもと姫には背を向けたまま足を止め、姫の混乱を示す如く捲し立てられる言葉を聞いた。姫の、ビュートへの怒りはいつしか自己嫌悪するような文言に変わり、腹立たしさを打つける語調が次第に歪み出した。
 ――ヤヤ様?
 ふりかえる、そこには。
 嗚咽にさえならない程に声を殺し、ぼろぼろと止まる事無く溢れる涙を拭う姫がいた。
 ああ、彼女は。
 いくら背伸びしようと、飛び級進学しようと、そしてこの国の姫として気丈に振舞っていたとしてもそれでも。
 ビュートよりほんの僅かに幼いのだ。幼くあっても声を上げて泣くことも知らないまま育って来たのだ。
(どうやって泣くのかも、知らないんだね……)
 ビュートは姫の傍に歩みを向けて、自分より小柄な少女の後頭部に手を添え、己の肩口に引き寄せ押し当てた。
「ごめんね、ヤヤ様。僕も余裕持てなくて酷い事云ってしまったね……いいよ、泣いていいよ……声を上げて泣いたって構いはしないんだ。ここは君を敵にしている者がいる王城じゃない。僕以外、誰にも聞こえやしないし、こうしているから僕にも顔は見えない」
 宥めるように背中へともう片方の腕を回してとんとんと叩く。
「今の僕はぬいぐるみだと思って。今までずっと泣いたこともなかったんだろ?」
 云って、暫く姫を抱きしめるビュートだった。

     ↓

翌朝。

ビュートが教室に入ると、そこにヤヤの姿はなかった。

「あの…、ビュートさん?」
訝しむビュートに声をかけたのは、寮でヤヤの隣の部屋に住む貴族の娘だ。
「これ、姫さまからです。」
差し出された封筒には、ヤヤのサインが記されていた。

開封した封筒の中には、小さな便箋が1枚。

【昨日はごめんなさい。
今日の授業には出られないけれど、私はもう大丈夫だから心配しないで。

あと、今日は図書室へ行く前に談話室へ寄るように。

追伸。本では読んでたけど、泣きすぎると目が腫れてひどい顔になるって、本当なのね。】

     ↓

「もういつも通りか」
 泣き腫らした目で教室に来るのは躊躇おうと、切り替えの早さは嘆きさえ表に出せない王族意識の強さか。
「鍵は休み時間に仕立てるか。時間も掛けられそうにない」
 呟き、彼は姫の手紙を落とさないようノートに挟んだ。流麗な筆致の手紙を大切に思いながら。

      ↓

授業が始まって少し経った頃、寮の食堂にヤヤの姿があった。

『あらまぁ。アンタ、ひどい顔になって。』
王女相手とは思えない物言いの主は寮母のボリョシカである。
「言わないでよ、ボリョシカさん。」

ボリョシカは、ヤヤの母である現女王がこの寮にいた頃からの寮母である。
当時、まだ王女だった彼女はボリョシカに非常に懐き、卒業後も親密な関係を続けていた。そのため、ヤヤにも非常に親しい存在である。

『詳しくは聞かないけど、大丈夫なんだね?』
城に報告しなくても…だ。
「えぇ、大丈夫。ありがとう。」
『それなら良いさ。さ、朝ごはん食べな。』
「うん。」
「あのね?実は…」
怒られるのを覚悟で相談を切り出す。



一通り話し終わった後

「良いのかな、こんな事。」
『良くないね。』
「…。」
『でも、それでこそ"あの子の娘"だ。』
「ボリョシカさん…」
『さ、急ぐよ。授業が終わるまで、そんなに時間はないよ。』
2人の悪巧みが始まる。

     ↓

 姫も課業後までは姿を見せはしないだろうと踏んだビュートは、この隙に禁書収蔵庫の合鍵を作ろうと考えた。さぞかし頑健な鍵だろうと気の重い心持ちだったが、どうしたことか、通用口のものと大差無い程度のシンプルさだ。察するにこれほど重要な鍵の複製を目論む、国家大逆な真似を試みる者がある筈がないと油断したのだろう。残念ながらここに居るのだが。
「感心してる余地はないな」
 暫く鍵の粗雑な仕立てに呆れるビュートだったが、すぐに思い直して複製の準備をする。
 長く太いキャンドルを灯し、竹鋏で固定した鍵を炎に炙り出す。キャンドルの煤は間もなく鍵を真黒くした。それの煤を丁寧に紙へ写し取り、反対側も同じく型を取った。
 製図はこれでほぼ写したであろう。後は真鍮板を削ればいい。旋盤を稼動しくり貫いて細部の刻印を彫金する。細密に再現した合鍵は試さぬうちはなんとも云えないが、恐らく実用に耐えうるだろう。
 これさえ出来ればのちに禁書収蔵庫にも潜入可能な筈だ。会心の仕上がりにニヤリとして、ビュートは元の鍵の煤を古色は失われぬ程度に綺麗に落として、図書委員の下級生へと返却した。
 さあ、課業後にはどうにか会えそうな姫に、この鍵については叱責されようとも、自分の仕事には満足して教室へ帰った。あとは、課業後の談話室だな。そんなことを思いながら。

     ↓

『さて、これで準備はあらかた終わりかねぇ。』
結果的に、準備の大半を引き受けることになったボリョシカが言う。

『じゃあ、最後の仕上げだ。倉庫に行くよ。』
「倉庫?」
『あんたのお母さんが使ってた"あるもの"が残してあるのさ。それにひと手間加えて準備は終わりさ。』
倉庫。

ボリョシカは、ヤヤにひときわ埃を被った箱を手渡した。
「これ?」
『そう。さぁ、開けてみな』

「これって…。」
『そう、あの子も此処にいる時に同じ事をしてたのさ。』
「(…お母様…。)」
『だから、ウチらとしては今回のあんたの企みは想定の範囲内ってワケ。』
食堂に戻り、ボリョシカの指示に従って母が使っていたと言う"ソレ"に手を加える。

『これで正真正銘、準備完了さ。』
「大丈夫かなぁ…。」
『安心しな。あの子の時よりも、よっぽどしっかりと準備できてるよ。』

さあ。
後は、授業が終わるのを待つだけだ。

      ↓

 終業の鐘が鳴り響くと途端にはしゃぎ出す子供達に、教師らは溜息交じりの微苦笑を見せて教職員室へと帰って行く。まだまだ学業よりやんちゃを許される年頃である。大いに遊べと云うのが教師達の思う処であろう。
(そうさ、僕等やんちゃ盛りですからねー)
 等と思いながらビュートも席を立った。姫の手紙はまず談話室へとの指定だ。複製ほやほやの合鍵を使ってみたいところだが、校則違反という言葉では片付かない領域の『悪戯』に、安易に姫を巻き込めない。門限破りの片棒を担がせながら云う言葉でもないが、門限破りの鍵はそもそも学園を脱走してベルソゥ・リンに行くことが叶えばと作ったもので、実際にはそこまで過激な行動に出ていないだけ可愛いやんちゃというのがビュートの解釈である……既に充分悪戯が過ぎるのだが。
(鍵は一度使えるかを確認して、それからヤヤ様に話すことにした方がいいだろうな。失敗だの見つかるだのってリスクは僕が背負うものだ。巻き込めない)
 そう考えているビュートは談話室へと爪先を向けた。彼女も何かしら計画があるのだろう。泣かせた手前、ここは希望に従おうじゃないか。そんなことを思いながら。

     ↓

ビュートが談話室に辿り着くと、そこはいつもとは様子が違っていた。
いつも以上に騒がしく、普段では考えられない甘い匂いが漂っていた。

(なんだ?これは。)

事態が把握出来ないビュートの前を、山のような菓子を手にした女生徒達が横切っていく。

『姫さまって、こんな事をする方だったんだ。』
『意外よね。』

"ヤヤ様が?"
疑問に思いながら辺りを見渡したビュートの目に映ったのは、

【王女による王女のための王女の誕生日パーティー】

と書かれた幕だった。

唖然とするビュートに、厨房から菓子を運んできたボリョシカが声をかける。

『驚いたかい?』

思わず、無言で頷くビュート。

『これはね、先代の王女サマが始めたこの寮の名物行事みたいなモンさ。』
言われてみれば、その幕は少し古く、書かれている文字もヤヤの文字とは違っている。

『ただまぁ、あの子の性格上去年までは開催されてなかったんだけどね。』

"どんな心境の変化なのか"と前置いて、
『今朝になって急に、"今年からはやる"って言い出したのよね。』
そう言うボリョシカの声は弾んでいる

「あら、ビュート。思ったよりも早かったわね。」
続いてヤヤに声をかけられる。

「あなたの分も用意するから、いつもの席で待ってて。」

     ↓

(待って……え? ……いや待ってるぐらいしか出来ないけど……え?)
 頭上にクエスチョン飛び交うビュートに出来るのは、姫と話す時の席に着くしかない。
 先代からならば現女王陛下の仕業なのだろうが、ヤヤ姫のイメージにはそぐわない。しかし他の生徒らは酷く楽しげに菓子などを配膳しているし、姫自身も上機嫌な様子が伺える。
(まあ、いいか)
 ビュートは腹を据える事にした。

     ↓

「簡単に説明するとね、」
ビュート用の菓子とお茶を用意して、説明を始める。
「まず、貴方のおかげで自分の誕生日を思い出したの。あ、プレゼントありがとうね。」
(よし、何気ない感じでお礼が言えた。)

「そして、お母様から聞いていた"在学中に自分の誕生日を自分で盛大に祝ってた"と言う話しも思い出したのね。」

「で、お母様はこの誕生日パーティーで寮の人達との距離を縮めたと言ってたから、私もそれに倣ってみようと思って。」

「今までは、"ルールを破ってまでする事じゃない"と思ってたからやらなかったんだけど…、」

「"学園に居る間くらいは、多少ハメを外しても良いんじゃないか?"って思っちゃったのよ。誰かさんのせいでね。」
「まぁ、お母様と言う前例がある事だから敷居が低かったのもあるけど。」

"で、ボリョシカに相談したら予想以上に大袈裟な事になってしまった…"と、説明を終える。

「ま、そんなところよ。と、言う事で折角なので貴方も食べて行って。」

と、ビュートにの前に用意された"それ"は、他の生徒の物より少し…いや、かなり盛り付けが不恰好であった。

     ↓

 不格好な盛り付けの菓子は、見た目に反して充分美味だ。ワンディッシュに盛り付けた事の無い――云うまでもなく姫を指しているが――苦心惨憺『贅沢』を提供してくれようと云う努力だ。それだけで充分に嬉しい。
 けれどそれと共に。
(ルールに厳格な姿勢は動かせないみたいだな)
 ポケットに忍ばせた合鍵の冷たさに触れて思う。禁書収蔵庫潜入は、この鍵で錠を外せることを確認を済ませるまで姫には内密にしよう。老紳士の司書が辞めて新しく配属された司書教諭が不慣れであるうちに決行だ。
 胸裡に計画を隠し、今は少しだけリューズと云う少女については頭から追い出して『お誕生日お祝い』を味わうことにした。いつになく安堵した様子の姫に心配の陰を落としたくない。
(プリンセスの立場も、今だけは自由になっていて欲しいしね)
 ビュートは皿に山盛りのスイーツに舌鼓を打った。

     ↓

「ねぇ、ビュート。美味しい?」
やはり、気になってしまった。
「レシピはボリョシカのものだから間違いないと思うんだけど…、火加減とか…その、初めてだからさ。」

     ↓

「え、君自分で作ったの? ボリョシカさんじゃなく?」
 姫のカミングアウトの衝撃で落とし掛けたフォークを握り直す。
「大丈夫、とても美味しいから。初めてなのに上出来」
 嘘ではなかった。
 愛情スパイスの存在を知るのはまた別の話になるであろう。

     ↓

「良かったぁ…。」
緊張が解け、思わず頬が緩む。

「っ‼︎」
しまった…、
「見るな。今の無し。無しったら無し。」
油断した。

     ↓

「あはははっ!」
 愉快そうに笑ったビュートに、姫はじとりとした目で見返す。
「初めてだね、素のままの天然の笑顔」
 収まらない笑いをくすくすと漏らしながらビュートは云う。
「その方が可愛いよ。また見せて欲しいな」
 笑い過ぎ。
 ……の自覚はない。

     ↓

「高いわよ?」
釘を刺すにもキレが悪い。

「姫様ー。」
タイミングよく別のテーブルから呼ぶ声が聞こえた。
「すぐに行くわ。」
すかさず答える。

「主催が1箇所に留まるのも良くないし、行くわね。」
言いつつビュートに背を向ける。
「ま、今日はゆっくり英気を養うと良いわ。」

     ↓

「イベントホストは大変だな。頑張って『主役』果たすといいよ。こんなに沢山のお菓子も久し振りだからね」
 ひらりと手を振って姫を送り出し、目の前の菓子攻略に精を出す。
(可愛い処あるんじゃん)
 自分にはつんつんしか見せて貰えてないような気がしたが黙殺した。そして女王陛下の人柄を思うと姫のこういった趣向にも頷ける。
(こっちもサプライズ返しになるといいな)
 ビュートはポケットの鍵の冷たさに触れてニヤリとした。

***

 一夜明ければ寮内の浮かれた空気も鎮まる。夜も明けきらない刻限の静謐な薄闇に深呼吸して、さて、とビュートは思った。教職員の少ない時間帯に、複製した鍵を確認したかったのだ。
 朝食には早い時間帯なので空腹ではあるが仕方ない。こっそり学内に忍び、宿直の教職員の目を盗んで図書館奥の禁書収蔵庫に足を運ぶ。
 果たして鍵は上手く複製出来たのか。緊張の面持ちで錠前に鍵を差し込むと。
 ――カシャン。
 音を立てて錠前の閂が抜ける。
「よし!」
 密かに快哉の声と共に胸元で握り拳を作る。これでまた少し、調査の道が拓けた。成長しない少女、リューズの秘密に近づけるかも知れない。それは冒険心をくすぐられる。
 大人の――教職員の声と、早くに登校する生徒のさざめきが聞こえ始める中今朝の早起きで授業中居眠りせぬ為にもと、ビュートは早々に教室へ向かった。勿論錠前は元通りしっかりと嵌め込んで。

     ↓

時は少し戻って、パーティーの片付けが終わった談話室。
遅い時間のため、ここに居るのはヤヤとボリョシカだけだ。

「あー、疲れた。慣れないことはするもんじゃないわね。」
『なら、今回を最初で最後にするかい?』
「ま、年に一回くらいならやっても良いかな。」
『なら、来年はもっと気合を入れ…』
不意に来客を告げるベルが鳴る。
『こんな時間になんだろうねぇ…。』


『お城からこんな時間に書状だなんて。ほら、アンタにだよ。』
戻ってきたボリョシカは封筒を2通、ヤヤに手渡した。

「ありがとう。さて、私もそろそろ部屋に戻る事にするわ。」
届いた2通の書状のうち、1通は女王のサインが入った私的なもの、もう1通は役人からの公的なもの…に偽装された直属の侍女からのものである。

「お母様からのは先日の返事だとして、もう1通は…見たくないなぁ。」
誰に言うともなく愚痴りながら、まずは母親からの書状から読み始める事にした。

     ↓

「ねえ、あれ……」
「うん……珍しいよね」
 クラスメイトらは、教室の机に突っ伏してすやすやと惰眠を貪るビュートを、遠巻きに見て囁きを交わす。清々しい程の熟睡だ。起こすに忍びないが予鈴が鳴り響く中ですら起きないのでは、本鈴でも起きないかも知れないのではと危惧する者多数。
 とは云っても、昨夜の寮内では姫のお誕生日会で随分とはしゃいだ。ビュートではないが授業より二度寝したい。
「でも楽しかったな」
「姫さまとあんな気楽に喋ったことあったっけ?」
 恐らく、ない。
 姫の傍にはビュートが居る場面にしばしば遭遇するクラスメイト達は、ビュートの姫様独占について物申したいものがある。
「本鈴鳴っても起きなければいいよ。それで姫様が見てる処で叱られたらいいんだ」
「じゃあ起きないようにトドメ刺して……」
 男子生徒の一人が辞書を構えると。
「聞こえてるよ、全部」
 むく、とビュートが身を起こして辞書を掲げた生徒の脇腹を人差し指でツン、と押した。
「うああああビュートくんのえっちいぃ」
 丁度一番こそばゆい箇所をつかれたらしく、よろりとへたりこんだ。ビュートの周囲で笑い声が起こる。
 一部始終を離れた席から見ていた姫は嘆息して、
「朝の食堂で見掛けなかったって思えば……何してるのかしらね」
 と、呆れながらもくす、と小さく笑った。

     ↓

視線を手元の書状に移した姫からは、先程の小さな笑いが既に消えていた。

「お母様が意外とすんなり、頼んでもいないところまで許可をくれたのは良いとして…。」
「…自分の推察が当たった事が嬉しくない事もあるものね。」

昨夜届いた2通の書状のうち、侍女から届いた書状には、宰相の特区…リューズへの干渉を裏付ける情報が綴られていた。

「さて、どうしたものかしら。」
つい先日、隠し事をしたビュートを責めた自分である。
「でも、これは"知ってる"事を知られるだけで命に関わりかねない話しだし…。」
「言うわけにはいかないよねぇ。」

今日は一日、悩んでも答えの出ない問題に頭を抱えたまま、授業を受けるしかなさそうだ。

     ↓

 そうして男子生徒とじゃれあって巫山戯ている中で、ビュートはふと、何やら眉根を寄せて考え込む様子の姫に気づく。
 ……経験に基づいた分析によると。
 ここで『どうしたの?』等と話し掛けようものなら、不機嫌に突っぱねられるのが関の山である。たまには多少の学習出来程度の成長はしたようだ。
(けど)
 ビュートは思う。
(ヤヤ様もそろそろ僕を頼ることも学習してくれないかな)
 信頼に足りないのかも、と想像して少しばかり落ち込みそうになるが、鍵の複製は叶った。姫からの評価が浅いならば自己評価を持ち上げてしまえ。何処から来る自信なのか、生きるには逞しいのかも知れなかった。

     ↓

案の定、その日の授業の内容は全く頭に入ってこなかった。
それでも時間は過ぎ、課業後。

「そう言えば。」
ひとつ、やり忘れていた事を思い出した。
大急ぎで1通の書状を書き上げて配達を手配する。
宰相の動向を探らせていた侍女に、その活動を一旦停止する指示だ。
「深入りしすぎると危ないからね。」
宰相という男は、自身の欲望と保身の為には容赦がない。探っている事がバレたら…などとは考えたくもない。
「どうせもう、自分の判断でやめてるでしょうけど。」
不真面目さに対する諦観にも聞こえる呟きは、むしろ判断力の高さを信頼しているからの言葉だ。

     ↓

(少しも会話せずだったな、今日)
 昨夜は楽しそうだったのに。訝しく思ったが、追求すれば煩い関係ないとしか応えて貰えない気がする。それに作ってみた鍵が実用出来ると判明した以上、ここは禁書収蔵庫に忍び込む事ぐらいやりたくて堪らない。
 姫を連れて大威張りで合鍵を自慢したいところだが、不正な複製に叱られるのは嬉しくない。ここは免れても後ほどいずれ怒られる事に気づくには、ビュートは鍵の複製に成功したことが嬉し過ぎたらしく、そこまでは考えていない。寧ろ姫に尽くすが如くここまでやったことは喜んで貰いたいと、まず有り得ない期待をしてから、いややっぱり怒られる? 等と思い至ってしまった。
(けどでもそこはやっぱり! コソッと潜入したいし!)
 思い立ったら行動しがちで厄介な処もビュートの人柄である。これから図書室の禁書収蔵庫へ行こうと冒険心を燃やした。

      ↓

「そうだ。教員室まで来たんだし、ついでに"これ"も…。」

女王からの書状を持って、関係する教員に声をかける。
「"これ"なのですが、日はお任せしますので許可を頂けないでしょうか。」
書状の一部を手渡すと、教員は鍵のかかった金庫から取り出した書類と比較しはじめた。
『承りました。王家の許可証が確認出来ましたので、学園の許可証を用意します。』
手続きは呆気なく完了した。
「そんなに簡単なのですか?」
思わず声が出た。
『姫様の場合、身元が明確ですから。特例の様なものです。』
納得だ。
『数日中には準備が整いますので、しばらくお待ちください。』
「よろしくお願いします。」

教員室での用事は全て完了したので、自室へ戻る事にした。

「さて、あと少し、手元にある資料でも見直してみるか。」

     ↓

(司書の新人さんは委員会の奴らと話してるしこっち気づいてないし)
 こそっと覗き見てビュートはポケットに隠している真鍮の鍵をまさぐる。忍にはまたとない好機。
(色んな人に色々申し訳ない……とは実はあまり思ってないけどさ)
 通用口の複製鍵と禁書収蔵庫の複製鍵をリングに通してまとめておいたのは、自分以外に触れさせないため。不正で説教受けるのは自分だけでいい。父に連絡が届くのは少々恐ろしくはあるのだが、先日胃潰瘍で倒れて以来健康に自信を失くしたらしくビュート宛の手紙が増えた。ついでに王女と親しい事も知られてしまったから、関係を勘ぐる内容もあったりあったり。
(……なんでそうなる父上)
 あったりなかったり、ではない。あったりあったり。つまり非常に気にしている。それがベルソゥ・リンという街の存在そのものに関わる重大な事柄だとはまだ知らないビュートは、姫と友達であるだけでこんなにやれ『王女様とは親しくさせて頂いているのか』『王女様にご迷惑をおかけしてはおらぬか』などと月二回ぐらい手紙が届くことに辟易している。
 ああいや、今はそれどころではない。
「先走って行動する僕を見逃してね、ヤヤ様」
 ぼそりと言葉にしたら肩が軽くなった。人目のない事を幾度か確認した上で錠前を外すと、禁書収蔵庫にひっそりと潜り込んだ。
「……けほっ! 凄い埃だな。けど思ってたより黴臭くないみたいだ。ちょっと暗いけど」
 王立学園の禁書収蔵庫である。王家伝統の書物も多々収蔵されている書庫なので、むやみに人が出入りすることはないものの、湿度や本の日焼けを避ける光線の遮断に拘った部屋に仕立てられていた。
(『黴の生えそうな』じゃないんだな。『黴の生えないように』管理してるんだ)
 けれど流石は旧い書庫である。背表紙を追っても何処から手をつけたらいいのか判らない。王家史書でも? いや、その程度はこれまでの五年間に姫が王城から取り寄せて熟読、ぐらい済ませている筈だ。歴史書より魔導書の類だろうか。リューズは『成長しない少女』なのだから、魔術的な処理があるのかも知れない。それとも。
「ううむ。取り掛かる場所がそもそも見当がつかない……」
 頭を抱えたくなった。
「こういう時は」
 自分に確かめるみたいな声音で独語する。
「素直にヤヤ様に聞くのが賢いやり方なのかもだ」
  ……挫けたらしかった。

     ↓

「"リューズを助ける"とは言うものの…、そもそも"あの子が何者なのか"からなのよね。」

やはり、相手のことがわからない事には下手には動けない。いざ枷を解いてみたら災いを招ぶモノだったなんて話しはあちこちで聞く。

「まぁ、あの子に限ってそれはないと思うけど。」

「とはいえ、歴史書の類はひと通り確認したけど、それらしい表記はないし…」

あの街へ行く前の調査を思い出す。

「少しアプローチを変えてみるしかないか。」
やはり一度、彼も含めて話しをした方が良さそうだ。

     ↓

 教室で互いの姿を認めて思わず同時に声をあげた。
「あの……!」
 それが見事にぴったりで些か気まずい空気に、姫が云う。
「……譲ってあげてもいいのよ?」
「では遠慮なく」
 コホンと仕切り直しの咳払いを真似て、ビュートは云う。
「調査だけどさ、一旦何処かですり合わせるって云うか、打ち合わせた方がいいんじゃないかな。見てるものが被ったら二人で調べる価値がない。突き詰めた話をしよう」
(鍵の複製も出来てるし)
 最後は口にせず胸に思い、ビュートはそう誘い掛ける。姫は難しい顔で眉根を寄せ、けれどやむを得ないとばかりに応えた。
「そうね。では課業後一旦談話室でいいかしら」
「うん、先ずはお互いのカードからだね。じゃ、後で」
少なくともビュートにはそう思えたのだ。
(妥協はしないよ、何もかもね)
 眼差しは、強い。

     ↓

(確かに調査を分担するのはアリね。)
彼の案に反対する理由は無い。

「ただ、手持ちのカードと言われても…」
独り言ではあるが、珍しく歯切れがわるい。
「…特に無いのよねぇ。」
今日はもう、それも含めて話しをするしかないだろう。

授業をそつなくこなし談話室へ向かった。

    ↓

(と、云ってみたのはいいんだけど)
 今日の授業を終えて談話室へと向かう廊下を歩む足は消極的だ。
(僕が小さい頃から父上から聞かされてたのは、デンス王国の建国と共に都市として独立したのが、ベルソゥ・リンだったぐらい旧い街だって事ぐらいだよなあ)
『由緒ある街の市長として生まれたライトは、その自覚を持って正しく在りなさい』
 父の口癖だ。……あまり正しく育ってないようだが。
(これ、大事な情報になるんだろうか)
 そう考えながら談話室の扉を開けた。

     ↓

談話室のいつもの席。
テーブルの上に「現在の状況」とだけ書かれた紙を広げてビュートを迎えた。

「早かったわね。とりあえず座って。」
着席を促す。
「飲み物はすぐに届くから、その前に…、」
隠しても仕方ない。
「これが今の状況よ。」
何も書かれていない白紙部分を指差す。

     ↓

「……は?」
 示された白さ際立つ紙を見て、ビュートの動きが停止する。ついでに思考も停止した。
 ちらと姫を見遣る。姫はと云えば全くの不本意そうな様子で、テーブル越しに小さく諸手を挙げている。お手上げ、と云うことらしい。
「……ヤヤ様」
「……」
「王宮から歴史書の取寄せして、侍女の皆様を煩わせていたような気がしたけど、気の所為なのかな?」
「そんなこともあったわね」
「……」
 気まずい沈黙。
「何してた!?」
「本当に情報がないんだもの!」
 些か声高になってしまい、談話室で駄弁り合っていたもの達がちらとこちらに注目したが、こそこそと目を逸らした。
 ……などと云ってはみたが。
 ビュートにも有益な情報の入手は適わずにいるのが現状だ。
「じゃ、僕の手札だね」
 云って、眩い白紙に向かって万年筆のキャップをくるくると外して書き込む。
『辺境市街ベルソゥ・リンは、デンス王国建国と共に市政を得、以降市長はビュート家に生まれた者以外が市を治めてはいない』
 青灰色のインクで綴られた文字はビュートの人柄よりは達筆だ。
「父上に手紙を送った時教えられた僅かな情報だよ。我が家系だけが治め、リューズに接触する限られた市民はビュート一族くらいしか居ないらしい。これが有益なのかは判らないけれど」

     ↓

(あれ?)
目の前で記された内容を見て何かが引っかかった…。
が、引っかかっただけだった。
「…。」
大抵の場合、こういうモノは他のことを話しているうちに形が見えてくる。

「そもそもなんだけどね?」
幸いなことに、話しておきたい事は有った。
「今の目的ってなんだっけ?」

     ↓

「目的」
 反復して返し、暫しの沈黙。
(何だっけ?)
 そういえば始まりは『特区』には『何が』居るのかから始まった。その時のカードは『成長しない少女』が居る、ただそれだけ。
 次にはヤヤ姫の『彼女に会えないか』の打診。会ってみてからは――なんだろう?
「待って、整理する」
 紙に箇条書きしてみる事にした。
・何者か居るのか…居る。
・会う事が出来るのか…特区内に辿り着いたならば会える。
・どういう人物なのか…成長しない少女(故に人は『化け物』と蔑む)だが、純真過ぎる穢れ知らずの幼子のよう。名前はリューズ。
・『特区』には国を護る天使がいると言い伝えがある。
・『特区』は建国と共に在り、ビュート一族の統治しか認められない。
「これまでの情報はこんなものか」
 書き記した紙をトントンとペン先で叩き、ビュートはヤヤ姫に問うた。
「ヤヤ様は、あの子を『どうしたい』から調査を続けるの? リューズの境遇への憐憫? 迫害される現状からの救出? でも『成長しない』『異質な』女の子なのは僕が確かめたよ。果たして『救って』いいものなのかも判らないんだよ?」
 姫の考えを知らなければ、ここから動けはしない。彼女の『思い』が言葉になることを、ビュートは待つことにした。

     ↓

「今の状況をどうにかしてあげたい…って言うのは間違いないかな。」

「あの子が抱えてる問題は、あの街での処遇以外にもあるみたいだし…。」
余計なことを言ってしまったかもしれない。

「それにほら、私達って"お友達"だし?」
打ち消すように、少し冗談めかして言ってみる。

「ただ、さっき貴方が言った通り"得体が知れない"のも事実。それはそうよね、たかだか数時間一緒に過ごしただけだもの。」
恐らくは人に害をなすような存在ではないだろう。でもそれは単なる直感でしかない。

「…。」
ここから先をどう言葉にしたものか考えあぐね、言葉に詰まる。

     ↓

 困惑の表情を見せるヤヤ姫を見つめながら、緩く組んだしなやかな指に顎を置いて、どんな『答え』を引き出すかと観察した。
 あの子――リューズはあの日館を抜け出し初めてその姿を見たとき、諦めた光のない眼差しで己を犠牲にすれば『他の誰もが』傷つくことは無いのだからと、自分だけが『国家の玩具として好きなようにさせれていれば』民は平穏に暮らせると、云わば彼女は贖罪の山羊であればいいかのようだった。
 その事情を知るにはビュートは幼かった。『仲間外れのお姉さん』を遊びに誘うぐらいだったのだから。
 しかし今は違う。民に疎まれる『成長しない少女』。まるで『魔性の存在』ではないか。それは酷く好奇をそそられる。『魔術師の一端を担うのかもしれない封じられた少女』。いつか寝物語に聞かされたかのようにドラマティックな物を華奢な双肩に背負う娘。
「僕はね」
 話の切っ掛けの一助にと思ったことを云う。
「ベルソゥ・リンをリューズが誰に疎まれることなく楽しく暮らせる街にしたい。君はどうなの、ヤヤ様?」

     ↓

"ベルソゥ・リンをリューズが誰に疎まれることなく楽しく暮らせる街する"
それは、いずれあの街を治めることになるビュートだからこそ出来る"リューズのための事"だ。
それならば、王族である自分に出来る事とは…。

「…。」

差し当たって解決するべき問題は"宰相による暴挙"だ。まずはこれを止める。
その後に、"国としての関わり方を変える"と言ったところか。
どちらも、非常に難しい事なのは間違いない。

「うん、私もやりたい事は見えた…かな。まだ、話す事はできないけど。」
して意見を言うのは禁止されている。

「とりあえず、あの子のことをもっと知らない事には何も始められないわよね。」

     ↓

「そこがいちばんの問題点ではあるんだけど」
 運ばれて来たホットミルクに口を付けて云う。
「切り札どころか、何の情報も秘匿と来てる。父上も僕が時折リューズを遊びに誘うことについていい顔はしなかったし」
 紙に書き記した『今自分達に判ること』は僅かばかりに過ぎない。
「今はこれだけの情報しか、僕らには確かめられない」
 白紙部分の方が多い紙の、自らの筆跡をトントンと叩いて云う。
「でもこのキーワードから、ヤヤ様側からのアプローチは起こせないかな? やりたいことあるんだろ? 『どう動きたいのか』を易々と教えてはくれないヤヤ様だから、目処が立った時に僕にも一枚噛ませて欲しいな。そこで」
 ビュートがスッと目を細める。企む目だ。
「禁書庫潜入、も手段の一環になると思わない?」

     ↓

「私が何をしようとしているか言えないのは、王族の決まりだから我慢してね。もし言っちゃうと私が牢に入る事になるから。」
お手上げの仕草をして見せる。
「残念だけど、学園にいる間は言えないわね。」
少し前の法の授業を彼が覚えていれば、なんとなく察してくれるだろう。


「で、あの子のことを調べるのに"禁書"って言うのは良い目の付け所だと思う。」
一組の書類を机に並べる。
「ちょうど、お城と学園、両方の許可書が揃ったところよ。」

「それと、」
念のために釘を刺しておく。
「もし、鍵を複製して侵入しようとか思ってたなら、今すぐその考えは捨てなさい。」

「寮の鍵を複製するのとはわけが違う。バレたら投獄なんてすっ飛ばして"コレ"よ?」
親指を立てて首の前を横一文字に滑らせる。

この国では、不正規の手段で国家機密に触れようとした、又は触れた事が発覚した場合、よくて終身刑、基本的に処刑である。

     ↓

「……何故知ってる」
 こそっと作った鍵なのだが。しかも使えるのだが。完璧なコネクションの元密やかに作成した渾身の作なのだが。
「通用口のスペア作るような犯罪者は犯行を繰り返すもの」
 にべも無い。嘆息したビュートは革紐に潜らせて首に掛けていた二つの鍵の内、通用口の鍵を外してポケットに収め、禁書庫の鍵を付けた革紐をヤヤ姫の首に被せた。
「では正統な所有者に預けよう。齢十二でギロチンは遠慮したい。精密作業だったから悔しいけど」
 この国の民に知らせぬ機密は何処まで綿密なのか、興味深い処だが、卒業せぬまま命を落とすのでは元も子もない。
(けどそれほどに隠すリューズの秘密って――)
 ビュートは思った。
(このまま調査して無事に済むこととは思えないけど、大丈夫なのか? スリリングではあるけど楽しくはないな。リスクが高すぎる)
 ハイリスクのゲームを楽しむ性質とはいえ、生命まで掛けるまで無鉄砲にはなれない。しかしヤヤ姫を守ると誓った七つの頃の約束を違える訳には行かない。
(乗りかかった船、って奴か)
 ……少しばかり。
 遺言状書こうかと思った。

     ↓

「まさか、もう作っていたとはね…。」
渡された鍵を見ながら少し呆れ気味に呟く。
(さっきの物言いだと、この鍵はもう使える事を確認してるみたいね。)

「この鍵の扱いは追々考えるとして…、こっちで用意した許可証で貴方にも随伴者として立入りと閲覧の許可が出てるから。」

「随伴者って扱いに不満はあるかもだけど…、お母様が勝手にやった事だから、私に文句は言わないでよ。」

自分1人分の許可を頼んでいたのだが、母が寄越した許可証には2人分の名前が記されていた。

「お母様に気に入られたみたいね。」
普通なら名誉な事だが、相手は"あの"女王である。

「ご愁傷さま、覚悟しときなさい。」

     ↓

 その言葉を受けた刹那、ビュートの眼差しはスッと細められ、静かに、訥々と話し始めた。
「正直、僕は僕自身の認識より遥かに軽い気持ちで、この話に加担してた」
 懺悔にすらなりはしない。
「ここに入学する以前から知ってた『リューズ』にまつわる詳細についてだって、まあ確かに本気で『成長しない』現実を目の当たりにして驚きはしたし、もし僕がここを無事に卒業出来てベルソゥ・リンに帰っても尚成長しないなら、何らかの対策で守れたらと考えた事に偽りはないけど」
 冷めたミルクを口に運ぶ。
「この際だから白状するけど、その鍵で一度書庫を覗き見た」
 ヤヤ姫が顔を顰めるが、語るのは辞めない。
「王国建立の史書程度と思ってたけど、違った。『魔道統治書』とでも云うのかな? そういう記録書もあるみたいで……デンスはかつて魔術にも関わった上で統治されたらしいと思ったら、ますます面白そうで、わくわくしたけど」
 テーブルに肘をついて細い指を絡ませ、そこに額を押し当て俯く。
「今のヤヤ様の言葉で漸く判った。『リューズ』は単純に『不思議な少女』では済まされない『国家の秘匿事項』でも最大級の『訳あり』で、好奇心だけでは済まされない領域なんだね。単純な『興味』で動いた僕を詰っていいよ、ヤヤ様。『リューズ』を大人が忌避するのもその為だったのなら、僕はそんな大人達にお構い無しに自分から関わりを持ったリスクにも気づいてなかったんだ」
 俯けていた顔を上げたビュートの瞳に、何らかの決意の色が差す。
「今度こそ、君もリューズも、僕が守る。少しでもあの子が幸せを得られるようにするためにも……たかが一市街の市長後継者でしか無い僕には騎士を名乗れる身分にはないけれどプライベイトの騎士として指示を仰ごう」
 戯れの色は、その瞳から消えていた。

     ↓

「浅はかに興味から首突っ込んだのは私も同じだし。むしろ、巻き込んだのは私だから、私が謝るべきなのかもしれないけど、それはまた次の機会に改めて。」
"もっときちんとした形で…"とは口にしない。

「じゃあ、覚悟が決まったところで、ひとつひとつ整理していきましょうか。」

「まず、貴方がリューズの事を知っていたのは、あの街で暮らしている中で自然に出会っての事だから全く問題ない。」

「そして、将来的にあの街を治める事になる貴方があの街をリューズが過ごしやすくしようとするのは、あの街の治安の為にもむしろ自然な事だからこれも問題ない。」

「最後に、貴方がリューズに興味を持って調べるのも "通常の手段の範囲なら" 問題はないみたいね。もしダメならもっと前に貴方のお父様が止めているはずだから。」

あれ?そう言えば…、

「ねぇビュート?貴方、今までの調査で自分の街の歴史みたいなモノって調べてたっけ?」

     ↓

「いや、小さな頃『塔の少女』ってなんだろう、って父上にお伺いした時、少しだけ聞かせて貰ったことだよ。最近になって思い出してね……ええと」
 人差し指で唇に触れて考える様子で言葉を継ぐ。
「市長を継ぐ年齢が近くなってからなら読んでいい事になってる、街の覚書程度の史書があるんだ。それの閲覧が出来たらもう少し判るんだけど」
 今は恐らく難しいのを歯痒く思いながら応えた。
(それにしても)
 唇に指を添えたまま思案する。
(会ってみたいって言葉で安易に『塔』へヤヤ様を連れて行って良かったのか!? この様子じゃ相当王国にとって不都合な子だ、あのリューズって子……)
 情報を探ろうとするだけでも死罪ならば『会う』などあってはならない筈だ。大逆罪を問われるならば。
(あの場に『誘い込んだのはライト・ビュートの仕組んだ事』と明確にしなければ、ヤヤ様にも危険が及びかねない。死ぬのなら僕がその罰を受けるべきだ。上手く情報の工作が叶えば)
 罪を背負うのは自分だけでいいはずだから――。

     ↓

「なるほど、そっちにも似たような扱いの本があるわけだ。」
要するに、2人とも家を継ぐ直前にならないと核心に近い情報には触れられないと言う事だ。
「まさか、時間がネックで調査が頓挫するとはね。」
こればかりはどうしようもない。
「とりあえず、まずは近いうちに時間を調整して禁書エリアに行ってみましょう。」

「と言う事で、この話しはここで終了として…。」

少し間を置いて、少し意味ありげに聞いてみる。

「あの鍵の複製の技術を活かした"ちょっとしたお小遣い稼ぎ"に興味ない?」

     ↓

 ビュートの表情は凍りつき、ザッと血の気が引く音を聞いた気がした。
 彼女は何を云っている? 学園脱走が適うと夢想して通用口の鍵を作った事さえ罪深い処に、つい今しがた姫自身の口から国家大逆で死罪宣告した、その口で何を云う?
「……いや、もうこういう違法な真似は出来ない」
 紙の如き蒼白の顔で、声は震えるのを抑えられない。
「それこそ寮の通用口程度なら、既に犯した悪戯だ。先輩達も後輩もそれを頼っているから、今更引き返せはしないにしても……これ以上の罪を重ねればヤヤ様の、『リューズの待遇を改善させる』為の行動を興すに支障が出る」
 小刻みに震える手が額を抑え、俯く様で絞り出される声音さえ冷えきった。
「小遣い稼ぎと云う程なら尚更だ。彫金も面白かったけれど、これ以上罪は重ねれられはしない。君の計画をこれ以上妨げる真似は出来ない」
 絞り出される言葉には畏れが込められていた。姫の計画の妨げに、これ以上はなれない。

     ↓

しまった、タイミングが悪かったか。

「あ、いや、ごめんなさい。タイミング的に紛らわしかったわね。」
慌てて補完する。
「私から…と言うか、王家からの正式な依頼だから安心して。内容も真面目なものよ。」

「絶対に貴方の損にはならないと約束するわ。」

     ↓

「例えそれが事実であろうとも……いや、君の誠実さに偽りはないのは知ってるけれど」
 眼差しは変わらず凍てついたままに云う。
「複製の技量を買ってくれたとしたところで、それは王室の信頼がおける専門の職人へ依頼すべきだよ。在野の、僕のような子供に託していい事じゃない。少なくとも今の僕には叶えられない。申し訳ないけれど。恥じ入る行いを犯した僕は、今すぐにでも君の前から消えたいんだ」
 痛い程に冷たい声音だった。頑なに拒絶する言葉に、これ以上自ら出来ることは無いとでも言外に告げる気配が漂っていた。

     ↓

「そういう人達にも既に声を掛けているわ。そのうえで、出来るだけ多く年齢や身分、職業に関係なく技術をもってる人の協力が必要なんだけど…、」

「ま、無理強いをするつもりはないわ。私の卒業直前までは、何回か繰り返されるはずだから、もし気が向いたら言って。」

今日はこの辺りが限界だろう。
席を立ちながら付け足す。
「調査の再開も少し日を開けてからにしましょうか。また連絡するわ。」

(一応、私の身を守る事に繋がる内容なんだけど、今は言わないほうが良さそうね。)

     ↓

「ごめん、ただの我儘だと判ってるよ。けれど死罪と紙一重の罪人と成り果てた僕がそんなことを請け負って、君の顔に泥を塗りたくはない。リューズと禁書については、切り離して考える努力しよう」
 疲れきった瞳が揺れ、そのまま頭を抱え俯くビュートに掛けられる言葉はなかった。
 ――その夜。
 男子寮裏庭の片隅に、ビュートは彫金に使ったチセルを埋めた。

     ↓

ガン…ガン…。
同じ頃、寮から少し離れた暗がりに金属を叩く音が響く。
「こんなところかな。」
一部が破損した鍵を見て呟く。
「これで、件の鍵は存在しない…と。」
意味のない作業であることは分かっているが、それでも、この鍵をそのままにしておくのは気が引けた。
「…実例があるとは言え、極端な話しをしちゃったかな。」
別れる間際の彼の様子を思い出す。

確かに極刑に至った事例は存在する。
が、それらは全て"どんな情報を"入手して"何に使ったか"など、複数の要因が絡み合って下されたものだ。抑止の意味も込めて1番厳しい例を出したのだが、既に事を終えているとは流石に想像が出来なかった。

「あの様子だと、しばらくは調査自体が難しそうね。」
「うん。出来ることから進めていこう。」

まずは、禁書エリアの中でも王族にしか閲覧が許されない資料と向き合うところから始める事に決めた。

     ↓

***

 一夜明けて。
 ビュートは朝食のため食堂に向かった。視線は直ぐにヤヤ姫の元に留まる。食堂で彼女を見つけられなかったことはない。
 出会った頃のように際立って小柄だとか、そんな理由ではなかった。彼女の気配は独特なのだ。生まれの気高さは隠せるものではないらしい。品の良い所作が目を引くのだ。
(いつも早いな。そういう育ちだったんだろうけど)
 と、躊躇なく姫の隣の椅子にストンと腰を落とす。ヤヤ姫は胡乱な目でビュートを見遣った。食事はほぼ終わろうとしている。
「昨夜はごめん、流石に狼狽えた」
何でもなさを装うことは出来ているだろうか。
「彫金はさ」
 ビュートは云った。
「元々は父の趣味でね、小さい頃教わったんだよ。銅板を叩いたり削ったりして、母へ葡萄のブローチを誕生日プレゼントに作ったりね。まあ、葡萄に見えるものが出来たわけでもないけど、喜ばれた。お陰で技術実技科目でも彫金についての技量は学園設立以来の有能と呼ばれたよ」
「だからって悪用の口実にはならないわ」
 ただの弁明にしか聞こえない言葉に、姫は冷ややかに云う。
「だから、暫くはチセルには触らない。裏庭に埋めたよ。目に触れる場所に置くのはプレッシャーだからね。けれど」
 パンをちぎって口に放り込んで、それから云った。
「君の調査の妨げにはなりたくない。僕にも許可証があるなら、これからも手伝おう。それから今度の暦が、日数は短いけど学園も連休だ。一度ベルソゥ・リンへ向かう」
 ティーカップを取って云う。
「先日倒れてから父上が弱気でね。帰っていいと許可を貰った。実家で何か掴めるかも知れないからね」
 ヤヤ姫が眉間に皺を寄せ何か云いたげな眼差しを返すが、気付かぬフリをした。
「食事は済んでるのに引き留めてごめん。僕の話はそれだけだから、行っていいよ」
 ビュートは一方的に話を切った。自分でもまだ心の整理がついてないことを情けなく思いながら。

     ↓

「そう、お父様が…。」
あの後も回復せずに今に至ったのだとしたら少し心配だ。
「帰郷の準備もあるだろうし、しばらくはそっちを優先して。」
会話は、最低限必要な事だけを返すに留めた。

そして、ビュートがベルソゥ・リンへ向けて出立する朝。

「これは、お父様に。」
用意しておいた見舞いの品を預ける。
「そして、これは貴方に。」
小さめのバスケットを渡す。
「道中のお供にどうぞ。」
中身はちょっした食べ物や飲み物…と封筒だ。
「もし、ベルソゥ・リンに保管されている資料に目を通すことがあったら、ここに書いた事も気にかけて見てくれると助かる。」
封筒を指差して続ける。
学園に保管されている禁書を調べてる中で、不自然だったり表記が抜け落ちていた箇所のメモだ。
「道中、気をつけてね。」
ベルソゥ・リンへの道程はかなり過酷だ。

王都に残る身としては、無事を祈るくらいしか出来ない。

     ↓

(利用してるようなものだ)
 ヤヤ姫に見送られベルソゥ・リンへと出立する、相変わらず窓をカーテンで封じられた馬車の中でビュートは思う。
 父の病状は、どちらかというと吐血するまで胃の腑を悪くした、そのことへの不安が大きく、病自体が悪化した訳ではない。ただ見過ごせないくらいには気落ちしているのだ。
 そこにつけ入って帰郷し、ビュート家初代からの記録を隙見する。親を利用している。好奇心だけで。
「ライト様、此方を」
 従僕がビュートに目隠しと馬車の座席に身体を固定するベルトを嵌めた。街までの道程の整備は長く整えられる事がないため、酷い悪路で揺れが激しいのだ。そしてカーテンの隙間さえ覗き見ることを赦されない。それほどに秘匿される街と、街に住む――『飼われてる』?――リューズ。関連を疑うには充分だ。
(市史を好きにしていいのは学園卒業以降。今は露骨には扱えない)
 それは。
 王国禁書に触れるに近い禁忌。温厚な父でも易くは認めまい。そして市政に関することに関わろうとしない母は庇いもしないだろう。叱責程度は恐れはしないけれど。
 記憶隠蔽。
 それくらいのことは起こりうるだろう。鎖された街に不審を抱くものは存在する。ビュート家に楯突く者も。そういった人々は王都派遣の術師による『精神制御』――記憶隠蔽を図られる。
 気づかれることなく市史の記録を、少しでも多く、書き写して持ち帰らねばこの帰省の意味などない。
 ビュートの思いも気づかぬまま、馬車は街へと乗り入れられた。

     ↓

(時はビュートの出発のタイミングまで遡る)

ビュートを乗せた馬車を見送るヤヤの背後に一台の馬車が停まった。

『お迎えにあがりました。』
声をかけたのはいつかの侍女だ。

「時間ピッタリなのは流石ね。車上から声をかけるのはどうかと思うけど。」

『わざわざ降りるのも時間の無駄ですので。』
「それ、私以外だと即アウトよ?」
『それは大丈夫でしょう。私は、生涯貴女のお付きらしいので。』
「それ、初耳なんだけど?」

下らないやりとりをしながら馬車に乗ると、自身もそのまま王城に向かった。

     ↓

 一方帰省したビュートを、家族は思いの外歓待してくれた。
「お父様ったら気落ちしてしまってて大変なのよ」
 困惑顔の母に笑みを作って、ビュートは応える。
「帰省出来たのは丁度良かったよ。母上のプレゼントを直接渡せるんだし。これ、今年の誕生日に」
 と、銀板から削り出した薔薇の耳飾りを母に手渡す。母は表情を和らげて云った。
「お父様のご趣味だったのに、すっかり貴方の特技になったわね。とても素敵だわ」
「喜んでくれることが嬉しいからね。気に入ってくれたならいいよ。父上は?」
「お仕事よ。でも直に夕食だわ。そのうち来ますよ。貴方は荷物をお部屋に置いてらっしゃい」
「そうするよ」
 云って、ビュートは自室へと足を向ける。この街から王都への移動日数から、この連休でも滞在出来るのは二泊。けれど動けるのは実質三日まではない。少しでも書庫で調べる時間を取りたい。持ち込んだ着替えなどを整理してダイニングへ戻ると、父は食卓についていて夕食が並んでいた。
「よく戻った、ライト」
 そういう父は少し痩せたように見える。
「父上、お加減は如何ですか? お痩せになったのでは」
「幾らか良くなったんじゃないかとは思うがね。やはり不安は否めぬかな。お前が早く継いでくれる年頃になって欲しいものだ」
「僕の帰省を卒業まで禁じると仰ったくせに、近頃気弱なお手紙が増えたのでこうしてお伺いしてるんです。お元気になって頂かないと」
「そうだな」
 父の前には薄く炊いたオートミールが並ぶ程度で、食の細さが伺われた。しかし母は穏やかに振る舞う。
「さあさ、頂きましょう」
 三人のささやかな晩餐の後、父は云った。
「ライトにもそろそろ街の市史を学んで貰った方がいいかな。卒業まであと五年だ。私もベルソゥ・リン三百年を全て学んだわけではないが、ここはデンス王国の『特区』なのだから」
「焦りすぎですよ、あなた」
 母は不安気だ。ビュートもそこまで沈んだ様子の父を少々心配に思う。
「考え過ぎるのもお身体に障りますよ、父上。どうぞ早くお寝みください」
 ここで好機と考える程酷薄にはなれないビュートだったが、利用は出来る現実は心の裡に深く突き刺さった。
 ――願わくば。
 父の少しでも長い安泰を。そう祈るしか出来ぬことが歯がゆかった。

     ↓

一方、ヤヤは王城に着くなり挨拶もそこそこに書庫に向かった。

『何を調べてるのかは聞かないけど、あんまり露骨に"あの街"に触れようとするのは感心できないわね。』
王城内の書庫、その中でも王族にのみ立入りが許されたエリアで資料と向き合っているヤヤに声がかけられた。

『止めはしないけど、充分以上に気をつけてやんなさい。あの人も動いているみたいだし。』

「…分かってて止めないのですか?」
『まだ少し証拠が弱いのよねぇ。』

しばしの沈黙ののち、続けて女王が思い出したように続ける。

『そうそう。証拠と言えばね、少し前にかなり効果的な証拠が匿名で流れてきたんだけど、何か知らない?』
「…知りません。」
『あら、そう?分かったわ。』

しばらくは他愛のない会話が続いたが、やがて

『じゃ、次のお務めの時間だから行くわ。ちゃんと夕食には出てくんのよ。』

言いながら席を立った女王は、
『そうだ。この本も面白いから読んでみたら?』
数冊の本を机上に置き、書庫から出て行った。

「どこまで気付いてるのよ、あの人は。」
もう、全部バレているのではないかとすら思うヤヤだった。

     ↓

 食事を終え両親が寝所へと向かった後、ビュートは一人ランタンを手に書庫へ入った。
 市史を学ぶ事については言質を頂いたようなものだ。隠れることもなくていいかも知れないが、そうでなくとも時間は限られているし、書物を学園まで持ち出せるわけではないのだから、寸暇を惜しまねばやるべき事は叶わぬ。
(父上でさえ『化け物』と呼称するならば、父上どころかお祖父様の代にはもうリューズは居たと思っていいだろうから……)
 パラパラとここ百年分、二十年単位で一冊に編纂されたものを流し読むと、既に『禁忌』『災いを払う』『姿の変わらぬ娘』の記述は果たしてそこにはあった。これらは何処からあるのか。記述を確かめ、せめていつからここに封じられた少女なのかくらいは記録を見つけたい。
 とはいえ一冊で二十年、それを先ず五冊。流し読むにも限度がある。ランタンの灯火もだ。
 それに。
「だんだん古語表記になってるな。文脈が難解だ」
 百年を遡るだけで言葉が古めかしく難しい。どうにか読み取れたのは百年の代までで既にこの街は鎖されていた事だ。最低百年以上の昔に封じられているのだろう。
「もう少し遡ってみないとリューズのことは判らないのか。簡単には判らないとは思ってたけどキツいな」
 小さく独りごちる。
 光線の入らない書庫で刻限は判らぬが、一旦自室で少し休もう。部屋に不在では母が訝るかも知れない。そう考えたビュートは市史の書物を棚に戻して、自室へと戻った。少しばかり明るくなろうとする空を窓外に見て、ほぼ徹夜になってしまった疲労を感じながらも、僅かでも休むために。

     ↓

「やっぱり、意図的に隠されてるよね。」
学園に予備として保管されているものを合わせて、歴史に関する書物の大半に目を通した。
それでも、リューズはもとよりベルソゥ・リンについて記載されている物はほぼ皆無であった。

「こうなるともう、"あの棚"しかないか。」
"あの棚"、歴代の王にのみ閲覧が許された書棚を見ながら呟く。
「そうなると、こっちはもう完全にお手上げだし…、現地の記録に残ってる事を期待するしかないわね。」

歴史の観点からのアプローチに見切りをつけ、書物を片付けたヤヤの目に、先程母が置いて行った書物が目についた。

「で、お母様は一体何を置いて行ったのかしらね。」

机の上のそれを手に取り数ページにさっと目を通す。

「これ…、お母様の日記?」

      ↓

 まだ眠い頭を振って食卓に着いたビュートを、父は訝しげに見遣る。
「寝不足らしいな。昨夜は書庫に籠ってたようだが、何か課題でも出てるのか?」
「課題……と云えなくもないですね」
 ヤヤ姫からの課題だが。
「『化け物』のことかね?」
「――! 父上?」
 突然その言葉を持ち出されぎょっとする。気づかれた? しかしそれは触れてはならない『禁忌』であるはず。昨夜見た市史にも再三に渡り『禁忌の娘』の記載があった。父はミントティー(胃を病み姫より下賜されて以来愛飲しているらしい)のカップを手に云う。
「あれには触れてはいけないよ。お前は街の者が忌み嫌うのにも構わず遊んでいたが……そもそもこの街はあの娘を『飼う』ための街なのだから」
「リューズを……『飼う』?」
 そこへ使用人が朝食を運んで来たため、会話が途切れた。焼けたパンを取って父は続けた。
「私も詳しくは知らぬのだが……私の祖父の時代にも、あの娘はあのままの姿で在ったと聞かされたものだ。だから『化け物』なのだと。いつの世から生き続けているのか、知るものもない特殊な娘だ。王族さえも容易くは触れられぬ程にね。訝しむのは仕方ないことだが、深入りはしないことだ」
「……」
 是とは云えぬビュートは沈黙で応える。息子は聞かぬ意志を持つと察した父は少し息を吐いた。
「それでもな、ライト」
 父は云う。
「現女王の治世となり、ヤヤ姫様ご生誕の折から、女王陛下は以前より幾らかリューズが穏やかに暮らせるよう、計らってくれているのだよ。娘を持たれて女児に優しくなられたのであろうな。今は多分、お前が思う程不幸ではないはずだ。お前が私を継ぐまで、あの『化け物』に関わる秘匿に触れる事は国家にも王族にさえも許されはせぬが……あらゆる記録はこの屋敷に秘蔵されている。『誰一人察することなく』紐解かれることもあるやも知れぬな」
「父上……?」
 調べることを黙認するのかと問おうとしたビュートの言葉を遮って、母が云う。
「あなた、喋り過ぎです。折角の卵が冷めてしまいますわ。さあライト、お前も頂きなさい」
「はい、頂きます」
 それ以上伺えぬまま、朝食の席は過ぎて行った。

     ↓

「なんで、自分の日記なんて置いていくかな、あの人は…。」
半ば呆れて、ため息混じりに呟く。
だが、あの母は意味のない事はしない人だ。

手に取ったそれには、いくつかの紙片が挟まれていた。
「ブックマーカー?ここを読めって事かな。」

「…いや、これ完全に手詰まりなんだけど…。」

指示された(と思われる)箇所を読み終えたヤヤは、軽い絶望感を覚えた。

書かれていた内容を要約すると、

・王位継承に関わる一連の儀式の中で、理由の説明もなくベルソゥ・リンに連れて行かれた。

・そこで初めてリューズと言う存在の説明を受けた。

・王都に戻った後、全ての権限を駆使して調べたが、リューズに関する資料は存在しなかった。

と言うことだ。

「なるほど。"儀式であの街へ行く"のも"物資を運ぶ"のも、『そう言う決まり事』として意味を追求されずに行われてるって事か。」

秘密の隠匿としては最高の状態とさえ言えそうだ。

「これはもう、彼に期待するしかないわね。」
こうなると、調べようとするのは時間の無駄とさえ言えるだろう。

「そうなると、こっちは"今のあの子をどう守るか"に専念するしかない…か。」

それは、ある意味で過去の調査よりも難しく、リスクの大きい問題であった。

     ↓

【深入りするな】と云われたとて、ああそうですかと引き下がれないビュートは、街を歩いてみることにした。
 以前帰郷した時も思ったことだが、王都に比べて身体に不自由を抱える者がやけに多く目につく。これは何故だ。街が鎖されていることに関係するのだろうか。
 市場や商店の立ち並ぶ界隈へ出ると幼い子らが無邪気に遊んでいる。少し前まではあの輪の中に居て、寧ろ輪の中心だった。懐かしみを覚える光景を眺めていたら、不意にはしゃいでた子供らの表情が固くなる。どうしたのだろう。辺りを見廻す。
 と――。
 ツヴァイヤ爺さんの営むパン屋から出てくる黒髪の少女。リューズだ。子供らはと云えば遠巻きに彼女を見て、「おい『化け物』がいるぞ」「『化け物』だ」「お父さんが見ちゃ駄目だって」「パン屋のお爺さんは『化け物』の味方なのかな」「石ぶつけてみたらあの子消えるのかな」「やめとけ、呪われるかもしれない」そう囁きあうのが聞こえる。
「……!」
 子供らの額を指弾して叱りたい気分だった。思えば自分が幼い頃もこういう者たちはいた。ビュートはガキ大将とまでは云わなくとも、子供らのリーダー格で、だからあの子供らみたいな者たちとはしばしば喧嘩もした。
 ビュートにとって、リューズは『化け物』ではなく、『可愛くて優しいお姉さん』だったのだ。だから遊びに誘ってみたりもした。大概が他の子供らの不平とリューズの遠慮で叶わなかったけれど。
(ああ、そうだ)
 ビュートは思った。
 自分が何故なんのメリットもなくヤヤ姫の調査を手伝いたいのか、その理由。
(あの頃僕は、リューズお姉さんに憧れてたんだ)
 遊んだことのある、周りは『化け物』だと忌避する者に、ただの女の子として憧れがあったから。『化け物』であって欲しくなくて。
 これで。
 ヤヤ姫に引き摺られて何となく、ではなく、明確な自分の『調査』は確定した。

     ↓

『娘が長い寮生活に戻る前に話しをしたいと思うのはおかしいかしら。』
それ自体はおかしい事ではないが…、
「それなら、サロンでも構いませんよね?」
『相変わらず、鋭いわね。誰に似たのかしら。』
「お母様の教育の賜物ですね。」
『なるほど、流石は私。』
「褒めてません。」
『えー。』
「子供みたいに膨れない。」
『ヤヤの意地悪。』
「…。」
女王がこの有様で、この国は大丈夫なのだろうか?

『…さて、』
それまでとは違った緊張感を纏った女王の声に、ヤヤは一瞬にして警戒モードに入る。
『貴女、あの子に逢ったわね?』

「…っ。」
『安心なさい。この執務室の中の声は外には聞こえないわ。それと、私は"逢ったこと"について咎める気はないから。』

「…はい。逢いました。」
どうしてバレたのかは分からないが、嘘をついて隠すのは無しだ。
『そっかー。やっぱり逢っちゃってたか。』
「え?」
『いやぁ、まさかとは思ってたけど。』
「もしかして…」
『はい、引っ掛けさせて頂きました♪』
「…。」
ダメだ、この人には敵わない。

『あの子の素性は分からなくても、置かれている立場は分かった…そんな感じかしら?』
「はい。」
『で、助けてあげたくなった。』
「はい。友達なので。」
『友達?』
「何か、そう言うことになりました。」
『ふーん?』

『そもそも、なんであの子の事を…』
「えっと、それはお母様が…」
その夜、執務室の灯りは明け方まで消える事はなかった。

そして翌朝。
珍しく眠そうな目で執務にあたる女王と、同じく眠そうな目で学園へ向かう王女の姿があった。

     ↓

 街から帰宅したビュートは、昨夜市史の記録から書き写した筆記帳を読み返し、差し当たり今回の帰郷で得られるものを取りこぼしていないかを確かめる。姫の指示書にあった国家の記録書になかったという記述は拾えていると思う。今回遡れたのは五冊の本で百年。百年の昔でさえ難解な古典的記載を、この先何処まで解せるかは判らない。最悪現文そのまま書きとって姫に今の言葉へと直して貰おう。
 残り十冊ならば合わせて建国三百年といったところか。現代文に近い百年の記載はまだどうにかなったものの、この先の古語は五冊も調べるなど到底叶いそうにない。印刷技術もない時代になって来ると書写で綴られたものになってくる。帰郷の口実は出来たとは云ってもそうそう使えない。
 今後何処まで調べることが出来て、あのリューズの暮らしを少しでも幸いのあるものにしてやりたい。他の子供らと違いまとわりつくビュートに、困惑した笑みをくれた『リューズお姉さん』に。
「ビュート、馬車の支度が整ったぞ」
 父の言葉に、ビュートは応じた。
「また、見舞いに来ます」
「ふふ、本心かな?」
「ご想像ください」
 他愛ない言葉を交わして、ビュートは王都へと臨む馬車に乗り込んだ。

     ↓

大半の生徒が未だ家で連休を満喫しているであろうその日、人の少ない寮の談話室には物憂げな表情を浮かべるヤヤとそれを物珍しげに眺めるボリョシカの姿があった。

「…どこまで話したものかしらね。」

『何をさ。』

独り言のはずだったのだが、耳に入ったらしいボリョシカがすかさず尋ねてきた。

「…ウチの事。」
隠す事でもないので答える。
『あぁ。やっと話してやる気になったのかい。』
"誰に"とは言わなくても分かるらしい。

「…。」
『正直なところ、王家の弱みみたいな話しだからねぇ。』
「遠慮なしね。」
女王と懇意の仲であるボリョシカは、現在の王家の事情をほぼ全て知っている。

「でも、知ってるとなると宰相派から目をつけられかねないのよね。」
『なるほど、心配の種はそれかい。』
「うん。」

『なら、昔からいい方法があるじゃないか。』
「なるほど。それはアリかもね。」

覚悟は決まった。
彼が戻ったら聞いてもらおう。
ロクでもない"ある家庭"の話しを。

     ↓

 自らの行動がただの成り行き任せと思っていたものを、自分なりの意義を見い出せた。それはこれからの行動についての自覚と熱意を刺激する。王都へと向かう、相変わらず閉鎖的な馬車なは辟易するが、姫の補助役としての認識を改めたビュートにはそれさえも些事に過ぎない。王家史書の記載に何処まで記録されているか、今のビュートに知る余地などない。ベルソゥ・リンの市史は歴代ビュート家当主の編纂した記録書なのだから信じていいのだろう。
 曽祖父の治世。最低百年は『リューズ』は『化け物』だったことは明白なのだが、記載の文言が引っ掛かっていた。
【『化け物』と伝承される娘】という記述だ。それは『化け物』としての処遇を受ける何らかの事情があったと云うことではないのか。
(いつの世にか、『何らかの変化』があった、と考えられはしないだろうか)
 突拍子もない思いつきに過ぎないかも知れない。しかし調べる価値はあるだろう。第一禁忌とは侵したくなるものでもある。
(この『伝承』という表記が、姫がなすべき調査の指針になるかも知れないんだ)
 王立学園前に寄せられた馬車からトランクを降ろし、数日ぶりの寮へと戻ったビュートは荷解きもそぞろの思いで久し振りに早く姫と話さなくてはと焦る気持ちに煽られた。

     ↓


「寮に戻って一息ついたら談話室にきて欲しい」とのビュートへの伝言を頼んでいたボリョシカから、彼の帰寮と談話室で会う時間の指定が届いた。

「おかえりなさい。」
席に着いた彼に声をかける。
「早速で申し訳ないんだけど、私からは良くないお知らせが2つ。」
彼が明らかに落胆した表情になった…ように見えた。

「まずひとつ目。私たちがあの子に逢ったことがお母様にバレた。…と言うか、バレてたっぽい。」
ビュートの表情が強張る。
「でも、それをどうこうしようと言う気はないみたい。"そもそも、あの街に貴女を連れて行ったの、私だし"だってさ。」

「そしてふたつ目。お城と学園にはあの子に関する資料は残ってない。これは、私が調べた結果と過去にお母様が調べた結果を合わせて考えて辿り着いた結論よ。」

「王位に就く人は、その一連の儀式の中でベルソゥ・リンに行って、そこであの子の事を知らされるみたい。」

「だから、申し訳ないのだけどあの子に関する調査については、あの街の資料に触れられる貴方に頼るしか無さそうなの。ごめんなさい。」

ここまで、一息に捲し立てるように話した。

     ↓

「そうですか」
 ヤヤ姫前途多難報告に、ビュートは差程気にかける様子もなく応じる。事実上『閉鎖領域』のベルソゥ・リンの市史なんてものは、王家側に詳細があると期待する方が愚かやも知れぬと思った。結局親の後継としてはまだ子供過ぎる自分らには荷が勝つのだろう。
「僕の方では、少なくとも曽祖父の治世――凡そ百年はリューズはあのような子供の姿でいたようだと云う記録までは確かめたので、書写した筆記帳に目を通してください。用件がこれだけなら僕は部屋で謹慎してますけど? 不問の処置とはいえ陛下に知られた身で呑気に遊んでも居られないでしょう」
 努めて平静を装うのは、帰郷の折母に贈った装飾品を思い起こさせられ、今触れるべきでないチセルに意識が向くのを抑えたいからだ。慣れ合えばまた――それは鍵でないにしろ、彫金の趣味に興じたくなる。今の自分は触れては行けないのだ。
 席を立つつもりで、ビュートは椅子を引いて腰を浮かせかけた。

     ↓

席を立とうとするビュートに慌てて声をかける。
「あの子の事とは直接は関係ないのだけど、聞いて欲しい話しがあるの。」

ビュートは、訝しげな表情を浮かべつつも、もう一度席についた。

「それじゃあ…。」
ゆっくり話し始める

「ある国に、1人の欲深い貴族の男が居ました。」

向かいに座る彼が"なんの話しだ?"と言う様な顔をしているが、構わずに続ける。

「その男は、学力も武力も人並みかそれ以下でしたが、"見た者を虜にする美しい容姿"と"聞いた者を惑わせる巧みな話術"をもっていました。」

思うところがあったのか、ビュートは改めて聴く姿勢を見せた。

「その能力をもって支配者の様に過ごした学園を卒業した彼は、学園で築いたコネクションと家の地位を利用し国の要職に就きました。」

「そんな折、その国の王が病で長くないと判明し、まだ若い王女が王の座を継ぐことになったのです。」

遽その伴侶を探すことにしました。」

「その話しを聞きつけた男は、"一世一代の勝負"とその能力とコネクションの全てを駆使し…、伴侶の座を掴んでしまいました。」

どうやら、彼もなんの話しなのか理解でき始めたようだ。

「伴侶として宰相という地位を得た男ですが、生来の欲深さから、あろう事か王の座を狙い始めます。」
「自分の意のままに動く人材をお城の中に増やし、ある程度の力を確保したところで、遂に障害となる女王と娘の命を狙うようになりました。」

ビュートが驚いた様な目でこちらを見ている。

「女王もそれに気がつかないほど愚かではありません。自分の周りに信頼できる者を集めて体制を整えるとと同時に…、まだ物心がつくかどうかの娘にも"早く自身を守れる様に"と厳しい教育を課しました。」

「お話しはこれで終わり。」
一息ついて続ける。
「どこの国とは言わないけれど、この世界にはそう言う国もあるらしいって事を知っておいてほしかったの。」

「ごめんね、時間をとらせてしまって。」

     ↓

「いやそれは構いませんが……『とある国』と仮定して語るには無理のある生々しさですね、『訳あり飛級お姫様』?」
 皮肉めいた眼差しでビュートは云う。
「貴方はご自分の境遇をただ嘆いたり憐れみを乞うたりするお人柄ではないでしょう。その宰相とやらから逃れたいと云うのでもない。そのようなことはご自分でなさるでしょう。敢えて僕に、云わば『身内の恥』さらける意図をお伺いしたいですね。何しろこれまで興味本位だけで行動しておりますから」
 欲しい返事が返せているとは思っていないしするつもりもない。ヤヤ姫の生い立ちに関わろうなどとは思ってはいないが、何やら話したいことがあるからから今この話題を持ち出したのだろう。聞いてやるくらいは吝かでない。
「聞かせたいことがおありでしたら、どうぞ。お伺いしますよ」

      ↓

「話した意味ねぇ。いくつかあるけど、まずはこの後の話のために宰相と言う人間のことを知っておいてほしかった…かな。」

正直、ここからの話しはさらに気が重い。

「あの子、進行形で宰相から迫害されてる。直接的な行為も含めてね。」
「あの日、お風呂で見たんだけど鞭で打たれた傷があったわ。数ヶ月も経っていない感じの。」

「女王の指示だとは考えにくかったから内偵を進めてみたら信憑性のある証拠が出ててきてね、間違いはないと思う。」

「この先、貴方も必ずあの傷を見る事になると思うけど、その時に"女王や市長はそんな事しなさそうなのに何故?"と思わないように、犯人を先に教えておいてあげるわ。」

     ↓

「それって……王座を狙う宰相閣下が何らかの事情でリューズに対して暴行してる、という理解でよろしいでしょうか?」
 ベルソゥ・リンに潜り込んで会ったリューズが、諦めの眼差しで自分達を兵隊だと思って、表情さえも殺していた様子を思い起こす。あの諦観の、色を失った瞳を。しかも服に隠れる場所を狙って鞭打つのだろう。
(父上さえも口を挟めない『権力』を傘に……あんなに純真な子供への迫害なんて、そんなものが許されるだなんて)
 孤独の色を滲ませる瞳で、それでもビュートには笑いかける『お姉さん』は、あの頃には既に迫害を? 知らぬ事であったとはいえなんの救いにもなれなかった自らを呪いたい。
「陛下のお人柄も父の性格も知ってます。あの人達がリューズに暴行を働くなどと考えはしませんよ。ただ首謀者が明確になるのはこちらにも都合の良い情報となるでしょう。市史にはまだそういった記述はなかったはず。
 ビュートは唇を人差し指で撫でる。
「ここ百年ばかりの記録からは、王国を護るものして紡がれていた。『護るもの』でありながら『災厄を呼ぶもの』。何処からそれが混同されたか、どうやら市史はもっと遡る必要がありそうですね」
 ビュートの眼差しは真剣だ。しかしそれは続く言葉と共に和らぐ。
「まあ、百年以上遡る書物は古語の記載です。僕はそれほど得意ではないので、書き写したものの口語訳はヤヤ様にお任せしますけれどね」

     ↓

「その理解で合ってるわ。」
「それでね…、もし、あの子を害しようとする宰相派と鉢合わせになっても、問い詰めたり反抗したりはしないで。どんな難癖をつけて捕縛されてしまうか分からないから。」

"流石にそんな…"と言いかけた彼の言葉に重ねるように続ける。

「考えられない事をするのが彼なのよ。」

「…まぁ、そっちはお母様が対応すると言っていたから任せるとして、私たちよね。」

先の連休に考えていた事を話す。
「あの子の事を知る必要があるのは変わらないから、貴方には引き続きベルソゥ・リンの資料を調べるのをお願いしたいの。」

「もちろん、古語を訳すのは私か…信頼できる者に依頼して対応するわ。そして、私だけど…、」

「"あの子の手元に届く物資を増やす"方法を考える。」
学園を出てすぐの私に出来ること、それを考えた結果がコレだ。

「少しでも、あの子の生活が良くなるように…ね。」

     ↓

「そういうことなら僕も折をみて帰郷した時出来るだけ書きとってくることにします」
 ヤヤ姫は覚悟している。ならば自分も立場の利用と己自身を賭けよう。正直な処、『特区の化け物』でここまで大ごとになるとは考えが及んでいなかったし、幼いころ戯れただけの少女の為とはいえ、半ばいつ刺客の送られるか判らぬような隠密活動に手を染める価値があるのか、そんなもの想像もつかない。
「まあ、百年のうちは良かったけれど、今後活字印刷書ですらなくなると思うので、手書き記録書は内密に託すかたちになるかと」
(まあ『弱み』を掌握されてはね)
「そもそもが『特区』の市史です。ヤヤ様の御身、何処まで僕にお護り出来るかは定かでないですけれど、それが叶う場に在れるなら……この身を賭して駆けつけましょう。いつか誓った如く、僕は貴方の騎士も同然です」
 身勝手な王女に振り回されたこの五年間。卒業まで残る五年間も恐らく振り回されるのであろう。姫を護るため、命を投げ打ってでも。一度でも決めたことを折るのは主義に反する。
 ビュートは席を立ち、ヤヤ姫の傍らに跪いて頭を垂れた。
「騎士となる儀式は成しておりません。『私的な』騎士としてどうかご随意に」
『特区』の市史に市長就任せぬ内に手出しするのも、ましてや恐らく判読困難なまでに旧い書を持ち出そうと計画するのも大逆だ。しかし罪を恐れてヤヤ姫の願いを叶えられぬなど――処されるも同義だ。
 する、と姫の手を取り、指の付け根に唇を落とす。
「今一度申し上げます。これは誓いですよ、ヤヤ姫」
 ビュートにはもう、始まりの頃のようには笑えなかった。
 彼女の手を解放し、跪いた膝に握りしめた拳を震わせて云う。
「ヤヤ様が僕に要求していること、それは」
 ビュートは語を継いだ。
「国家が『秘匿』するものを暴く行為なのは、ご聡明たるヤヤ様にはお判りの筈。下手を打てば書庫の鍵複製と同等かそれ以上の、これは叛逆です。それでも」
 皮肉交じりに笑みを湛える。いつからこんな笑い方を覚えた? 叶うなら当たり前の子供でありたかった。
「貴方の目的のための僕です。リューズとの対面の折ににお戯れに仰った、『フィアンセ候補』など望みはしない。宰相殿が何か動こうと云うなら、もう逃げない。手放した彫金具のように逃げない」
 このような告白、ヤヤ姫は困惑の眼差しでビュートを見遣るが、掛けるべき言葉を探すのは今ではない。ただ耳を傾けた。
「最悪のことになるならば、証拠隠滅に僕を殺してください」
 年下の姫にも劣る自分に出来るのは罪を被ること。それは『特区』市長の将来のためなのだから。
「長くなりましたが僕が申し上げたかったことをお話させて頂きました。貴方のお荷物はもう御免だ。対等に接することも――これはまあうっかりすることもありましょうが――もうしないでしょう」
 膝をつく姿勢から起立し、深々と頭を垂れた。愚かだとまた謗られるだろうと思いながら。

     ↓

「その覚悟は有り難く受け取るけど…、」
少し語気を強めて続ける。
「人を犠牲にしてまで自分が助かろうなんて事はしないからね、私。大切な人なら尚更。前に言った、"自分が納得したなら"ルールも破るってのはね、どんな結果になっても受け入れる事が出来るように…って事よ。」

「そもそも…、いえ、未確定な事は言わないほうが良いわね。」

実のところ、現状が既に女王の黙認状態である事を差し引いても、彼女達が極刑に処される可能性は限りなくゼロだ。
なぜなら、もしこの件で裁かれる事になった場合、先に宰相が裁かれる手筈になっている。

彼は、あの街とリューズについて調べただけでなく、女王の目を欺いた挙句その名を騙り私刑を加えている。

が、政治的判断や宰相派の暗躍により彼が極刑に処される事はなく、それが判例となるのである。

「と言うか、突拍子もない事を言うけど"今の掟が間違ってる"かもしれないしね。それを正したとしたら、罪人どころか歴史的な偉人よ、私達?」

なんの根拠もない単なる希望だ。
ただ、ある代のトップが独断で改悪した掟が数世代後になって正されたなんて事例は、歴史上に散見される。

「とにかく、当面は今までよりも慎重に調査を続ける。パッとしないまとめだけど、そう言う事でお願い。」

     ↓

「善良な、庶民を思いやる王女として、ですか……ご立派なお心掛けです。ですが『納得したならばルールを破る』のでしたら、『必要な時にはライト・ビュートを踏み台にする』選択肢もお忘れなきよう。最初に『手伝わせてあげる』と僕を引き摺り込んだ貴方には容易でしょう」
 読めない……いや、感情を押し潰した目で云う。
「功を焦るつもりなど無い。今は僅かずつ牛の歩みでしか調査も事を成すのも叶わぬのですから」
 つい、と踵を返し姫の向かいへ座った。
「貴方の楽観が本音ならそれは僕には信じられない。この隠密活動が貴方の足元を危うくさせることでもあれば、僕を足場になさるとよろしいでしょう。百年分の市史によると、ベルソゥ・リンにもそれなりの立場はあるらしいですからね」
 ――僕はこのプリンセスの『道具』にしかなれぬのだ。ならば道具は巧く使って貰ってこそ。よって貴方の足元を支える踏み台となりましょう。
 胸裡に呟き、眼差しを伏せた。
 
 パァン!
 
 甲高い音に談話室に沈黙が訪れた。ヤヤ姫が席を立ってビュートに平手打ちしたのだ。目撃してしまった生徒らもいたが、関わっては不味いのは明白だ。素知らぬフリで談笑を再開する。
「莫迦!!」
 悲鳴に近い、それは姫の叫びだった。
「なんなのよさっきからの悲劇顔! 哀れみが欲しいの!?」
 違う。こんな事云いたいのではない。
「貴方の彫金は本物だと思ったから誘ったのに、あっさり拒否して彫金具の始末までして。そんなことさせたくて誘う程愚かだとでも云うつもり!?」
 激しい剣幕の姫に、打たれた頬に手を添えてキッと見上げたビュートは云った。
「ああいう会話のタイミングで、是と出来るとでも思ったんならそれは単純過ぎないか!?」
 今度はビュートがまくし立てる。
「斬首の所作をしてみせておいてよく云えるな! ついでにあの仕草は品がないから他でやるなよ? 見たのが僕で幸運だよ君は」
 気づくことなく敬語を忘れいる。姫はすとんと椅子に腰を落とした。
「悪かったと……思ってるわ。あんなに狼狽えるとは思わなかったの。ごめんなさい」
 ヤヤ姫の大きな瞳が涙に潤む。こんな事で泣くほど弱かっただろうか。自分は一人でどんなことだって――。
「……判った」
 ビュートが云った。
「僕もムキになりすぎたよ。彫金具も掘り返すし君の云う企画? に乗ってもいい。今までごめん、我を張りすぎた」
 そしてテーブル越しに手を伸ばす。
「やり直そう、僕ら。あの、随分と苦しめられているらしいあの女の子がまた笑える日が来るように」
「いいわね。在学中何処まで調査出来るものか判らないけれど、今は出来ることをしましょう」
 固く結ばれた握手に、先程までの苛立ちも憂いも解け消えていった。
 さあ、あと五年間の在学中、調査再開だ。認識を改めることの叶った今なら、卒業までの残り五年間をもっと意義のあるものに出来る可能性がある。今しがたの些細な諍いなどなかったかのように、二人はひっそり笑い合った。

***

 ――そうして。
 この五年間をがむしゃらに調査へと費やす日々が繰り返された。ビュートの父から休暇毎に帰郷が許されたことも手伝い、相当の旧い記録を遡ることが出来た。
 懸念通り市史の書物は遡る程に印刷技術は粗末となり、現代のデンス王国では使われない手書きの、しかも筆記体の記録にぶち当たった辺りで行き詰まりもした。しかも激しく重大事項らしい部分が酷く読み辛く、そこで在学中の調査はつまづきを余儀なくされた。
 五年という長いようでささやかな歳月は過ぎ、二人学園の卒業を迎えた。ヤヤ姫一五歳、ビュート一七歳。門出となるこの日を、しかし率直には喜べない二人だった。
「連絡取りにくくなるわ」
「そうだね。でも会いに行くことが全くの不可能になる訳じゃないさ。けど」
 春先の薄い雲たなびく空を見上げ、ビュートは云う。
「彫金の審査、入賞までは出来ても不採用は悔しいな」
「そんなの別の機会もあるんだし」
「まあ、母上の贈り物のクオリティが上がったのは僕には幸運かな。いつか……」
 すうと眼差しを落として云う。
「ヤヤ様御婚礼なさる折に、マリッジリングをプレゼント出来るよう、これからも腕を磨くさ」
「――精々頑張りなさい」
 姫の言葉に若干の間があったのに、ビュートは気づかない。
「調査だって終わってないんだから、まだ『百五十年前の謎』も残ってるのよ?」
 と、そこで。
「卒業生の皆さんは講堂への入場を開始します。整列してください」
 教師の指示が入る。
「ああ、こんな時間だ。続きは式の後で」
 ビュートが云う。ヤヤ姫はふと小さな笑みを見せてひらりと身を翻した。感傷に浸るのはまだ少し時間があるのだ。そして話したい事も尽きぬ程に。
 卒業式が始まった。

     ↓

式はつつがなく終了した。
10年と言う長い時間の終わりである。
皆、それぞれに思うところがあるのだろう。

多くの女子が…、いや男子もだ。
多くの卒業生が隠すこともなく涙を流していた。

入学した年から在校生代表として、数年前からは来賓として毎年この式に参列していたヤヤには、そこまでの感情はなかった。

が、感情のままに泣く同級生達を少し羨ましく思ったのも事実だ。

「ビュ…」
式が終わった後、会場の外で彼の名を呼びかけた声は途中で止まった。
今日、共に卒業する友人達と輪になって笑い合っている彼の邪魔をするのが躊躇われた。

思えば、彼はいつも輪の中心にいた。
もし、私が彼を巻き込まなければ彼の学園生活は全く違うものになっていただろう。
もっと多くの時間を友人達と笑って過ごし、その隣には身分も何も気にせずに向き合える誰かがいたかもしれない。
「…。」

「…さて。じゃあ、この間にお仕事を終わらせますか。」

誰にともなくそう言うと、ある進学組の同級生に声をかける

「ねぇ、貴女。お城の仕事に興味はないかしら?」

     ↓

 ヤヤ姫が、酒場の客引きも見習うべき鮮やかさで、未来の王城の役人へ声掛けに励んでいる間、ビュートはと云えば楽しく揉みくちゃである。……多くは門限破りの折にビュートの鍵の世話になった者どもだ。
「あの時の事は本当に感謝してるんだ! 危うく親の呼び出し喰らう処だったんだから」
「俺も俺も!」
「お宝画帳を隠すのにも世話になったよな」
「……お前らそういうのは学園出て実家に帰ってからにしてくれ」
『お宝画帳』とはいかがわしいポーズの裸婦が描かれた絵画の本──平たく云ってえっちな本である。ビュートは頭を抱えた。
 その中でいつの日か老司書への餞別品を購入するために寮を抜け出した下級生らもいた。彼らも今は『先輩』と呼ばれるようになっている。
「ビュートさんには本当にお世話になりました」
「あの時に委員会にいた奴らのカンパで贈り物です」
 渡された箱を開けると。綺麗な羽ペンが入っていた。ニブも種類の異なるものが幾つか添えられている。
「ありがとう。でも無理してない? 安くないだろう」
「ビュートさんの故郷はとても遠いと聞いてますから、王都でないと難しいものがいいと思って奮発したんです」
「嬉しいよ、ありがとう。大切に使わせて貰うから」
 そんな遣り取りの中、黒山の集りに色白の細腕が伸びた。女子のそれだ。
「ちょっと! 男子だけでビュートくん占領しないでくれる!?」
「あたし達だってお話したいのよ!!」
 女子の剣幕に男子はざあっと引いた。怖かったのだ。正直ビュートも怖い。
 しかし怖がる様子にもお構いなしに今度は花が群がった。 花、ではあるが。
(トリカブトかな)
 大変失礼な感想を抱いた。
「卒業しちゃったら、ビュートくんには会えないんでしょう? これが最後の機会と思ったら知らない顔なんて出来なくて」
「ほら、今は姫様御一緒じゃないし。ビュートくん姫様のお気に入りだったんだもの」
(……気に入られてたのとはちょっと違うけど)
 一緒の行動が多かったのは事実だ。
「僕なんかを気にかけてくれてたなんて嬉しいな。ありがとう、皆。僕の故郷は伝統的に外部と切り離された街だから、僕の方から此方に来る機会を作りたいと思ってる。今生の別れなんかじゃないから」
 何とか宥めたいが女子が怖い。何故か酷く怖い。
 女子らの一人が意を決した様子で云った。
「また会える日を数えるのは寂しいから、お願いがあるの」
「……何、かな?」
「ビュートくんの制服のタイ、記念に貰えないかな!? 制服のタイは卒業したら使わないでしょう?」
「え? ……ええと」
 彼女らは何を考えているのだろう。ビュートの思考処理が追いつかない事態である。
「ちょっと! ネクタイなんて抜け駆け!」
「だったら私はネームプレートが……」
「もうシャツのボタンでもいい」
「待って、ちょっと待って、せめて順番に」
 動揺しきりのビュートの手首を掴む手が伸びて、一瞬自分は生き延びられるのか恐怖した……が。
 手を引いたのはヤヤ姫だった。
「彼の優先権は私だから、襲って略奪は私の用事の後まで待ってくれるかしら?」
「……」
 腑に落ちないのだが、逆らえるものでも無い。それに『用事の後』ならまだチャンスはあるのか。女子生徒達はやむなく引き下がった。
「ずっと独り占めでごめんなさいね。用が済んだら好きにしていいから」
(あー……ヤヤ様助けてはくれないわけか)
 軽い眩暈を覚えたが、一旦は女子の群れから解放されるらしい。「こっちで話したいの」と姫は人気の少ない校舎の中庭へとビュートを連れ出した。

     ↓

「随分と女子が集まってたものね。」
なんだろう。さっきから妙にイラッとする。
「何か、あなたの周りに女子が集まってるのを見てから気分がちょっと…。」
隠しても仕方ないので、正直に伝える。

嫉妬でしかないのだが、これまで無縁だった彼女にはそれが理解できなかった。

「ごめん、少しだけ待って。」
深呼吸を繰り返すとかなり落ち着いた。

「改めて、10年間お疲れ様。」
まだ少し嫌な感情は残っているが、会話をする分には問題ないだろう。
「とは言っても、直接会う機会が減るだけなんだけどね。」

そう、未だリューズの件は具体的な結果には結びついていない。

「私の方はそうね…、輜重隊に荷物を紛れ込ませるくらいは近いうちに目処が立ちそうかな。新しく立ち上げるにはまだまだだけど。」
一つの区切りとして、今の状況を伝える。
「と、言う事で荷物の受取りはよろしくね。」
まぁ、
「難しいかもしれないけど、貴方なら大丈夫だと思ってるから。」
「それで…ね。」
この日のために用意しておいた物がある。
「これ、10年間のお礼とこれからの前払い。」
それは白い薔薇をモチーフとした徽章だ。
「略式にもならない渡し方だけど、一応は公式の物だから。」

言葉こそ普段通りだが、初めてのきちんとした贈り物に、内心は穏やかではなかった。

渡された"それ"は、授業などで一通りの徽章・勲章を把握しているビュートでさえ見たことのないものだった。

〜〜
その白い薔薇をモチーフとしたデザインは、王家の物とは別のヤヤ個人の紋章であり、個人の紋章を模したこの徽章が、国や王家ではなくヤヤ個人の名において持つ者に特別な地位を与える物であることをビュートが知るのは、彼がベルソゥ・リンに戻ってからしばらく経ってからの事である。
〜〜

     ↓

「じゃ、あの女子の群れに戻ってあげたら? 少なくとも彼女たちにはほぼ最後の機会なんだもの」
 そう。判らない訳じゃない。ビュートが女子に憎からず思われているのは知っていた。それを優先的に独占していた様なものだ。他の女生徒もこれが最後と思うのだろう。けれど何処かでそれを許せない想いが湧く。醜い狭量な感情だと思う。女子の群がる中のビュートを見ているだけでモヤモヤするなら、早く立ち去った方がいい。幸い迎えの馬車も到着している。
「私はもう王城へ帰るわ。いつか、また近いうちに」
 そこから立ち去ろうとしたヤヤ姫の手首を、強い力が掴んで引き留めた。
「云いたいこと云って、それはちょっと不公平じゃないかな」
 引き留めたのはビュートだ。そのまま掴んだ腕を引き寄せ姫の背中を校舎の外壁へと追い詰めるように自らの身を重ねる。
「それが妬きもちなら嬉しいんだけどな」
 ヤヤ姫の両脇を囲むかたちでビュートの腕に包まれる。軽口を云う割に真剣な眼差しに少し、身が竦む。ビュートはお構い無しに姫の耳元に唇を寄せた。
「ヤヤ様。僕は多分ずっと、君が好きだった。当然これから逢う機会が少なくなろうとも、それは変わらないと思う――好きだよ」
 囁き。
 そして耳元の唇が軽く姫の耳朶を噛んだ。
 直後、ビュートはヤヤ姫に被せていた身を離して、指先でつん、と彼女の唇に触れる。
「今はキスはしないよ。君が本当に恋した時のために純潔なままでいて欲しい」
 ビュートの、いつもの少し悪戯の目が微笑んだ。

     ↓

「…っ‼︎」
突然のことに呆然と立ち尽くす。

「…そこまで出来るなら、"エンゲージリングを作って行くから待ってろ"くらい言ってみなさいよ。」
小さく漏れた本音は、聞かれずに済んだだろうか。

「じゃあ、リューズによろしくね。」
言い残し、迎えの馬車に向かって歩き出す。

     ↓

「出来る手は尽くすさ。五年前からの『友人』に恥じないようにね」
 馬車に乗り込む姫の近くに立つ専属の侍女の、視線だけで射殺されそうな烈火の眼差しは、見なかった事にする。
 改めて先程手渡された徽章に視線を落とす。大貴族や近隣諸国の紋章はあらかた記憶しているつもりだが、この白い薔薇をあしらう紋章は知らない。ただ相当重大なものを賜ったらしいことは何となく判る。ビュートは大切に、そっとそれをポケットに収めた。
「さて、名残り惜しむ皆の処に戻った方が良さそうだ……怖いけど」
 先程の女生徒の勢いは些か恐ろしいものがあるが、これで王都の暮らしが終わるのだ。ハメを外すのも悪くない。
 走り去る王家の馬車を、それが見えなくなるまで見送った後、ビュートはまだザワザワと別れを惜しみ合う卒業生のグループへと、足を運んだ。

 遠くからの冒険でなく、我が街の問題としてリューズについての処遇を改める、新たな目標に向かう一歩を踏み出す思いで。
     
   【調査・卒業篇:Fin】



あとがき

原案:パルセットさん/長かったような短かったような(長かった)調査・卒業編が幕を閉じました。
ガルリトの原作者というよりも一読者として楽しませて頂きました。
蒼月さんきゃすぃーさんさんのお二人には心からお礼を。そして本当にお疲れさまでした!
ヤヤ姫パート担当:きゃすぃーさん/なんとか、卒業まで辿り着きました。
この後、調査で出てくるであろう結果は物語の根幹にあたる部分なので、本編の管轄ですね。
パルセットさん、お任せします。

そして、お二方ここまでお疲れ様でした。

あ。
最初の頃から出ていたのに、最後になって急にキャラが立った、侍女さんことキユリさんは、何処かでもう少し掘り下げてみたいです。
ビュートパート・編集担当:蒼月里美/私に人の心が無いが為にこのような終わらせ方となり申し訳御座いません。別途企画される折にはまともな人間にお願いしてください。

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