推し活の行く末

2021年流行語に選ばれた『推し活』。
近年は幅広い世代で推し活が浸透してきているのを身に染みて感じる。
あるグループが好きだというと「誰推しなの?」と聞かれることも多い。
そういう時は大抵、推し活は何をすることなのか微妙に理解できないまま、
好きな芸能人やアイドルの名前を答えていた。

久しぶり会った友人が、かつて推し活に熱中していたことを思い出し、ふいに
「そういえば、推し活って楽しい?何が良くて熱中できるんだろう?」
と興味本位で聞いてみた。
当時趣味を探していた私は、推し活とやらはどんなに素敵なものかを知れる絶好のチャンスだと思い
まだ見ぬ私の将来の楽しみを知れる!という気持ちで胸を高鳴らせる。

彼女曰く、推し活の醍醐味は、推しを応援することでその世界観に没入できることなのだとか。
「ほう、、、没入?」
私にも好きなアイドルがいるが、メンバー同士の絡みがかわいいからYouTubeをみる、ドラマに出るのであれば見てみる、そして目を潤す。
そんなところだ。
没入とは一体どういう感情かわからなかったので、もう少し深堀りさせてもらった。

「推し、つまり推すのよ。世間に推し進めるというか、活躍を下支えするみたいな感覚かな。」
なるほど、単に好きで動画を見る、曲を聴く、エンタメの一つとして取り入れるのではなく、育成感覚に近いのか。
デビュー前に小さな会場でライブをしている頃から応援をしていている人が
熱狂的なファンになるのはここからきているのか!
推しの活躍に生きがいを見出している人々の感覚は限りなくこれに近いのかもしれない。

「でもねぇ、推し活しか生きがいがなくなって、だんだん苦しくなってきちゃったんだよね。」

推し活をしている人がみんな超ハッピーな気持ちでいるかというとそうではないらしい。
なんだこの衝撃的事実。驚きの連続。奥深い。
私は心の中で鼻息を荒くしながら、さらに興味深く話に聞き入る。

現場でよく会う人への嫉妬、ライブに行けてないことによる焦り。
彼女はちょうど辛いことが重なった時期に推し活にハマり、そのおかげもあって自分磨きを頑張れたり、ファッションに興味を持ったりと良いことも沢山あったという。
だからこそ、その推し活が自分の人生の中核になってしまっていたと過去を振り返っていた。

でも、推し活とはなんぞやと思っていた私にもその感覚はちょっとわかる気がする。
職場で嫌なことがあったら、好きなアニメを見て忘れる。
恋人とうまくいかない時は、お菓子を食べて友達と喋ってリフレッシュする。

辛いことは誰にだってあるから、そこからいったん離れて自分を守る、
そういった自己防衛は自分を自分らしくいさせるためには非常に重要なスキルだと思っている。

そこで現実から完全に目を背けて、逃避先に没頭しすぎてしまうと、更に現実で苦しむことになるということか。
その逃避先が彼女の場合『推し活』だったと。

「今は自分の人生を生きられるように頑張っているんだ。」と穏やかに彼女は言う。

かっこいい。
いわば過去は推しを推していたが
今は推す対象が自分になったということではないか。

推しに向けていた熱を、デビューしていない頃から応援し続け
推しが笑ったり楽しんでいる姿を見て嬉しい気持ちでいっぱいになったその感情を

推しからもらった様々なものを次は自分自身の人生に繋げる。

「推し活で経験したことは紛れもなくあなたの宝物だよ。」
思わず口からこぼれていた。

初めは軽い気持ちで話題に出した『推し活』が、意図せず彼女の人間的な強さを知ることになった。

自分が知らないところで世界は大きく展開されているもんだなぁと
夕暮れの橙色に染まった優しい空を全身にまとい、さらさら吹く風を頬に感じながら帰路についた。

「推し活かぁ」口の中で小さにつぶやく。

自分の未知なる可能性を感じ、
友人から大きなパワーをもらえたなと思わず口角が上がり、足取りが軽くなった。