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秋の夜長の人間会議


もう完全に秋ですね。私はいつからか寒さにめっぽう弱くなってしまって、まだ半袖の人が多いというのに、長袖に腹巻装備で生活しています。秋と冬の中間頃の生まれなので、寒い季節のほうが好きだったのですが、もはや死を意識してしまうので夏が好きになりました。フラペチーノを飲むとすぐにお腹を壊すので飲めません。悲しいです。


そんななか友人が「夜に出歩きたい」とつぶやいていたので、行こう!!となり、暗くなってからドライブしに行きました。

この友人というのがまた私の人生の中でかなりのウエイトを占めていまして、何度も逃げだしたいと思ってきた人生の中で、自分でもよくわからないままに全信頼を置ける人間でした。ソウルメイトというやつなんだと思います。お互いがお互いをとても大切にしていることが不思議とわかるのでした。「唯一無二の親友がいる」という事実は、たぶんものすごく心強いのでしょう。中学生のころからの付き合いなので、なんでも話せる親友がいない…という悩みとは無縁でした。そういった悩みを見聞きすると、私は幸運だったのだなとじんわり感じます。しかし唯一無二の親友、意外と思うかもしれませんが、実はまったく趣味が合いません。おもしろいですよね。

ドライブと言っても、少し遠くの工場地帯に行って、田舎の少しばかりきれいな夜景を見ながら、買ってきたコーヒーを飲んでお話しするだけです。そして私はそれを「人間会議」と呼んでいます。こっそり、私だけですが。その友人や、ある決まった人間と話していると、私の中に人間の心を取り戻せる感覚があるからです。

人間会議と言っても、「人類はついにここまで来た…」「次の計画に移行しなければ…」などの人類補完計画さながらの内容なんかではありません。普通にお互いの近況だとか、同級生の話だとか、旦那さんの話だとか、息子さんの話だとか、親との関係の話だとか。

ですが私はその会話の中で「何を大切にして生きるか」という信念を感じ取ります。人間会議ができる相手は、自分の信念があり、人を愛することができる人です。

SNSやニュースを見たり、職場の人間関係を見ていると、どんどん不安になります。どうして相手を思いやらないんだろう。どうしてそんな言葉を使うんだろう。すこし、本当に少しでいいのに。関わらないであげることもできるのに、なんでわざわざ傷付けにいくんだろう。

本当に人と関わりたくないと思うことが多々ありますが、大切な友人と話すと、何気ない言葉の端から、現実から目を背けない姿勢だとか、人を思いやる覚悟だとか、自分を律する心だとかを感じられて、信頼できる人間が確かに存在することに心底安心します。人を愛することは馬鹿なことじゃないんだと、自分がこれまで信じてきたことは間違っていないと、再確認させてもらえるのです。


その日は四時間ほど話して解散となりました。

学生のころに比べると、私も友人もそれぞれの生活で割ける時間が少なくなりましたし、一緒に遊びに行ったりすることも少ないですが、久しぶりに会っても変わらずに話ができることが嬉しいです。

友人は友人の生活の中で、新しい経験、挑戦をして、次会う時にはまた成長しているんでしょうから、私も突き放されないように成長し続けたいです。なにかあったときには知恵を絞って助けられるように。



真面目なことを話すのは好きなんですが、書くとどうも恥ずかしさが勝りますね…

人間会議、私の場合はその友人と妹と母と開催可能となっております。価値観が合う人…もっとほしいです…

あなたが自分のために飲み物を用意して、私の記事を読んでくれたらそれだけで嬉しい。